sei l'unico che può rendermi felice.

花より男子の二 次 小 説。つかつくメインのオールCPです。

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Re: notitle 48

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ミドウさんは、道明寺 司。

分かってた。
あの素顔を見た時から、この人はあたしと違う世界を生きてきた人だと、だから、いつかの未来なんて夢を見たらいけないと。



突然訪ねてきた、道明寺財閥の会長に用件を問えば。

「あなたが、アプリを通じて会っていた男性のことで」

こんな小物相手に神妙な顔で話し始めた会長だけど、やはり身構えてしまう。
だって、大財閥の会長が一介の会社員に畏まって、わざわざ息子の話をしに来た。それが良い話だなんて思えるはずがない。

あたしはどこまで知っていることにすれば良いのだろうか。
あたしの本名もニックネームも教えていないのに知っている人に、隠せることがあるのか。

でも、あたしは彼自身から、その事実を教えられていない。
彼の友人だという部長から話を聞いていて、あたしが既に彼の正体を知っていることを、この人たちに教える必要はない。
どこの誰が聞いても、一般家庭出身の女が大財閥の御曹司と婚活アプリで知り合って会っていました、なんて良くは思わないはずだから。


ミドウさんの立場を考えなければ。
大事なのは、今までのミドウさんの言葉に嘘はなかったこと。

彼は結婚したくなくて、あたしに協力を持ち掛けた。
両親に、お姉さんに勧められた結婚を阻止したくて会っていた。
その為に、女の人に慣れる練習をしていた。

思い出せ。
彼が、初めて会った時に言っていたことを。


『家族も俺が女嫌いなのは知ってる。こうやって女と話してるところを見たら泣いて喜ぶ可能性だってある。俺が少しずつ女に慣れる練習をしていると言えば、結婚もすぐには迫ってこないはずだ』


彼は、お姉さんには女性と会っていることを話していたはず。
その時に女性に慣れる練習をしていると話していただろうから、結婚を勧められることなく半年間もわたしとミドウさんは会えていた。
でも、まだお姉さんに会うという話にはなっていなかった。

それなら、あたしはまだミドウさんの正体を知らないことにしておいたほうが良いのではないだろうか。
あたしは彼の女性に慣れる為の練習に付き合っていただけ。

今までも、そしてあの日、あの部屋で彼が言ったことに、嘘はなかった。
それを信じればいい。


「なぜ道明寺財閥の会長が、いま初めて会った私にそんな個人的なことをお聞きになるのか分かりかねます。申し訳ないですけれど、お話をする相手をどなたかと間違われてませんか」

「いいえ、間違っていないわ。牧野さんは、ここ半年ほどの間、頻繁に息子の司と会っていたでしょう?」

「やはりどなたかとお間違えでは?私は会長のご子息とはお会いしたことはありませんが」

「でも、あなたは「クシマ ツキノ」という名前を使っていたわよね?」

「そうですね。確かに私が利用していた婚活アプリでは、その名前を使っていました。なぜそれを知っているのかお聞きしたいところですけど、気にされているのはそこではないみたいなので、今は、あえて追求はしません。が、先程も申し上げた通り、私は道明寺 司という名前の方とはお会いしていません」

「あなたが会っていたのは「ミドウ ジョウ」でしょう?それが息子の道明寺 司だと言っているのです」

……やっぱり口止めかな?
財閥の後継者が婚活アプリを使っていたなんて恥だ!みたいな?
本人から名前すら聞かされていないんだから、そんな心配は無用なのに。 

ん?
それならわざわざミドウさんが道明寺 司だって言う必要なくない?
あたしと会うことを不快に思っているなら、ミドウさんに会うのを止めるように言えばいい話で、あたしにわざわざこうして母娘二人揃って会いに来た意味は?
知らないと言ったのに、それでもミドウさんが道明寺 司だと告げる理由は……?


「……そうですか。本人からは本名も何も聞いたことはありませんでしたから、そうですか……。ミドウさんは道明寺 司さん、でしたか。
でも、だから何でしょうか?彼について何のお話をしたくていらしたのか存じませんけど、婚活アプリで会っていたことも、会っていた時に聞いた話も他言するつもりはありませんから、ご心配なく」

それだけ言うと、あたしは踵を返した。
彼と話をする前に、彼がいない場で、結婚を勧めるご家族と長時間会って話すのは危険だ。
あたしとミドウさんは、あくまで協力関係でしかなく、お姉さんに会ったら関係解消をすることになっていると気付かれたらダメなんだから。


「待って!お願い、話を聞いて……!」

あたしの足を止めようと声を掛けたのは、道明寺 椿。いや、さっきの名刺にあった名前は道明寺じゃなかったから今は結婚して性は変わっているようだけど。
彼女は縋るような視線をあたしに向けてくる。

そういえば、いつもミドウさんはお姉さんのことを気にしていた。
仲の良い姉弟なんだろうとは思っていたけど、今はそんなことは関係なくて、それよりもなぜという疑問しかない。

なぜ、あたしに話を?
なぜ、二人で?
なぜ、そんなに必死な顔で……?

なぜばかりが疑問に浮かんだところで、後ろからクラクションを鳴らされた。
こんな住宅街で、こんな大きな車を停めていたら、当然すれ違いも出来ない。


「……とりあえず、近所迷惑になるので車を退かしてもらえますか」

「じゃあ話を聞いてくれるのね!さ、乗ってちょうだい!」

え、え、え?!
違う、車を退かしてって言っただけで何で話を聞くってことに?!

お姉さんに背中をグイグイ押されて車へと促される。
運転手さんはドアを開けて、ずっと待っているし、会長はさっさと先に乗り込んでしまった。

「ちょ、話を聞くなんて、」

「あちらの車がお困りだわ。早くお乗りになって」

あたし?!乗らないあたしが悪いのか?

乗るのを躊躇っていたら、長めにクラクションが鳴らされる。
いま、この状況をどうにかするには乗るしかないのか。

嫌だ。
こわい。

でも、逃げないって決めた。
ミドウさんが、結婚したくなくて頑張っていたことを無駄にしたらいけない。

こうなったら、どういうつもりで来たのか、はっきりさせてやる!

「分かりました。乗ります!」


リムジンの中は部長のおうちのと比べると内装が少し豪奢な感じがした。
部長のおうちのリムジンはカウンターがあって、そこにお酒が並んでたりしたけど、このリムジンはカウンターはなく、対面で座席が並べられていて、その座席は白の革張りで座り心地は抜群、それはまるでリクライニングチェア。
これが本当に車の座席なのか、リムジンも色々とあるんだなと思っていたら、お姉さんが話し始めた。

「リムジン、初めてでびっくりしたでしょう?」

「あ、いえ。初めてではないので、そこまで」

「え?」

「あの、私の上司が大河原財産の御息女で、何かと気にかけてくださるんです」

「滋ちゃんね!そっか、あなたは大河原財閥に勤めてたわね」

やっぱりそこまで知ってるんだ。
本当に個人情報保護法どうなってんの?

……あっ!
会社のエントランスホールで彼に、道明寺 司に会ってるんだ、あたし……!

何で今まで忘れてたんだろう。
あれは株主総会の前で忙しくて、大河原財閥と道明寺財閥とで大型リゾート施設の開発共同企画が持ち上がっていた頃。
あの時、エレベーターの中でミドウさんと同じコロンの香りがしたのを覚えている。そして立ち止まって秘書さんに言われるまで立ち去らなかったのは、あたしに気付いたから?
流石にあそこで会ったのは偶然だろうけど、それならミドウさんはあたしの職場を知っていることになる。

ミドウさんは、あたしの名前も知ってたのかな。
いくらなんでも大財閥の御曹司が人と会うのに、素性の分からない人と迂闊に会ったりはしないだろうから、もしかしたら初めから本名くらいは知っていたのかも。

……あれ?
ミドウさんは何で婚活アプリを使ってたんだっけ?

そもそもに花沢さんは、アプリの責任者。
ミドウさんが誰だか知っていて、あたしがモニターをしていることも知っていた。

あたしは彼と二回目に会う前、花沢さんに「ミドウさんは女嫌いで結婚を阻止する為に協力するつもり」とも報告している。

花沢さんは友人であるミドウさんが女嫌いで結婚したくないことも知っていて、それでも婚活アプリを使って彼自身に女性と会わせていた理由は?

なぜ花沢さんは、あたしがモニターをしていることを知っていたのに、半年間も結婚をするつもりのないミドウさんとあたしが会うことを止めなかったんだろう……?


「……きのさん、牧野さん?」

「あっ、すみません。何でしょうか」

こんな時なのに、考え事に集中してしまった。
向かって座っている会長とお姉さんが、あたしの顔をジッと見ていて、なんとも気まずい。

「お夕飯は、もう召し上がったかしら?」

「いいえ、まだですけど…」

「イタリアンレストランの「アチェロ」とかどうかしら?赤坂の「楓」でも良いし、青山の「エラーブル」もなかなか美味しいけれど、どこがよろしいかしら?」


……あたしは本当に何で今まで気が付かなかったんだろう。
いま会長の口から出た店名は全部、道明寺系列の飲食店だ。
ミドウさんが協力する交換条件に連れて行ってやるって言えたのは、そういうことだったのか。

店名が全部、会長の名前である「楓」だ。
「メープルホテル& DJリゾートグループ」で経営しているホテルだって、みんな「メープル」が付く。

ああ、だから世界各国、日本各地の出張とお土産に、本社がNY。
だから仕事も、サービスとか不動産とか営業だの企画だの言ってたけど、もう、納得。


「あの、お話が終われば帰りますので、食事まで気を使っていただかなくても」

「すぐに終わる話じゃないの。ね?お食事、一緒にしましょう?」

にっこりと美しい顔で微笑むお姉さん。
着ている洋服は某ブランドのものだ。そしてそれを着熟せるスタイルの良さ。
眩しい。
もう、雰囲気だけでもキラキラが飛んでくる。

そして、笑顔なのに否を言わせない圧力を感じさせる言い方。

「……でも」

「ね?」

「……っ、」

「沈黙は肯定と一緒よ。さぁ、決まり!どこにしましょうか」

なんという強引さ。
少し言葉に詰まっただけで決められてしまった。きっともう初めからあたしに拒否権などなく、希望を聞かれただけでも良しとすべきか。

ええい、こうなったら美味しいご飯を楽しませてもらってから帰ってやる!
そうなれば、いま挙げられた中で一番敷居の高いお店で一見さんお断りの、料亭。

「赤坂の「楓」には、一生行けないと思っていました。私の憧れのお店です」














Re: notitle 47

Re: notitle 47






今日も一日、何事もなく恙無く。

いやいやいや。なにごとがあったし、つつがないとか、ありえないでしょ。

仕事だけはキチンと熟す。仕事とあたしのプライベートは関係ないし、それが自分の人生を揺るがしかねないようなことだったとしても、上司や同僚たちにはどうでもいい話。そう思ってたのに、今週は小さなミスの連続で。

情けない。
全然キチンとなんて出来やしない。ふとした瞬間にぼぅっとしてしまうことが増えた。

情けない。


部長と話をしてから一週間。
あれから、たくさん考えた。

初めて会った日のことを、初めてミドウさんの指に触れた日、ミドウさんがくれた沢山のお土産と写真、お好み焼きとコーヒーが好きで、甘いものが苦手。
口は悪いけど優しいところ、あの温かい大きな手と、優しい笑顔と、穏やかな時間、抱きしめた時に震えた身体。

『聞かれても言いたくないことは言わなくていい。でも、嘘は付かないで。』

そう約束をした。

そして今まで何一つ、彼に嘘なんてなかった。

お互いに言わなかっただけ。
それを信じなかったのは、あたし。

考えれば考えるほど彼との関係をどうしていくべきか、分からなくなってしまった。


彼を好きなんだと気が付いた時、自分は馬鹿だと思った。
彼は恋人なんかいらない、結婚もしたくないと言っていたし、あたしも結婚をしたくないと、だから協力することになって、彼に選ばれた。
だから二人の間に恋愛感情はありえないはずだった。
それなのに好きになったなんて、不毛以外の何物でもない。

そしてミドウさんのことが好きだと気付いたあとも、考えていたこと。


『女の人と、手を繋げるようになったから。
もし、もし万が一それで女の人への認識が良い方へ変わったとしても、その時その相手はきっとあたしじゃなくても良い話。

もっと美人で、スタイルも良くて、世の中にはこんなに素敵な女性がいるんだって、彼もいつかは知るかもしれない。

結婚願望がなくて、誰かと付き合う気もなくて、会う時はいつも女を感じさせないような体のラインを強調しないボーイッシュな格好の女。
きっといつかはそんな女は霞んでフェードアウトして。そういえば女に慣れるきっかけは、大したことない雑草みたいな女だったなって、思われて終わる。』


それは、ミドウさんがどこかの御曹司とかじゃなくても同じで、人が誰かと出逢えば必ず、誰にでも可能性としてあるもの。

人は人と出逢うことをやめることは出来ない。

それでも優紀に「運命みたいな出会い方」だと励ましてもらって、ミドウさんに好きになってもらおうと、少しだけ勇気を振り絞って頑張ってみようかと思った。

恋なんてしたくない、結婚もしたくないと思っていた。
それでも好きになってしまった気持ちを、彼のことを知ってしまってからも無くすことなんて出来なかった。弄ばれたとしても、それでも彼と過ごした半年間で感じたこと、あたしの気持ちは、嘘じゃなかったから。

だから、いつか来る終わりの時までは大切にしようと思って、……思ってたのにあたしは何をした?

何もしないよりは何かを、あたしは残したかったのだろうか。
残したくて、キスをして、抱きしめてしまったのだろうか。

あたしにではなく、彼に、あたしの何かを少しでも残したかったなんて、酷く嫌な人間になったものだ。

彼のいる柵の多い世界はきっと、運命なんて不確かで人の感情で左右されるようなモノを許さない。
あたしとミドウさんの、二人で過ごせるいつかの未来はないと、心のどこかで諦めて、達観した大人のふりをした。


女嫌いが本当だという彼が、女の人と手を繋いで、キスをして、抱きしめる。
これがどういうことなのか。

自惚れていいなら、いくらでも自惚れたい。
あのキスをした時のあたしを見た瞳の熱は、あれは、あたしと同じものを持っていると錯覚させるほどの、熱だった。

ダメだ。
勘違いしちゃいけない。あたしと彼の関係は、友人の範囲を越えないものであるべきだ。それ以上でも、それ以下でもない。
あくまで、彼の結婚を阻止するまでの協力関係で、それに伴う友情だけ。

友人は、キスをしたり抱きしめたりしない。

彼は、そのことを知っているのだろうか。
女性とプライベートで話すのは二十年振りだと、初めて会った日に言っていた。それなら恋人なんていたことがなかっただろう彼が、どこまでを異性の友人として認識しているのか、分からない。


『司も、牧野さんとの関係を終わらせたくなかったんじゃないかな。お姉さんに会わせたらおしまい、そういう約束だったんでしょ?』

部長の言葉が頭の中でこだまする。
でもそれも結婚を阻止する為の手段で、お姉さんを信用させる為だけのもので、そのお姉さんに会ったら……、

そう、結局は彼と会って話をしないと何も解決などしない。
彼の気持ちも、考えてることも、他人のあたしが勝手に推し量って決めつけたらいけない。

もう何度決めつけたらいけないと、考えただろう。
分かってるのに堂々巡りで、やはり悪いほうへと考えてしまう。
彼の友人と会ってからミドウさんからメールが来てないことも、そう思ってしまう原因の一つ。


彼は、あたしがミドウさんの本当の姿を知っていたと、あの友人たちから聞いただろうか。

そして、正体を知ったから態度が変わったんだと、思われたら、

思われたらだなんて、そうじゃない。
そう思われても仕方ないことをしたのは自分だ。

彼の立場と名前を教えてもらえないからと、コソコソと隠れて後をつけるなんて、卑怯で、身勝手で、彼があたしに教えないことの気持ちも事情も深く考えもせず覗き見をして、自分の憶測だけで誤解をして、態度を変えた。
そして、あたしはもう彼らに言ってしまった。

『もう、彼を信用も信頼も出来なくなったから会うのをやめた』と、言ってしまった。

話も聞かず、確かめもせず、憶測だけで判断し、今までの半年間の信用と信頼はなくなったと、怒りと悲しみの感情に任せて一方的に。

これで、きっと彼のあたしに対する信用も信頼も、なくなってしまった。


『彼のことが好きなら、話をしなきゃ。知ることがこわいのは分かる。でも、それは必ずしも悪い方向に行くとは限らない』

また部長の声が、頭の中でこだました。

こんなあたしに彼は会ってくれるだろうか。
もう一度会って、話をしてくれるだろうか。

好きになって、なんて言わないから。

勘違いで誤解をして、あなたを傷付けたことを謝りたい。
今さらかもしれないけれど、自己満足かもしれないけど、それでも。

あなたと過ごした半年間、全てに嘘はなかったと伝えたい。


あたしは本当に、どこまでも馬鹿な女だ。




今日も仕事の帰り道、最寄り駅から自宅までぼんやりと歩いていたら、もうすぐ自宅に着く手前という所に馬鹿みたいに長い黒色のリムジンが停まっているのが見えた。
一般的な自動車販売店ではお目にかかることはないだろう車。一般人が見るとすれば、大体はテレビの中くらいだろう。

思わず、ハァーと大きなため息が出る。
あたしは一般家庭に育った、極ありふれた平凡的な人間だ。なのに、この車をテレビの中ではなく実物を見るのは何度目だろうか。

いつも部長が使う車はこういう車だ。運転手付きの。
もう今さらだからジロジロと見ることはないし、なんでどのリムジンも外装は泥はね一つもなく、いつもピッカピカに光ってるんだ、くらいのもので、慣れってこわいなぁなんて。

それでも、こんな住宅街の一角にリムジン。嫌な予感とか、そんなもんじゃない。ほぼ確信を持って、彼に関する誰かが乗ってるのではないかと思った。

いや待てあたし。違う可能性も考えよう。
勘違いをして痛い目を見たばかりだし、先入観は良くない。たまたまあたしの自宅の近くに、たまたまリムジンが停まってるだけ。

素知らぬ顔をしてリムジンの横を通り過ぎても特に何もなく、あれ?やっぱり違かった?と、あたしとは関係何一つなくて、やっぱりたまたま停まってただけだったかと自分の勘違いを恥ずかしく思っていたら、カチャリと後ろで音がした。
彼に繋がる可能性がある物を近くにして、無意識に神経を張り詰めてしまっていたのか、音一つでビクついたあたしはもう、それはもう、心臓がピョン!と跳ねるくらいには、次に聞こえてきた言葉にびっくりした。


「こんばんは。あなたは、クシマ ツキノさん?それとも、牧野つくしさん?どちらでお呼びしたらよろしいかしら」


ゆっくりと、声のした方へと振り向く。そこには女性が二人、車の横に並んで立っていた。

なに、この人たち。
なんで初めて会ったのに、あたしのニックネームと名前を……?

そんなことを思ったのは一瞬で、こういう嫌な予感に限って大抵当たる自分を恨めしく思った。
あたしの本名と婚活アプリでしか使っていなかったニックネームという個人情報を知っている人。この人たちは個人情報など容易く手に入る手段を持っていると、そういうつもりであたしの名前とニックネームを告げたのか。
それはお金と立場で、あたしのことをどうにでも出来る力を持っているとも言える。

現れるなら彼に関する誰かだろうと思っていた。
でも、まさかの人物の登場に震えそうになる足に力を入れて、姿勢を伸ばして。
逃げたら、ダメ。
この二人は見た目だけの年齢で判断したとしても、あたしの憶測はたぶん間違っていないと思う。


「あの……?」

「突然ごめんなさいね。私、こういうものです」

そう言って二人から差し出された名刺に、ああやっぱり、と思った。
そして、自分の名刺を渡す手がこんなに震えそうになったのも初めてだ。

「あの、ご用件は何でしょうか」


あたしの前にいるのは、道明寺 楓。
道明寺財閥の会長だ。「鉄の女」と呼ばれ、経営に対するその姿勢は冷徹で無慈悲だと聞く。

こわい。そのオーラに圧倒される。
ただの会社員が大財閥の会長を目の前に普段通りに振る舞うなんて無理な話で、平然としていられるわけがないのだ。

足が竦む。震える。逃げたい。
逃げたい。
でも彼のことは、彼と話をするまでは、彼自身から全てを聞くまでは、もう会いたくないと言われようとも会って顔を見て話をしたい。
だから、それまでは例え何があっても逃げたくない。

傷付けてしまった彼へ、これ以上もう人を恐れてほしくない。
それなら、あたしはここから逃げたらいけない。


だからって、どうして、どうして彼に会う前に次から次へと、……もう!













Re: notitle 46

Re: notitle 46






「……は?お前ら、いま何て言った?」

「クシマ ツキノと、会って話をした。彼女は、お前の本当のことを知っていた。そう、言ったよ」



彼女の部屋で過ごしたあの日から、ニヶ月は過ぎているのに一度も会えていない。

今まで仕事だったり体調が悪かったりで一ヶ月会えないこともあった。
でも今回は違う。
明らかに避けられているような、そんな気がする。

心当たりがないわけではない。

あの日に彼女の住む部屋で、彼女と何があったかは誰にも話していない。
しばらく挙動不審だった俺に、彼女との間に何かがあっただろうことを勘付いた友人三人は、しつこく何があったのか聞いてきたが、誰にも言いたくなかった。

あれは、彼女はどういうつもりでキスをして抱きついてきたのかを、会って聞いて、話をしなければ。
あれは、友人に対してすることではないと、思ったから。

あの日に話せば良かったのに、あのあとなんとなく気まずくなってしまって、彼女にも何事もなかったかのように振る舞われてしまったから、何も聞けなかった。

自分からまさかのアクションを起こしてしまったことに、自分で自分にびっくりしていたから、やはり動揺していたのは確かで、でも彼女も返してくれたのに平然としていたから、あのことは俺ほど重要に思っているわけでもないのかとか、ぐるぐるぐるぐると、人生で初めてのことに挙動まで不審になっていたことは確かだ。

彼女は、嫌がっていなかった。

これは、俺の願望ではないはず。
それだけが救いで、でもそれならなぜこんなに会うのを避けるようなことをされているのか、誰かを好きになどなったことのなかった俺は簡単に解決策など思い浮かぶわけもなく、ただひたすらに同じところをぐるぐるぐるぐると回って考えて、また一人悩んでいた。


それでも容赦なく仕事は舞い込んでくるし、それこそ仕事をしている間はクシマのことを考える余裕はなかった。

しかし当然ながら仕事をしていない時間は、ほぼクシマのことばかり。
西田も俺が仕事だけは完璧に熟しているから何も言わないではいるが、それ以外の時間はやはり挙動不審だったらしく、何度か何があったのか聞かれた。しかし西田になぞ聞かれたところで話す理由は微塵もないし、俺から話を聞いたとしても面白がるだけだろうから無視。
車で移動する度に、助手席から振り返ってこちらの様子を見てくるのがウザくて、一振り返り毎に五回は助手席を後ろから蹴飛ばしてやる。

何度断られても彼女にまた会いたかった。

もう、ここまでくると重症だ。

なんだこれは。

それでも時間は誰にも平等に流れるし、他に気が紛れることもなく、出張に次ぐ出張。
無駄だ。もう俺がわざわざ出張で行かなくても良いように、システムを見直し再構築をして、体制を作り直す。
ババアの作った、旧態依然のままな仕組みを変えて、トップはそれぞれに任せる。今はネット環境さえ揃えばいくらでもやり取りは出来るし、いつまでも俺一人でやっているのもリスクが高い。
俺がいなくても、それぞれで判断して実行し責任を持たせる仕組みにする。
それも、あと少し。


この時もヨーロッパへと出張に行っていて、そしてイタリアにも立ち寄ったから、そういえばクシマは前に本屋で読んでいた本に載っていたレモンチェッロが可愛いと、イタリアに行くことがあったらお土産に買ってきてやると約束したことを思い出して購入。
またこれを口実に会いたいとメールをしようと、また会えないと言われたらどうしようか、でも会いたいと思う気持ちが上回って、帰国してからも暇さえあればスマホを手に取りメールの送信画面を開いて睨んでいた、そんな時。

久しぶりに類と総二郎とあきらの三人が揃って俺の家に来て、何やら神妙な顔をしているから何事かと思えば、それを聞いた時すぐには何を言われたのか理解出来なくて、もう一度聞き返しても、やはり聞き間違えでも何でもなくて、



「なんで、」

「お前に何も言わずに、しかも日本にいない時に勝手なことをして、悪かった。お前が、彼女に会えなくて悩んでるのが分かってたから、俺たちでどうにかしてやれるなら、助けてやりたいと思ったんだ」

俺はこいつらに、クシマが大河原財閥に勤めている話もしていた。
それで滋に頼んで彼女を呼び出してもらって話を聞いたら、彼女はとんでもない勘違いをしていて、そして彼女の口から出たという「大財閥の御曹司」という言葉。

こいつらも友人として俺の為を思ってしたことだから責められない。
二ヶ月経っても彼女と会う約束を取り付けらない俺に、痺れを切らしたのだろう。

結局、彼女が何か大きな勘違いをしているようだから説明しようにも、滋に個室を追い出されて、それ以上彼女と話が出来なかった。
それがこいつらの話だった。


知っていた?
クシマは、俺のことを、知っていたというのか。

いつから、いつからだ。

あの日にはもう、知っていたのか。

こいつらの言う彼女の勘違いも、本当にとんでもない勘違いで、でも確かに傍から見たらそんな風に見えてしまっても仕方がないような、あまりに居心地の良い彼女との時間と空間に浮かされて、それほどに俺と彼女の関係は危ういものだったことに気が付かなかった。

俺は彼女の名前こそ知らなかったが、クシマのことを多少なりとも知っていた。
類の部下の姉であることや、婚活アプリをしていた理由も知っていて、勤め先も知っている。

それなのに、俺は彼女に自身のことを何も教えなかった。
聞かれなかったからと言えば、そうなのだけれど、彼女自身のことに関して、俺は知り得る状況と環境にあったことに多少なりとも罪悪感を持っていて、それなのに彼女に俺のことを教えるのを躊躇ってしまった。

彼女の前では何者でもなかったはずの俺なのに、フェアではなかった。

いつどこで俺の素性を知ったかなど、どうでもいい。
問題はそこではなくて、彼女が誤解していることを、違うんだと説明しなければならない。

俺を、何も言わない俺を信用して信頼して、俺の話に協力してくれていた彼女。きっと聞きたいこともたくさんあったはずなのに聞かないで、俺を、信じてくれていたのに。

何も言わない、何も聞かない彼女に甘えて、触れられるようになったことに喜んで、クシマを好きになって、浮かれて、

……俺は、馬鹿だ。

今まで俺は、彼女の何を見ていたと言うのか。
彼女を信用して信頼しているなら、俺のことを、俺の素性を明かして話せば良かったのに、今までのことが俺を躊躇わせた。


人は、欲深い生き物だ。

一つ与えれば、調子に乗って次から次へと要求してくる。そして、虎視眈々と隙を狙って蹴落とす算段をしている。

信用出来る人間などいない。

幼い頃からの友人たちだって、いくら気心が知れているとはいえ、仕事が関われば友人という立場を越えて足をすくわれる日が来るかもしれない。

親でさえ、俺を会社の駒の一つとしか見ていない。

誰も、何も、自分自身以外を、信用してはいけない。
俺を守る為には不用意に弱みを握られないようにしなければならない。
唯一は女嫌い。それすらも、強みにして、男色などという噂だって利用してやる。

だから、何者でもない俺は、彼女の隣にいる時だけが救いだった。

彼女の前でだけは、本当の、嘘偽りのない俺だった。

それなのに、彼女の信用と信頼を、おざなりにして、甘えて、

俺は、逃げた。

話すことから逃げた。


大事なら、大切にしたいなら、彼女と一緒に同じ時間を過ごしたいと思ったなら、話さなければいけなかったのだ。
好きになってもらおうと行動するなら、まず始めに話すべきことだった。

それが彼女に対する最大の、誠実だったのに。

彼女は、もうこんな俺とは会ってくれないだろうか。
こんなに不誠実で、隠し事ばかりの俺を、好きになんか、なってくれるわけがない、だろうけど。



それでも、好きになってくれなくても、彼女とおしまいになんかしたくない。

俺が俺である為に俺には彼女が必要で、いつの間にか俺の中で彼女がこんなに大きな存在になっていたことに気付くまでに時間はかかってしまったけど、そのことを今さら、なかったことになんて出来ない。

すぐに彼女に会わなくては。
このままこわがって躊躇っていたら遅きに失する。

俺の素性を知って、態度が変わったから何なんだ。
それは、その勘違いは、俺の持っている物や見た目に対してじゃないだろうから。


クシマと過ごした半年間。

頼まれたら断れないお人好しで、よく笑って、怒って、甘いものと飯が大好きで、ブラックコーヒーが苦手で、部屋の片隅にきれいに並べられたお土産と、ミントタブレットと、小さな手と、何物にも代え難い、あの穏やかな時間。

あれは、お互いどこの誰でも何者でもない二人だけの、あの時間の中では、日常だった。

あの空間と彼女との時間は、俺の憧れであり、夢でもある。


人と時間と責任に追われて生きてきた俺の、唯一の非日常で、二人だけの日常は、他の何をなげうってでも、

一番大切にしたい全て。












Re: notitle 45

Re: notitle 45






部長には全てを話した。
あたしのプライベートな話ではあったけど、やはり誰かに聞いてもらいたかった。
出会ったきっかけから、進にも優紀にも話せなかったミドウさんの本当の姿を知ってから、あたしの部屋で一緒に過ごしたあの日のことまで。



「はぁ~、なるほどね……」

「本当に何でこんなことになったのか、私もまだ全部を受け入れられなくて。でもまさか部長まで巻き込むことになるとは思わなかったので、本当に迷惑をお掛けして申し訳ありません……!」

「いや、私を巻き込んだのはあいつらなんだから、牧野さんは悪くないでしょ。あいつらがどういうつもりでこんなことしてるのか知らないけど、でも私はあいつらの友人でもある。牧野さんよりは彼らの人となりは多少知ってるつもり。だから一つだけ言わせてもらうなら、道明寺 司の女嫌いは本当の話だよ」

道明寺 司の女嫌いは本当。
彼の友人だという部長が知っている、でもあたしの中で嘘ではないかと思っていたこと。


「本当に、本当に女の人がダメなんですか……?」

「うん。美作あきらと西門総二郎は無類の女好きだけどね。司の女嫌いは社交界でも有名な話で、一部ではゲイなんじゃないか、なんて噂もあったくらいだよ。どんなパーティーでも同伴するのは彼のお母様か、お姉さんだけだし、秘書も男しかいない。
だから司が牧野さんと手を繋いだりっていう話は本当に驚いた。十年来の友人の私ですら一切、指一本も司に触れることは許されない。だから、司が女の人を騙して遊ぶなんてことは絶対にない。それは私が保証する」

部長はコーヒーを一口飲むと、他にも部長が知る限りのことを色々と教えてくれた。

「なんで司がそこまで女嫌いなのかは知らないけど、お見合いは全部自らぶち壊していくし、政略結婚なんて絶対にさせないって、その為に仕事も頑張ってるようなものだし。それでもやっぱり、あの大財閥の後継者だからね。司のご両親は結婚して子どもをってかなりしつこく言ってるみたいだよ」

じゃあ、あの女嫌いも、結婚もしたくないから阻止したいのも本当だったってこと……?

「でも、それならなんで婚活アプリなんか使ってたんでしょうか……」

「うーん、そこらへんは私も今回牧野さんから聞くまで、あいつらがそんなことしてるのも知らなかったから分かんない。でも、司が自ら進んで婚活アプリを使って女の人と会おうとするなんてことは絶対にない。何か事情があって、仕方なくあいつらと何かしようとしてたのかもしれないけど」

「それに、そこにお姉さんが出てくるのもよく分からないんですよね。彼はとにかくお姉さんのことを気にしてました。ご両親のことよりも、とにかくお姉さんに会ってくれればと言ってましたけど……」

「私と司が知り合った時はもうお姉さんも結婚してたし、個人的にもそんなに親しくはないから、そこらへんは分からない。ごめんね。でもそれもさ、もう一回会って、きちんと聞いたほうが良いんじゃない?」


すっかり冷めてしまったコーヒー。
いつもはお砂糖とミルクを入れるけど、今はブラックで飲んでいた。なんとなくブラックにしたのは、今は甘さよりも苦味を味わいたかったから。

あたしが考えていた彼らの女遊びは、あたしのマイナス思考が導き出した勘違いの可能性が高いこと、女嫌いは本当で結婚は阻止したいこと、でも婚活アプリを使って女の人と会っていたこと。

なぜご両親ではなく、お姉さんに会うことで結婚を阻止できるのか。

まだまだ矛盾していること、分からないことが多過ぎて、混乱する頭の中をすっきりさせたかったのかもしれない。
冷えたコーヒーは苦味だけじゃなくて、渋みも増したように感じた。


「牧野さんは、本当の司のことを見てたんだね」

「……え」

「牧野さんはさ、司の名前や出自、あの見た目でもなくて、司の中身そのものを好きになったっていうことだよね。
私たちのまわりは、そういう自身じゃなくて持ってるもので見られる世界なんだ。だから中身だけを見てくれる人っていうのは本当に貴重で、安心できる存在になり得る。きっと司もそうだったんじゃないかと思う。そうでなければ、あんなに頑なに嫌がって避け続けてた女の人を、牧野さんにだけは触れされるほど近くにいることを許してる」

「そうなんでしょうか……」

「司も牧野さんとの関係を終わりにしたくなかったから、お姉さんに会わせなかったんじゃないかな?お姉さんに会わせたらおしまいって話だったんでしょ?それに、司が名前を言わなかったのは、やっぱり、こわかったんじゃないかなぁ……」

「こわい、ですか……?」

部長は、少し悲しいような、淋しそうな顔をした。

「うん。……どうしてもね、こういう大きい家に生まれると周りに近寄ってくるのは利益を欲しがる人間ばっかりなんだよね。良い人のフリして、いっぱい親切にしてくれても、結局は私たちの後ろにある家や財産だけを見ていて、私たちはそれの付属品でしかない。友達だと思ってたのに裏切られたことも何度もある。だから私たちは簡単に人を信じない。そして、人を損得で見ることに慣れてる」

誰に裏切られるのか、陥れられるのか分からない世界。
損得でしか人を見られない環境。

なんて、悲しくて淋しい世界。

ミドウさんも、そうだった?
だから初めて会った時、警戒心丸出しで、不遜な態度で、一つも笑わなくて……、


「特に司はね、道明寺財閥はあまりにも大きい会社だから。一人息子だし、親からも周りからも期待されて跡を継ぐべく徹底的に教育されて育ってきてる。心を許してる友達もさっきの三人しかいないんじゃないかな。
いつ誰に足元を掬われるか分からない世界だし、それこそ一分一秒の躊躇いで無くなる契約だってある。司の背負ってるのは、社員の、社員の家族の生活そのものだから、その責任は途轍もなく大きい。
それに財閥って結局は家族経営みたいなもんだから、後継者に対する期待も大きい。おばさまの後継者を望む気持ちも分からないでもないけどね」

「それがこわいのと、どう繋がるんですか……?」

「本当の名前と姿を知られたら、自分を見る目や態度が変わるかもしれない」

「それは、」

「ないとは言い切れない。これは牧野さんがどうとかいう話でもないよ。何度信じようとしても何度も裏切られたことのある人が、もう一度誰かを信用しようと思うことは、難しい」


それは、あたしも嫌と言うほど知っている。
あたしだって散々過去の彼氏たちに裏切られて、離れていった。

男は、信用出来ない。
みんな最初は優しいのに、だんだんあたしを疎ましがる。
そして、優しい顔をして浮気をする。

だからもう、男は懲りごりで、結婚だってしたくない。


だから、
だから、ミドウさんに出会った。


女嫌いのミドウさんが、女のあたしに触れて、手を繋いで、キスをして、抱きしめて。
それは、彼があたしを本当に信用して信頼してくれていて、だから近くにいることを、触れることを許してくれていた?

それなのに、あたしは彼に何も聞けずに、自分が傷付くのがこわいからと、あからさまに彼を避けた。
二回目に会った時、赤い車から降りてきたミドウさんを見て、彼が何者であろうと、それで態度を変えるのは違うと思っていたはずなのに。

お互いの、何者でもなかった二人の、半年かけて築いたはずの信用と信頼を、あたしは信じないで、
そして彼の正体を知った時、その事実だけを見て話もせずに決めつけた。

それが彼を傷付けることだと気付きもせずに、もう何も考えたくないと、

……あたしは、逃げたんだ。


「部長……、あたし、彼に酷いことをしてしまったかもしれません……」

「ね、牧野さん。彼のことが好きなら、会って顔を見て話をしなきゃ。知ることがこわいのは分かる。でも、それは必ずしも悪い方向に行くとは限らない。だから、彼に全部話して、話を聞いて、気持ちを伝えて、泣くのはそれからでも良いんじゃない?」

「……部長、」

「ほら、今日は類くんの奢りだから遠慮しないでデザートもっと食べちゃおう?フルーツグラタンとかどう?ワインも頼んじゃう?」


フルーツグラタンって何?とか、お酒はすぐ酔っちゃうから遠慮したいとか色々思うところはあったけど。

今日は、今日だけは部長に甘えて、この「プティ・ボヌール」で少しだけ非日常を楽しんで、そしてもう少し気持ちの整理が出来たら、ミドウさんに連絡をして、話をしなければと思った。













Re: notitle 44

Re: notitle 44





白と黒の部屋に、あたしと花沢さんの会話だけが音だった。

そして心臓と血液の流れるようなドクドクとした音は、動揺しているあたしの中だけで聞こえるものだと分かっていても、この状況に逃げ出したくて震えそうになる足にグッと力を入れて踏ん張った。

例え部長がいたとしても、この人たちの目的が分からない以上、弱みは見せない。動揺も見せたらいけない。
あたしは、ミドウさんの本当の名前も、何も知らない。

大丈夫。
がんばれ、あたし!


「ミドウさん、のことですか?」

「うん」

「モニターの件なら終わりだと、先程も」

「彼はモニター対象じゃない。君が会った他の男たちとは違って、結婚目的ではなく彼とは会っていただろ?」

「それは、そうですけど……。でも対象でないなら尚更、あの人のことを今ここで花沢さんに聞かれる意味が分からないんですが」

話しながら周りをちらりと一瞥すると、胡散臭い男とチャラい男は椅子に座ったまま花沢さんとあたしの話を黙って見ていて、部長はあたしと花沢さんを交互に見て首を傾げた。
これみよがしに一つため息を吐いて話を続ける。

「そのことで、こうやって他の方を交えてまで呼び出される理由も分かりません。私は部長と食事をしに来ただけなんですけど」

「うん。だから食事の前に彼について一つだけ聞かせてほしい。それが聞けたら俺たちは帰るから、そのあとは二人で食事を楽しんでもらって構わない」

嫌だ。
何も聞かれたくない。

不安と怯えで、もうずっと心臓が痛いほどにドクドクと脈打ったまま。
でも話を聞かないことには、この人たちは帰らなさそうだし、聞いたからと言って必ず答えるとも言わなければいい。聞かれるだけなら、それで早く終わらせて美味しいご飯を食べたい。

また一つ大きなため息を吐いて、仕方ないと言った風を装って。
あと少し、がんばれあたし。


「……何が聞きたいんですか?」

「ありがとう。じゃあ一つだけ。なぜ彼と会わずにを避けるようなことを?」

本当に説明も何もなく、もう全てを知っていると言っているかのように。
まさに単刀直入とは、このことだ。

ふぅ、と細く静かに息を吐く。
動揺なんか見せるな。
あたしの考えたことが、彼らが女性を誑かして遊んでいることが本当だったらと想定して話さなければならない。

そして本人がいないところで、こんな風に不躾に聞いてくる人たちを信用しない。
あんたたちの、思い通りになんかさせてやらない。


「彼がモニター対象じゃないと言うなら、それこそ花沢さんには関係ないことです。それに、聞かれたことにも必ず答えるとは言ってませんよ、私は」

「……君は、強情だね」

「個人間で起こったことを当人がいない場で他人に話す理由がないだけです。いくら弟の上司とはいえ、数回会っただけの方にそれを強情などと言われるのは心外ですし、不愉快ですね。
それに彼と会わなくなったことに関しても、どうして花沢さんが知っているんです?あなたとミドウさんはお知り合いなんですか?
もし知人だと言うのなら、どうして私が初めに報告した時に教えてくださらなかったんでしょう?
そして、なぜ会わなくなった理由を本人ではなく、他人を交えてまで関係のないあなたが私に聞いてくるのかも理解出来ません!」


「……ねぇ、何の話をしてるの?ミドウさんって誰?」

部長が話に割り込んで聞いてきたけど、その問いに本当に部長は何も知らずにあたしを連れてきたのかと内心驚きを隠せない。
どういう繋がりがあるのか知らないけど、部長はこの人たちを、それだけ信頼しているということなのだろうか。

この人たち、部長にどう言い含めて私を呼び出させたのかしら。
名家の御曹司たちとあたしの繋がりなど、何もないのに。


「部長には関係ありません。申し訳ないですが、これは私のプライベートに関わる話なので」

「じゃあ、類くんに聞く。さっきから会話に出てくるミドウさんて誰よ?
今日は、みんなと牧野さんが知り合いで、久しぶりに会うのにサプライズで驚かせたいって言うから面白そうだと思って協力したけどさ。どう見てもあんたたちと牧野さん、知り合いじゃなさそうなんだけど、どういうこと?
それに、このままだと私と牧野さんの信頼関係に問題が生じかねない。どうして牧野さんを呼び出させたのか私に本当の理由を聞かせてくれる?」

「それは……、」

花沢さんはあたしから目を逸らすことなく、でも部長の問いかけに答えることも出来ずに黙ってしまった。
それはそうだろう。あたしがミドウさんの正体を知らないと思っているから、迂闊に彼の名前を出せないはず。

この人たちもあたしがここまで頑なな態度を取るとは思っていなかったのか。
でも、この三人だけで突然あたしのところに来ても、絶対に話なんか聞かなかったと思う。

この場は、部長がいるから成り立っている。
話を聞く限り、部長は完全に巻き込まれた形になるだろう。

部長が一番戸惑ってるだろうけど、あたしも今のこの状況が理解出来なくて困っているし、お腹も空いてる!
大体なぜ彼の友人たちが、あたしを呼び出す必要が?
まだ遊べると思っていた女が急に避け始めたから?それなら何でミドウさんがいないの?
どうして関係ない部長にまで嘘を吐いて巻き込むの?

もう、知っているのに知らないふりをするのも何がなんだかややこしくて、お腹が空いていつもより頭が回らないし、これ以上余計なことを考えさせないで欲しい。

もう、この時間を終わらせたい。


「それと、さっきから黙っていらっしゃいますけど、なぜここに美作商事の副社長と茶道表千家の次期家元が?お目に掛かるのは初めてではないですけど、花沢さんのお話に関係しているから同席されているんでしょうか?」

そう言いながら二人を見れば、何とも驚いたような顔を見せてきた。
彼らだって、世間的に見れば社会的地位の高いところにいるような人間だ。どこでも誰にでも顔と名前を知られていたって不思議でも何でもないだろうに。
それに彼らも一度、あたしの前に姿を見せているのに何を今さら。


「……牧野さん、もしかして、「ミドウ ジョウ」の本当の名前を、正体を知ってるの?」

「さぁ、どうでしょうね。それを聞いてどうするんです?彼の正体が何であろうと、初めから何が目的なのか分からず怪しかった。今も不信感を持っているし、信用も信頼もしていないから会うのを止めた。これで良いですか?」

「分かった。何も言わずに不躾に聞いて申し訳ない。確かに俺たちは「ミドウ ジョウ」の知り合いだ。牧野さんからのモニター報告で彼の名前を聞いた時はびっくりしたけど、いくら俺が婚活アプリの責任者とはいえ、マッチングして直接会っている間はそれこそ個人間のことだ。だからそこで俺が彼と知り合いだと教えても意味はないと思ったから敢えて言わなかった」

花沢さんがそう説明すると、やっと胡散臭い男も口を開いた。

「そうなんだよ。俺たちは彼の友人で、君のことで相談に乗っていただけ。彼からここ数ヶ月、君は何かと理由をつけて全く会ってくれなくなったと聞いた。気に障るようなことをしてしまったのか、それとも何か他に理由があってなのか分からなくて悩んでる。彼は今日どうしても外せない出張に行っていて、今この場には来ることが出来なかったけど、俺たちはそれを早く解決してやりたくて、彼に代わって君に話を聞きに来たんだ」

は?
はぁぁぁぁ?

何言ってんの、この人たち。
避けられてる理由も、どうしたらいいのかも分からずに?悩んでる?
はぁん?!
悩んでるのはこっちで、あんた達のせいなんですけど?!


「……理由も分からず悩んでるって?今、この状況だけ見てもフザケてるのは、あんたたちでしょうが……」

「え?」

「そんなに悩んでるんだったら友人なんかに来させないで自分で聞きに来なさいよ……!なによ、出張って?!」

「牧野さん……?」

「もう、いい加減にしてくれます?!あのね!この際、言わせてもらいますけど!
こっちからしてみたら、どこぞの金持ちの坊っちゃんたちが道楽で婚活アプリを使って結婚願望のある女性を誑かして遊んでるようにしか見えないの!わかる?!
初めこそミドウさんを信用しようと、女嫌いも本当だと思って協力しようと思ってたわよ!でもね!半年経ってもお姉さんに会わせようとしないし、会わせるならそれなりに本名だって知ってなきゃおかしいのに、教えようともしない!いくらなんでもおかしいと思うでしょう!
そりゃそうよね、あんな大財閥の御曹司で、いずれは親の決めた人と結婚するなら、その前に女遊びしようって、そんな風にしか見えないの!あんたたちだって様子見て楽しんでたんでしょ?!顔だけは良いから何も言わなくても女の人が近寄って来るでしょうし、お金はあるから結婚詐欺で貢がせようってわけでもなさそうだけど!それなら、今度は結婚願望のない女をその気にさせようって?!
ふざけないでよ!何も言わない教えない、そういう約束だって、そっちからしたら都合良かったでしょうね?!そんなに人の気持ちを弄んで楽しい?!楽しかった?!それならもう二度と!あたしに!一切!金輪際!関わらないでっ!」


もう、この時はブチ切れたという表現が正しかったと思う。
あんなに動揺しないように、弱みも見せないように冷静に話そうと思ってたのに。

四人ともあたしの剣幕に驚いて、ただあたしの言うことを聞くことしか出来ず、口も挟ませないほどに捲し立てた。
こんなことを言ったら本当に一切を断ち切ったも同然で、これがミドウさんに伝われば二度とメールも出来なくなる。

でも、あまりにも酷い。
こうなっているのは、あたしのせいみたいな言い方をされたことが悲しい。
そして悲しいと同時に、怒り。

やはりミドウさんは間違いなく道明寺 司で、半年経ってもその事実を教えてもらえなかった悲しみ。そして、それだけあたしも彼に信用も信頼もされていなかったというこという怒り。

いや、ほとんど八つ当たりだ。
あたしだって彼に何一つ教えてなどいないのに、彼から直接話を聞こうとしなかったないのに、それでも彼からではなく他人を通して会わない理由を聞かれたことに。

なぜ会えないのかと、彼に聞きに来て欲しかったのか、あたしは……!


「この子、スゲーな……」

ポツリとそんなことを呟いたのは、チャラい男だった。
何がスゲーのか知らないけど、フン!と男たちから顔を背けて、全てを言い切って興奮して乱れた息を整えようと深呼吸を数回して、最後は深呼吸と一緒に深い深いため息を吐く。
そして部長を見れば、まだポカンと口を開けてあたしを見ていて、でもそんな顔でも美人は美人で羨ましいと、どこか冷静に見てる自分がいた。


「部長、私はお腹が空いています」

「え、あ、うん?」

「部長は何も知らずに私をここに連れてきたんですよね?こんなことに巻き込んで申し訳ありません。私のプライベートなことではありますが、部長には何があったのか、きちんとお話します。
なので、今はこの三人にはお帰りいただいて、まずは部長と二人で食事がしたいんですけど」

「……うん。うん!部下の話を聞くのも上司の努めよね!オッケー、そういうことなんで、あきらくんたち今日は帰ってね!牧野さんに一つ聞いて答えてもらったから、もう良いよね?
あ、類くん奢ってくれるの?!ありがとう~!はい、さようなら!」

グイグイと両手を張って彼らを部屋から追い出そうとしてくれている部長。
強引で、いつも体当たりしてくるところは直して欲しいと思っていたけど、今回ばかりはそれがなんと心強いことか。
今この中で信用出来るのは、部長だけだ。


「えっ、いやいやいや!この状況で帰れるかよ!著しく誤解してるぞ、この子!」

「あきらくん、うるさい!」

「滋、せめてもう少しだけ話をさせてくれ!これじゃあ司が可哀想だろ!」

「司?!なんで急に司の名前が出るわけ?司が可哀想とか知らないわよ。そっちはそっちで何とかしなさい!本当に私の大事な部下に何してくれちゃってんのよ西門!」


彼らも、あれだけ言わないように気を付けて話をしてただろうに、結局彼の名前を言っちゃってるし!
いや、あたしもさっきミドウさんのことを「大財閥の御曹司」とか言っちゃった気もする。

ぎゃあぎゃあと騒ぐ男三人を追い出してくれた部長。
このあとも心穏やかとは言えなかったけど、部長のおかげで料理が美味しいと感じることが出来たのは、食事が終わるまで何も聞かずにいてくれたからだと思う。
そして食後のコーヒーを飲みながら、あたしの話を静かに聞いてくれた。


最初から、今までを全部。












Re: notitle 43

Re: notitle 43






今日も一日、何事もなく恙無く。

あれから、何かと理由を付けてミドウさんと会うことを断り続けている。
仕事が忙しいとか、親戚の法事がとか、友達との約束がずらせなくてとかとかとか。
でも、それもそろそろ、限界かもしれない。

もう最後にあった日から、二ヶ月以上経っている。

他愛無く送られてくるメールも少しずつ、さりげなく返信を遅らせて、内容も当たり障りないものへと変え、返信する回数も減らしていった。こんなに会わないことはなかったから、最近では、なぜ会えない日が続くのかといったメールも来るようになった。
返信するのも困るなら、そのまますっぱりと見切りを付けて、こんなやり取り止めれば良いのに、どうしても、

……なんとも未練がましい。 


結局あの日、ミドウさんに本当のことを、どういうつもりで会っているのかを聞くことは出来なかったのは、もう終わりにしようと決めたから。
ミドウさんと過ごした半年間の楽しかったあの穏やかな時間を、最後にキスをした思い出を、きれいなままにしておきたかった。
あれだけ恋はしないと誓っていたのに、好きになるのは一瞬だった。だから、もしかしたらこの先もミドウさんよりも素敵で、この人ならと思える出会いがあるかもしれない。
その時に、後ろ向きじゃなく前向きに考えられる理由が欲しかった。

彼の言っていたことは本当かもしれない。でも、本当は嘘かもしれない。
嘘だった時に、また男に騙されたと彼を憎む気持ちを持ちたくなかった。


……いや、違う。
それは違うかもしれない。
思い出をきれいなままで残しておきたいとか、この先も前向きに考えたいとか、そんなことは本当はただの建前で、彼の口から真実を聞くのがこわくてこわくて、あたしは逃げただけ。

きれいなままで終わらせたはずなのに、あたしの気持ちは全然きれいなんかじゃなかった。
心の底に沈ませた気持ちも、信じようと思ったのに聞けなくて逃げた心も、何もかも、きれいじゃなかった。

キラキラした景色や、澄んだ空気や、穏やかな雰囲気だけが恋じゃない。
自分だけを見てほしい嫉妬心、誰にも渡したくないと思う独占欲、もっともっと彼を知りたいと思う気持ちも、全て含めて恋だと知っていたはずなのに、表面だけ取り繕って誤魔化そうとした

そんなこともあったねと、いつか思えるほど軽い気持ちなんかじゃ、なくなっていたのに。

彼との関係を一方的に終わらせる。
それを実行しようと彼と会うことを止めてメールも減らしても、どうしても一人になると彼のことばかりを考えてしまっていた。考えたってどうしようもないし、終わらせると決めたのに考えることを止められない。それならせめて、そのメールも受信拒否の設定にして、返信するのも止めれば良いのに出来ない理由は一つ。

だって、メールを止めれば、もう、本当に終わっちゃう。



秋が近付いてきた今の季節、日も落ちると幾分過ごしやすい気候になっていて、しかも金曜日の今日、週末にしては珍しく残業がなく定時に上がれたことに少しだけ気持ちは明るく、沈みがちだった思考を別方向へと向けることにした。

社屋のエントランスを出て駅に向かいつつ、今日のお夕飯のことと、来週分の作り置きは何にしようか、冷蔵庫の中身と予算と時間配分を考えながら、のんびり歩いていた。
作り置きもなくなってしまったし、せっかく早く帰れるなら今日のお夕飯は久しぶりにお惣菜でも買うか、たまには外食も良いかな~なんて思っていたら、いきなり後ろからドン!と体当たりをされた。
誰でも突然後ろから体当たりされたらびっくりすると思う。転んだりしなかったものの、当然あたしもびっくりしながら何事かと振り向く前に聞こえた声。

「牧野さーん!このあとヒマ?ヒマだよね?!ご飯食べに行こうよ~!」

「部長!びっくりするから、いきなりの体当たりはやめてくださいとあれほど!」

「ごめんごめん!どうしても今日は牧野さんとご飯に行きたかったのに、いつの間にか退勤してたから焦って追いかけてきたの!」

「はぁ……、まぁヒマだから良いですけど。体当たりは止めてくださいね」

「やったー!車、向こうに停めさせてるから行こ!」


彼女は、大河原 滋。
大河原財閥の一人娘で、今年の四月から総務部部長に就任した人。

就任当初は親の七光りと随分言われていたけど、そんな声はすぐに消えた。
自分よりも歳上の課長達にビシバシと指示を飛ばし、初めこそ厳しい面が際立ったこともあったが、元からの性格なのかサバサバと、そしてあっけらかんとしていて、とても頼もしく豪傑と言わんばかりの彼女に好感を持つ部下は多い。
そして、あたしと一つしか歳が変わらないと知って本当にびっくりした。

すごい。尊敬する。
あたしみたいに穿った見方も出来ず、捻くれてお局枠で主任になったと思っていたあたしには、一つ歳上の部長がとても格好良く見えた。そして部長は美人だ。身長も高く、容姿麗しい。まさに才色兼備とはこういう人のことを言うのだろう。

総務部には部長以外に女性の管理職はいない。あたしは管理職ではないけど、総務の中では管理職に一番近い立ち位置にいる為か、部長には何かと気にかけてもらっていて、彼女が部長に就任して半年経った今では時間が合えば一緒にご飯でもと昼休憩や退勤後に外に連れ出されることが、しばしばあった。


「今日はねー、フランスレストランの「プティ・ボヌール」予約してるんだ!」


彼女とご飯のお供をするようになって始めこそ驚いたものの、最近ではすっかり見慣れた運転手付きの車体の長い車に乗り込み、どこに行くのかと尋ねたら。

「プティ・ボヌール」ですって?!
全ての始まりであるだろう、あのレストラン!
よりによって、あのレストラン!

でもちょっと待って、部長は予約してるって言った?
いま誘われたばかりのはずなのに、予約してた?


「……部長?もし私に予定があったらどうするつもりだったんです?」

「一人で食べに行ったけど?」

ぐぅ、と声にならなかった音が喉で鳴った気がした。
この人も財閥の令嬢で、このレストランの予約など容易いことなのだろう。突然一人減ったところで困ることもないのだ、きっと。
しかし、二度と行くことはないだろうと思っていたレストラン。
行けるのなら他のメニューも食べてみたい!

レストランのオーナーが誰で、関係者に誰がいるかを考えなかったわけじゃない。
でも突然行けることになったレストランに、まさか偶然でも花沢さんがいるわけないだろう。

週末の開放感と、程よい空腹と、メニュー開拓したいその欲求に逆らえず、沈みがちな思考を変えさせてくれるような魅惑的な誘いに惑わされ、のこのこと部長のあとに付いて「プティ・ボヌール」へ足を踏み入れたことを、あたしは猛烈に後悔した。



「な、なんで……」

レストランに着いて案内されたのは、前回と同じ個室だった。
そこには既に先客がいて。
先に入った部長を、上司だと分かっていても思わず睨むように見てしまった。

「わぁ、牧野さんこわい!」

「部長、どういうことですか」

「いや、私も頼まれただけでね?」

「……帰ります」

「待って、牧野さん!」

そう言ってあたしを呼び止めたのは花沢さん。

「話があるんだ」

「何の話ですか?モニターの件は終わりにして欲しいと半年以上前にこちらからお願いしましたけど、それに関しては花沢さんも納得していただけたかと思ってましたが」

「モニターの件じゃない」

「それなら花沢さんとはそれ以上にお話することなんてないはずですが」


個室にいた先客は、男三人。
花沢さんと、胡散臭い男と、チャラい感じの男。

これはもう、彼についての話なんだろうと推測せざるを得ない。
なぜ部長が嘘を吐いてまであたしを連れてきたのか。頼まれただけと言っていたから詳しいことは知らないのかもしれないけど、あたしを騙すように連れて来たことに不信感は募る。

あたしがミドウさんの正体に気が付いてないと思っているはずなのに、彼の友人三人が一緒にいる所に連れてこられた意味は?
初対面の人にする態度じゃないのは分かっているけど、状況があまりにも受け入れがたくて、思わず眉根を寄せて大きくため息を吐くなど不信感を持った表情と態度を隠せなかった。


「君が、牧野さんが婚活アプリで会っていた「ミドウ ジョウ」のことで話があるんだ」











Re: notitle 42

Re: notitle 42





ピンポン、とオートロックのチャイムが鳴る。

がんばれ、あたし。
大丈夫。いつもと同じで、会う場所が違うだけ。

そして、それが今日で終わるだけ。
何でもないふりをして、何も知らないふりをして。

がんばれ、あたし!



そして、玄関のチャイムが鳴る。
がんばれ。がんばれ、あたし。
あたしは、何も知らない。今まで会って話していたミドウさんしか知らない。
ミドウさんの本当の姿を知っていると、思わせたらいけない。

大丈夫。

あたしは、雑草のつくし、だから。





ミドウさんと一緒にお好み焼きを作った。
予め材料だけは揃えておいて、タネは同じだけど、ホットプレートで焼くときに全部違う具材を乗せて小さいお好み焼きをたくさん作って味比べして。
ミドウさんは自分で作ったことがないらしく、お好み焼きもお姉さんが作ってくれた時に食べたきりだと言う。
それで好物ってどういうことなの?と思うけど。

シーフード、チーズ、お餅、豚肉、じゃがいも、ツナ、納豆、たらこ。

始めは上手く返せなくて生地をぐちゃぐちゃにしてたミドウさんも、だんだん上手にひっくり返せるようになって、崩さずに返せた時は嬉しさのあまりハイタッチまでした。

たくさん焼いて、二人でたくさん食べて。
食べきれなかった分はラップに包んで作りおきで冷凍することにして、粗熱が取れるまでお皿に載せて台所に置いてある。

ホットプレートとボウルと、菜箸とフライ返しと、お皿と、いろいろと片付けて洗って拭いて仕舞う。
台所で器用にクルクル動くんだなとか、先の先まで考えて使って片付けて作るなんてすごいとか、なんだかいつもしている当たり前のことを褒められて、なんだかこそばゆい。


ミドウさんは家事を一切したことがないと言った。仕事が忙しくて家の中まで手が回らないから、定期的にハウスキーパーさんが来るらしい。だから、自分のことを自分でしっかりやってるクシマは偉いなって。
ミドウさんが家事を出来ないのは、仕事が忙しくて頻繁に出張に行ってるから仕方ないことなのに。
ご飯もほとんど外食で、家に調理器具は一切なく、あるのはコーヒーメーカーくらいだとか。

お好み焼きじゃなくて、コーヒーを好物にしたら?なんてクスクス笑いながら言ったら、それならミントタブレットも好物にするか、なんてまた笑いながら話す姿に、胸が締め付けられる。


ダイニングテーブルを片付けて拭いて、二つのグラスに冷蔵庫で冷やしておいた麦茶を注いでコースターの上に置く。
お好み焼きで少し油っぽくなった口の中を麦茶ですっきりさせたかったから、コーヒーは後にした。
麦茶を注いだばかりなのにグラスの表面はすぐに結露して、溢れた雫はコースターに吸い込まれていく。


「クーラー入れてたけど、ホットプレート使ってたからやっぱり少し暑いね。お好み焼きの匂いも篭ってるし、ちょっと窓開けるね」

ダイニングテーブルから離れてリビングのベランダに繋がる掃き出し窓を開ければ、室内のクーラーで冷やされた空気の代わりに外の暑い風がレースカーテンを揺らす。
そして、窓を開けた途端にその暑い風と一緒に、劈くように重なった蝉の声と車の音、遠くに聞こえる電車の音と、近くの公園や道路で遊ぶ子どもたちの声が雪崩のように吹き込んできた。

ああ、あたしの日常はこれだ。

不意にそんなことが頭を過ぎった。
特別なことは何もいらなくて、朝起きてご飯を食べて、働いて、お風呂に入って、寝る。

おはようと、いただきますと、いってきますと、ただいまと、ごちそうさまと、おやすみなさい。
そんなことで良い。

あたしを育ててくれた家族のように、愛した人と、こんな風に何でもない日常が特別で良い。
贅沢な暮らしがしたいとか、仕事で出世してとか、そんなことじゃなくて、ただ今のこの暮らしを、大事にしたい。

そして一緒に大事にしてくれる人と、愛し合いたい。


窓を開けてもダイニングに戻らず、ぼんやり外を眺めていたあたしの隣に、いつの間にかミドウさんがいた。
そんなあたしに何を声を掛けるわけでもなく彼は隣に立っていて、そしてしばらくしてポツリと一言呟いた。


「いつか、こんな何でもないような日常の中で、暮らしたい」


涙が、あふれそうになって、ミドウさんを見ることが出来なかった。

どこまでが本当で、どこまでが嘘?
今の言葉も、嘘なの?

信じたい。
信じられない。

好き、なのに、ミドウさんを信じられない自分が嫌だ。
あたしの彼に対する信頼や信用を失くすようなことをしているかもしれないミドウさんが、あたしの更なる混乱を生む。

でも、さっきまでの穏やかな雰囲気と、いつも通りの言葉の掛け合いと、部屋の片隅に並べられた沢山のお土産と、後で渡そうと思ってキッチンカウンターに置いてあるミントタブレットと、沈黙すら心地良いこの空間が、ミドウさんが、好きで、好きで、すたすらに愛おしい。

ざあっと強い風が吹いて、レースカーテンがハタハタと音をたてて揺れて、あたしの髪の毛を巻き上げた。


「……クシマ、髪の毛が」

あたしの口元に引っ掛かった髪の毛を取ろうと、ミドウさんの指先が頬に触れて、その手の熱さに思わず顔を上げてミドウさんを見た。

思ったより近くにミドウさんの体があって、でも外で会う時はヒールのある靴を履いていることが多いから、視線はいつもよりほんの少し遠いなって思った次の瞬間、その視線は目の前にいて、そして唇に柔らかいものが当たっていた。
でもそのさり気なさと不自然さを感じさせなかった行為に、猜疑心よりも、あたしの中の欲望が上回ってそれを拒否しなかった。


だって、ミドウさんに触れたい、触れて欲しいと思うほどに、やっぱり好きで……、もっとミドウさんに触れて欲しくて、離れそうになった唇を離したくなくて、咄嗟にミドウさんの両頬に手を当てて今度はあたしからキスをした。

そうすればミドウさんもあたしを離すことなく、そのまま受け入れてくれて、ああやっぱり女嫌いなんて嘘なんじゃないかと、でもそれが嘘なら、あたしを嫌がらないでくれるなら、少しでもミドウさんを感じたかった。

だって、もう今日を最後にするから。

唇の、その唇の熱さを少しでも分けてもらって、その熱さを、日常に紛れ込んだ非日常を、忘れたくない。


好きな人の、熱を……、夏の暑さと風の熱さで誤魔化して、ミドウさんの首筋に滲んだ汗を指で掬ったら、ベランダに置いてある室外機の音が大きく鳴った。
クーラーが設定温度に合わせようと稼働を強めたのか、外からの暑い風と室内から送られる冷たい風が、あたしとミドウさんに当たる。
暑い風と冷たい風に当たって、でもそれが混ざって温くなるわけでもなく、なんだかそれがあたしのチグハグとした心の中を表しているようだった。

いつの間にか唇は離れていて、閉じていた目を開けてミドウさんの目を見たら、熱が籠ったような視線を向けられていて、その視線はまるで、あたしのことを好きだと言わんばかりの熱を、持っているように見えた。

どこまでが嘘で、どこまでが本当かなんて、そんなのは些細なことだと、今までの、あたしが見ていたミドウさんが全てで、もしそれが全部嘘だとしても、今の、この瞬間のミドウさんは、あたしにとって本物だった。


ミドウさん。

好きで、好きで、大好きなミドウさん。

だから、今だけは、このままのミドウさんでいてほしい。

今日この部屋を出るまで、あたしだけのミドウさんでいてほしい。


熱と暑さに視線を逸らせば、ミドウさんの首筋の汗が、さっき掬ったのにまた少し滲んでいた。
いつものコロンと彼が混ざった香りに誘われて、それを纏わせるように首に指先を滑らせる。そして背伸びをして彼の首筋に顔を埋めて、抱きついてみた。
その瞬間にミドウさんはビクっと体を震わせたけど、体を離されることはなく、そしてゆっくりとミドウさんの腕が、あたしの背中に回された。

いま、この瞬間だけは、ミドウさんを信じる。

抱きついた時に震えた体を抱きしめながら、そう思った。


優しく抱きしめてくれる腕を、信じた。



これが最後だから、
きれいなままで、終わりにさせて。













Re: notitle 41

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車に乗る前に見た、メガネを外したミドウさんの素顔。
その顔を見た瞬間に、なんで今まで自分は気が付かなかったのか、馬鹿にも程があると思った。



知っている名前だけでもと調べてみたら簡単だった。

道明寺 司と花沢類。

この二人でウェブ検索してみれば、まず出てきたのは「F4」という単語。
そこから辿れば辿るほどに、容易く出てくる情報。SNSが発達した今、余程のことでない限り、ある程度は情報として出てくる世界だ。

道明寺 司、花沢 類、美作あきら、西門総二郎。眉目秀麗で花のような男四人組で「F4」。
ここ半年の間に、やたら規格外なイケメンに遭遇するとは思ってたけど。なるほど、それとなくさり気なく見られていたのか。

この四人、幼い頃から素行は良くなかったらしい。学生時代は暴力行為が多かったようだけど、今はそれぞれ立場もあるみたいだし、目立たないように悪巧みしてるのか。それこそ、こんな大企業や名家の御曹司なんだから、金に物を言わせて握り潰した不祥事もありそうではある。

まさに金持ちの道楽と言えるだろうか。
だから素性も名前も仕事も言わない訳だ。


なによ、メールアドレスの桜餅って。
道明寺じゃすぐにバレるかもしれないから桜餅なわけ?

……ちょっと待って。

ミドウ、ジョウ?
そこから考えること数秒。

「ドウミョウジ」を並べ替えただけじゃない!
あたしも「マキノ ツクシ」を入れ替えただけだけど、今までニックネームにそこまで意識を持っていくことはなかった。

まぁでも初めに可能性として考えた金持ちの坊っちゃん説が当たるなんて、あたしの勘もなかなかじゃないなんて自分を少しでも慰めようとしたけど、そんなことで負の思考の連鎖を止めることは出来なかった。


この人たちは結婚願望のある女性をターゲットにして遊んでいて、今回たまたま結婚願望のないあたしに、いかにその気にさせるか反応を見て楽しんでいたとか?
きっとこういう人たちはもう親が結婚相手を決めていたりするんじゃないだろうか。政略結婚とか聞くし、そうなる前に遊んでおこう的な?

ん?
家族に結婚を強要されるっていうのはあながち間違いでもなくて、女嫌い云々はともかく、まだ遊んでいたくて結婚を阻止したかったってこと?

……結婚だけは絶対にしたくないけど、女遊びはしたい?
でもそれなら女嫌いの設定は面倒じゃないだろうか。
そんな設定にしなくても今まで女遊びをしてたなら、いくらあたしが結婚願望をもっていないからって、女嫌いなんてまわりくどいことをしなくても手練手管はありそうなものだけど。
それに結婚を阻止したいのに、ご両親ではなくお姉さんを出してくる理由もいまいち分からない。

う~~~ん?

それにしても花沢さんも一緒にいたのはびっくりした。
でも花沢さんがあの婚活アプリの責任者だ。そこからターゲットを探して遊んでたのなら公私混同甚だしいけど、金持ちの道楽に理由も意味も分かりたくないし、話を聞いたとしても理解出来ない気がする。

……まさか、進まで加担させられてるのだろうか。
いや、進はそんな悪いことが出来る子じゃない。身内の贔屓目とかじゃなく、あの子は弱気なことが多いけど、筋を通す芯のあるしっかりした子だし、隠し事も下手だからそれはないだろうと思う。

きっと進が花沢さんに「プティ・ボヌール」に行きたいと言ったことが発端なのかもしれない。
そしたらきっと、全てはあたしだ。
交換条件に行きたいなんて言わなければ済んだ話で、連れて行ってくれるという話を断れば良かったのだ。なのに滅多に入れないレストランに行けることに浮かれて、花沢さんに申し訳ないと思いつつも行ってしまった。
そこで花沢さんに目を付けられたのであれば、もう自業自得としか言いようがない。花沢さんもそんなことするような人には見えなかったけどな……。

あ、あたしは男の見る目のない女だった。

花沢さんはアプリの責任者だから「ミドウ ジョウ」のプロフィールだって、どうにでも出来るのだろう。
今まで何人の女性が騙されてきたのかなんて考えても今さらどうしようもないし、いま現在で言えば、あたしに結婚詐欺や金銭的な被害はないから何かをどこかに訴えることも出来ない。

お金持ちでイケメンな人たちのまわりには自ら声をかけなくても、きっと沢山の女の人が集まるはず。だからミドウさんの正体を知ってしまった今、こんなことをしているのは明らかな犯罪になるような結婚詐欺でも、お金が目的ってことでもなく、単純に人の気持ちを弄んで楽しんでいるようにしか見えないのだ。
半年もかけて随分凝った遊びをしてると思うけど、だからといって女性を騙すようなことをするなんて許せるものでもない。


いや、決めつけは良くないのは分かってる。
まだ本人から何も聞いてないし、何を聞かされたわけでもない。自分が悪いほう悪いほうへと考えてしまう癖があるのも分かってる。

でも「聞いても答えたくなければ答えなくていい」と自分から言ってしまっているから、それを持ち出されたらもう何も言えないし、それ以上は聞けない。

こわい。
ただ、ひたすらにこわいのだ。
好きになった人に騙されていたかもしれないということが、こわい。

これが、このあたしの想像が、本当に本当だったら。

なんでこんなことになっちゃったんだろう。
あの穏やかな空気も、気まずくない沈黙も、大きな温かい手も、香りも、お土産も、全部……、

全部、嘘、だったら?


風船のように大きく膨らんだ気持ちは、彼の元へ飛んで行かないようにと括り付けた紐を必死に引っ張っていたけど。
もういっそのこと、その手を離して空へと放してしまえば簡単なのに、半年かけて少しずつ膨らんだものを割れないように飛ばされないように大事に大切にしてきたものを、本人からきちんと話を聞かずに手放すことも出来なくて。
でも悪い方へと向かう思考を止めることも出来なくて、だんだんと萎んでしまいそうなこの膨らんだ気持ちも、最後はあの人のところへ飛んでいくことも出来ずに、へちゃりと形を失くして、また心の底に落ちていくのだろうか。

今まで見えないフリをして、心の奥の奥に押し込んで蓋をして、何重にも鍵をかけて、何かを誤魔化してきた。
それを深く深く、心の底の見えないところまで沈めてしまえるように、目に見えるものは全てそこに捨ててしまえれば良い。
そして、また鍵だけが増えていく。それはまるでパンドラの箱のように、あたしの中の汚いモノの成れの果てが詰まってる。

考えても考えても、どうしても楽観的な考えには至らなくて、それでも時間はみんな平等に流れていく。
ちょっと前までは楽しみだった二週間が、こんなに気の重いまま過ごす二週間になる日が来るとは思わなかった。


ミドウさんから食べたいとリクエストされたのはお好み焼きだった。
幼い頃にお姉さんに作ってもらって食べてから、好物になったって言ってた。あんな大財閥の御曹司の好物がお好み焼き。

もうどこからどこまでが本当で嘘なのか分からない。

こんな、半年かけて作ってきた信用も信頼も、根底から覆されるような、人間不信にもなりそうなことが起こるなんて。


そもそもに出会い方からして怪しかった。
その疑いの目を最後まで持っていないといけなかったのだ。
男を見る目がなくて、お人好しで、頼まれたら断れない。自分がそういう人間だと分かっていたはずなのに。

あれだけ恋なんてしない、結婚もしなくていいと思っていたのに、それが恋だと気付いたら坂道を転がるように落ちていって、止めることなんか出来なかった。

違う。
止めたく、なかった。
ミドウさんとならと、一瞬でも夢を見てしまったから。

馬鹿すぎて自分を嫌いになりそう。

誰かに話を聞いてほしい。
どうしたらいいのか、教えてほしい。

でも、こんなこと誰にも言えない。
巻き込めない。

あたしの将来を心配してくれた両親に、それを頼まれてどうにかしてやりたいと思ってくれただろう進に、そして話を聞いて応援してくれた優紀に。

言えるわけない。

これは、あたしの問題だ。


あたしが、一人の男に恋をして、終わりにしようとしている。
それだけの話なんだから。
















Re: notitle 40

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テーブルに顔を突っ伏したまま、なかなか顔を上げない彼女の肩を揺すりながら話しかけた。

「おい、まさかまた風邪がぶり返して熱があるんじゃないのか?大丈夫か?すげぇ顔が赤いぞ」

すると彼女はガバッと顔を上げるから、肩に置いていた手も自然と離れた。
風邪じゃないから大丈夫と、なんとも弱々しい声で話す彼女の顔は、まだ赤い。彼女はグラスに入ってるアイスカフェオレをストローで忙しなく動かして氷をカラカラと鳴らしている。
そのアイスカフェオレを飲もうとストローに近付けた彼女の唇に、つい視線が向いてしまった。
好きだと知った途端に、煩悩に塗れる俺の頭の中。

それを誤魔化そうとしたのもあるけど、本当に大丈夫なのかと、今度は彼女の額にぴたりと手を充てれば、彼女の言う通り熱はなさそうだった。
じゃあ何であんなに顔を赤くしていたのだろうか。
少しの距離だと思っていたけど、あの暑い中を歩かせたのが良くなかったか。もう一度首を傾げながら彼女の額から手を離すと、まだ彼女の顔は赤いままで、そしてその黒い瞳を更に大きく見開いて俺を見ていた。

「なんだ?どうした?」

「いや、あの、なんでそんなに普通に、私に触れるのかな、って思って……」

「うん?だって練習してただろ?」

「そ、それは、そうだけど!ちょっと前まで、手に触るのだっておっかなびっくりだったのに」

「クシマは俺の嫌がることはしないって信頼してるから大丈夫だ。もちろん俺もクシマの嫌がることはしない。俺はもうクシマに触られるのは嫌じゃないし、それに練習させてくれるくらいだからクシマも俺に触らるのは嫌じゃないんだよな?だからクシマが触るなと言わない限りは俺も遠慮なく触ることにした」

「私から触っても大丈夫なの……?」

「さっき手を繋いだのはクシマからだったろ?」

「……うん」

「もう大丈夫だから、気にしないで好きなだけ触って良いぞ」


そう言いながらニコニコと話すミドウさんに、やっぱりモヤモヤしたような、寂しいような気持ちが出てくる。
そこまで触れ合えるということは、もうすぐこの関係も終わるってことなんだよね?
お姉さんに会って、結婚話がなくなって、そしてあたしと会うのを終わりに出来そうだから、そんなにご機嫌なの……?
それが寂しいと思ってるのは、あたしだけ?

でもミドウさんはさっきから、あたしが看病してくれるなら風邪を引いてもいいとか、レストランよりあたしの作ったご飯が食べたいとか、遠慮なくあたしに触ることにしたから俺に触って良いとか、何のつもりなんだろう。
期間限定の、今だけの関係なのを分かってて言ってるんだよね?何でそんなありえない未来の話ばかりするんだろう?

ミドウさんが女とは付き合いたくない、結婚なんて絶対にしたくないって言った。だから、それを阻止する為に協力して、お姉さんに会って、おしまい。
そう、言ってたよね……?


なんだか急に、何かがいつもと違うような気がして、あたしの中でじわじわと広がる得体の知れない不安感と、疑問と、あとは怒り?

この人、何がしたいの?

ミドウさんは本当にいい人だと思ってるし、信頼もしてる。
女の人は嫌いって言って、本当に触るのも触られるのも嫌そうに見えてたから。
なのに、この変わり様はなんだろう?
お見舞いに来てくれてから今日までの二週間の間に、何かがあった?

いや、お見舞いに来てくれた時にはもう、いつもよりミドウさんから触れてくる回数は多かった。
その前は、あたしがキャンセルしたから、会わなかった一か月の間に何かが、あった……?


……それとも全て、初めから?

そうだ。この人は初めから怪しかったではないか。
だから、信頼関係を築く為に友人からならと始めたのに、次第に柔らかくなっていく雰囲気に、その怪しいと思ったことを忘れていた。

散りばめられたものを集めて考えれば、何もかもが、本当は、初めから全部嘘だったのではないかと……、

高級ホテルのお土産、日本各地に世界各国を飛び回ってて、高級外車を持てるような人がお友達。

やっぱり、冗談かと思っていた金持ちの御曹司説が本当で、あの胡散臭い友達とグルになって、結婚願望のある女の人を揶揄って騙して落としたらおしまい。みたいなことをゲーム感覚で、やってるとか……?

本当は全然女の人も苦手じゃなくて、結婚を阻止するなんて話も嘘で、そんな嘘の話に騙されて、体調が悪くなればお見舞いなんて優しさを見せて迂闊に部屋に上げて、お人好しな馬鹿な女だなって?

だからなの?
だからあんなに家族に結婚を迫られて困ってるって言ってたのに、半年経ってもそれ以降何も言わないし、お姉さんに会ってくれとも言わなければ、名前も仕事も、知らないまま。

聞かれても言いたくないことは言わなくていいと、初めに言ったのはあたし。
初めから騙して揶揄うつもりで、いつか怪しまれて何かを聞かれてもはぐらかして教えるつもりもなかったなら、そんな好都合な条件ないよね。

さっきまで浮かれて、恋人同士に見えたら良いななんて思って、実際に交際しているように見られてて、そんなことで学生みたいに若い子気取りで顔を赤くしたりして。
どうやってミドウさんに好きになってもらえるかなんて優紀と話して、いつもより少し女らしさを出したりなんかして。

あたしこそ、期間限定だって分かってて、こんなこと考えて、浮かれて、
……馬鹿みたいな、


ほら、馬鹿を見た。

余計なお節介で、手のかかる兄のお世話をしていると思えばなんて、軽く考えて。また同じことの繰り返し。
ミドウさんと結婚したいとか、そういうことじゃなかった。ただ、あの穏やかな空気と、忌憚無いやり取りと、日常に入り込んだミドウさんの香りと、手と。

一緒にいるだけで、良かった。

それがあまりに居心地が良くて、また勘違いした。
もう恋も結婚もしないと、そう思っていたのに、何度も何度も何度も、何度も!

進にも、優紀にも言われたのに、あたしを心配してくれてる大事な人の言葉を聞かずに、婚活アプリで知り合った人の話を鵜呑みにして。

そうだよね、あたしなんて平凡を絵に描いたような何の特徴もない、美人でもなくスタイルが良いわけでもない、際立って得意なこともない、ただぼんやりと何もない日常を過ごしてるだけの、男を見る目のない女だった。

でも、彼がどんな意図を持っていたとしても、差し入れを持ってお見舞いに来てくれたことは嬉しかった。
助けられたし、お礼をしたいのも本当。

まだ、本人に本当の話を聞いたわけじゃない。
どういうつもりなのって、聞いてからでも遅くはないのかもしれない。

でも、こわい。
それが本当だと言われたら、あたしはあたしじゃいられなくなりそうで。
さっき感じた得体の知れない不安と、この恐怖は何に対して感じているのか、自分でも分からない。
今まで知らなくても何も感じなかったのに、好きだと気付いてから知らないことに恐怖する。

それならもう、何も聞かずに知らないふりして、何も気付いてないふりをしたまま、最後に彼の希望通りに手料理を振る舞って、彼と過ごすその日を思い出にして、もう、この恋を、おしまいにする?

知るのも、知らないのも、同じくらいにこわい。
今ならまだ、間に合う、よね?

そう思ったらなんだか、すぅと頭の中がクリアになったような、でもどこかぼんやりしていて、ニコニコとあたしを見ているミドウさんとあたしの間に一枚のクリア板があるような、そんな感覚。
それはぼやけて歪んで、知っているはずのミドウさんが、目の前にいるはずのミドウさんが、見えなくなっていくような。

何が、どこまでが本当で、嘘なのか、分からない。

笑って誤魔化して、他愛ない話をして、そんなあたしを俯瞰しているような、そんなどこか他人事のように考えながらも表面はきっといつも通り、にこりと笑いながらミドウさんと話が出来ているはず。
いつも通り、お土産とミントタブレットを交換して、貰ったお土産に喜んで、はしゃいで。

そして二週間後に、うちでミドウさんにご飯を作る約束をして、いつも通り喫茶店の前で別れた。


それは、あたしの中にある女の勘なのか、彼に対して失くしかけている信頼のせいなのか。

いつもと違うことばかりの今日は、あたしもいつもと違っていた。
だからこれは偶然ではなく、必然だったのかもしれない。

そんなこと今までしたことなかったのに、この日はなぜか、こっそりミドウさんの後を付けた。
こんなことするべきじゃない、今すぐやめろと、頭のどこかで警鐘が鳴り響いている。それでもまだ心のどこかで、彼を好きだから最後まで信頼していたいと思うあたしの気持ちが、足を進めてしまった。


ミドウさんは喫茶店から少し離れたところにあるコインパーキングに入った。
そこには先日見た、あの赤いスポーツカー。そして、その車の中から三人の男が出てきた。

胡散臭いと思ったミドウさんの友人と、
二回目に会った時に喫茶店にいたイケメンと、
花沢さん。

彼らと笑いながら少し会話をしたあとに、ミドウさんはメガネを外して、当たり前のように運転席に乗り込み、他の三人を乗せて、そして去っていった。

なんで、こんな時ばかり女の勘は当たるのかな。


どこからが本当で、どこまでが嘘かなんて、知らないほうが、分からないままが良かったのか。

いずれ、馬鹿な女だなって正面から言われた時の為に心構えが出来る分、知って良かったのかもしれない。
それをいつ言われるのか分からないけど、やっぱり二週間後にミドウさんに会ったらそれでおしまいにしようと、さっき考えていたことを思い出して、そして、視界が歪んで、纏わりついて暑いはずの空気の中で、頬を伝う涙だけが冷たい。


天国から地獄、だ。














Re: notitle 39

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カランカランと、いつもの喫茶店の扉を開くと鳴る音に、もう流石に手を離すだろうと思ったけど、ミドウさんはずっと手を繋いだままだった。
いつもカウンターの向こうにいるマスターらしき年配の男性と、いつもの若いアルバイトの子が、ミドウさんとあたしと繋がれた手を見て、おや?と言うような顔をした。

ですよね!
いつもと違うパターンですよね!
あたしもびっくりしてるんです!なんて言えるはずもなく、ミドウさんは案内しようと近付いてきたアルバイトの子に、いつもの席の座るぞと声を掛けて店内をゆったり歩いていく。
そしていつもの窓際の席に座る時になって、やっとそれに気付いたように繋いでいた手をパッと離した。

もう、なに、それ。
なんで今日は色んなことがいつもと違うの?
もうすぐ終わりだからと、色々試しているのだろうか。どのくらい長く触っていられるか挑戦してみよう!みたいな?

いつもの癖で悪い方へズブズブと思考が沈んでいく手前で、ご注文は?とアルバイトの子に声を掛けられた。
ミドウさんはいつものブレンドコーヒー、あたしはアイスカフェオレとチーズケーキにした。
注文を済ませて、そして二人の間に流れる沈黙は、いつもと違うパターンでお店まで来たにも関わらず、それだけは変わることなく気まずさはなかった。


「風邪はもう大丈夫なのか」

「あ、うん。あの時は本当にありがとう。ああいう時、一人暮らしだとどうにも出来ないことのほうが多いから、来てくれて本当に嬉しかったの」

まぁ、それでミドウさんを好きになってることを自覚したんだけど。
今はまだそれを表に出して見せてはいけないモノだから、静かに心の中にしまっておくことにした。

「そうか。それなら、行って良かった」

「うん。いつかミドウさんが風邪を引いたら、今度は私に看病させてくれる?お粥でも何でも作れるし!」

「ああ、その時は遠慮なくクシマに頼む」

「えへ。任せといて。料理は得意だから、……、」


いつか。
自分で未来の話をしておいて、そんないつかはきっと来ないだろうことに、言ってしまってから気が付くなんて。
いつかの未来への希望もないのに、会って、顔を見て、話せば話すほど、隠そうとしても隠しきれなくなりそうなくらい、風船みたいにどんどん膨らんでいく彼への好きの気持ち。
それがふわふわと宙を舞って彼のところへ行かないようにと、膨らむ気持ちに紐を括り付けて必死になって引っ張りながら、まだそっちに行かないでと引き止めて、心の中にもう一度閉じ込めた。
優紀には、どうやって好きになってもらうかなんて色々知恵を授かったけど、今まで誰とも交際などしたことないだろう彼に気付いてもらえる自信もない。

「クシマ?」

一瞬ぼんやりとしてしまって、何とか誤魔化そうとした。

「ううん、風邪なんて引かないで元気でいるのが一番なのに、ミドウさんが風邪引いたら~なんて言っちゃったから」

「クシマが付きっきりで看病してくれるなら、風邪を引くのも悪くないけどな」

あーーーっ!
もう!なんなの今日は!
どうしたの、この人!

だって、あたしが看病するなら風邪を引くのも吝かではないって、そういうことだよね?
もうすぐこの関係も終わりかもなんて思ってるのに、彼はそれを簡単に打ち消すようなことを言う。

何を考えてるの?
もうすぐお姉さんに会ったら終わりなんだよね?
そうしたら、いつ引くかも分からない風邪の看病だって出来るわけがないのに。

「ああああ、あのさ、こないだのさ、約束ダメにしちゃったお詫びと、お見舞い来てくれたお礼がしたいんだけどさ、何か、して欲しい事とか、欲しい物とか、ある?!」


なんでクシマがそんなに慌てたように話すのか分からないけど、そんな変なこと言ってないよな、俺。
でも確かに今日はいつもと違うようなことばかりしている自覚はある。
正直に言えば、クシマと手を繋いで歩いたことも、病気になったら付きっきりで看病すると言ってくれたことも、彼女にとっては何でもないようなことなのかもしれないけど、俺にとっては初めてのことばかりで、それが好きな女のことだから余計に浮かれているとは思う。

それに、お詫びにお礼。
別に大したことはしていないし、あんなのどうしようもないことなんだから気にしなくて良いのに。

だからそんなものはいらないと言おうと思った。
ただこれからもずっと一緒にいてくれれば、俺はそれだけで満足だし。

でも、あえて一つだけ、言っても良いなら。


「何でも良いのか?」

「へぇぃ?!あっ、あの、あんまり高い物とかは困るけど」

「……飯、作って」

「え、ご飯?」

「ああ。クシマの作った飯が食ってみたい」

類が食ったことあるのに、俺がクシマの手料理の味を知らないままなのは、腹が立つ。

「なんだ、そのくらいならいつでも、いくらでも作るよ~!でも、それってお礼になる?それよりも、どこかのレストランとかで食べたほうが良くない?」

「いや、クシマのじゃないと嫌だ。クシマの作ったものが食べたい」

そう言いながら彼女を見たら、今まで見たことないほど顔が真っ赤になっていて、何かを言いたいのか言いたくないのか口を開けたり閉じたりしていた。

え、何だ?
何か変なこと言ったか?
クシマの作った飯が食いたいって言っただけだよな?
今はもう店の中にいて、空調は十分効いてるからそんな暑くないし、何がそんなに彼女の顔を赤くさせているのか分からなくて首を傾げた。


「コーヒーとケーキお待たせしました~」

そこへニコニコとしながら店員がコーヒーとケーキをテーブルに並べていく。もう何も言わなくてもケーキとカフェオレは彼女の前に置かれるようになったし、ブレンドコーヒーはもちろん俺の前に。
しかし、いつもと違うことをしている俺たちに、周りも違うことをするのは必然だったのかもしれない。ましてや、ここの店員は半年間の俺たちを見ていたのだから。

「あの~、ここしばらくいらっしゃいませんでしたけど、いつの間にお二人はお付き合いを始められたんですか?」

「えっ?」

「ははは、良いですよう、照れなくても!見てれば分かりますって!これからもご利用お待ちしてますね~!」

そう言いながら店員はニコニコ顔を崩すことなく、別の客に呼ばれてテーブルから離れて行った。

なんだ?!
何があの店員にそう思わせた?
いつもと同じだったはずなのに、特に店に入ってからは別段なにかしたわけではなかったはずなのに。

あ、手を繋いだまま店内には入った。
でもあれは、ずっと繋いでいたくて、でも店内に入って席に着く前に、一瞬空調の冷たい空気が俺とクシマの繋いだ手の間を通り抜けて、ひやりとした感覚に手に汗をかいていたことを知られるのが急に気恥ずかしくなって、だから……、

でもそれだけで付き合ってるとか思わなくないか?!思われるもんなのか?!
いや、そう見られたら良いなとは思ったけど!
どうなんだ?!

一度も恋愛なんてしたことない俺には何でそう思われたのか、いくら考えても分かるはずもなく、呆然としながらも店員から目を離してクシマはと正面に座る彼女へ視線を向ける。
彼女は、両手で顔を被ってテーブルに突っ伏していた。
当然、顔は伏せているから見えないけど、今日はポニーテールにしていてるから、いつもよりよく見える耳は真っ赤に染まっていた。

あぁ?

なんだ?彼女は一体どうしたんだ?

何で彼女はさっきから顔が赤いのか、何で店員は俺たちが付き合っていると思ったのか、もう何がなんだか分からなくて、俺の中でいつもと違うのは、待ち合わせ場所が違ったこと、手を繋いで歩いたこと、彼女のことが好きだと思い始めた気持ちがあることだけ、なんだけど。

あ!
こいつ、もしかして、また風邪がぶり返して熱でも出てるのか?!