sei l'unico che può rendermi felice.

花より男子の二 次 小 説。つかつくメインのオールCPです。

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Re: notitle 58

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牧野つくしという女は、こんなに感情を表に出す女ではなかった。

出会った頃から従順で、常に笑みを絶やさず、さり気ない気遣いが出来る女。
初めはそれが何とも居心地が良かったが、一年経ちお互いの部屋を行き来するようになると段々それが当たり前になり、まるで空気のような存在になっていった。

終わりの始まりは些細なことで、その穏やかな日常が次第に退屈になり、何か刺激が欲しいと思ったことがきっかけだったように思う。
付き合い初めの頃こそ一緒に作っていたご飯も、いつからかつくしが一人で作るようになった。
洗濯物はいつの間にか綺麗に畳んで仕舞われていて、常にアイロンのかかったYシャツに、綺麗に洗われているシーツ。部屋の埃を気にして生活することもなくなった。体の相性も良く、誘ってもつくしに断られたことは一度もなかったと思う。
同僚が自宅に遊びに来るから料理を作ってもてなすようにお願いした時は流石に断られるかと思ったが、十分過ぎるほどに尽してくれた。
つくしは何を頼んでも嫌な顔をせず文句一つすら言わずに笑顔で頷く女。
それはそう、まるで子どもを見守る母親のような。

一度そう思ってしまうと、なんだか途端に退屈なような、仕事も順調で何不自由なく生活出来ているのに、そんな日常にどこか単調で物足りなさを感じ始めた頃。
たまたま同僚と飲みに行ったバーで出会った女性と酔った勢いのままホテルへ行った。その時は流石につくしには申し訳ないと思ったものの、つくしよりも歳下で喜怒哀楽がはっきりしていた彼女に妙に惹かれ、その後も何度か会うようになった。
おねだりも俺を煽てるのも上手で、ただ微笑むだけでなく、嫌なことは嫌だと、楽しいことは楽しいと満面の笑みで話す彼女と過ごす時間は俺にとっても楽しいと思えるものだった。

つくしといるのは、つまらない。

これで結婚したらと想像したら、こんなありきたりな無難な日々を、ただ横で笑っているだけの何を考えてるのか分からない、言いなりの女と過ごすなんて真っ平ごめんだと、そう思った。
一度そう思ってしまったら退屈なつくしと会う時間は減り、自然と彼女に会うことが多くなった。次第につくしは俺の中で便利な存在になっていき、呼べばすぐに来て疎かにしていた家事を片付けてくれ、尚且つ性的欲求が溜まってる時の捌け口でしかなく、もう彼女と言える存在はつくしではなくなっていて、そして迎えた俺の誕生日。

当然のように自分の誕生日はつくしと過ごすつもりはなく、仕事を定時に終わらせて自宅で彼女と誕生日を祝った。
だからまさか、今まで連絡もしないでつくしが家に来ることはなかったから油断していたのは確かだ。でもこれで他の女の存在がバレてしまっても、もう彼女と言える存在はつくしではないのだから丁度いい。
これからは後ろめたいこともなく心置きなく彼女と過ごせる日常を迎えることが出来た日で、だからこれはつくしからの誕生日プレゼントとして受け取っておこう。
だって俺にとって、つくしは交際している彼女ではなく母親まがいの便利な家政婦なのだから。

それからすぐにSNSも電話番号もブロックして連絡手段を断った。
今まで何を言っても怒らなかったつくしだけど、もしかしたら今回ばかりは追い縋って復縁を望まれるかもしれない。でも、もしそうされてもそれには応えることは出来ないし、職場や住んでいる部屋に待ち伏せでもされていたらと思わないでもなかったが、その後つくしから何かアクションがあることはなかった。
やはりつくしにとっても、俺という存在はそこまでのものではなかったのだろう。二年間付き合って喧嘩の一つもしなかった。ただ笑ってるだけの、世話好きな女。
つくしは、それだけの女だった。

例え新しい彼女がつくしより家事が出来なくても、素直に喜怒哀楽を表す彼女は分かりやすくて、何を考えているのかと不安に思うことはなかった。
彼女は中小企業勤めで、俺と同じ財閥系に勤めるつくしと違って給料の差がないことを気にせず自尊心を埋められて、そして可愛らしく甘えてくる彼女の姿に、俺の選択は間違っていないと思えた。
部屋の隅に埃が溜まっていても、食後の食器が洗われてなくても、Yシャツがシワだらけでも、それがそこまで気にならなかったのは彼女が俺の先回りをして何かをすることはなかったから。自分のことは自分でやれと、つくしのように先回りをしてやることはない。例えお互い仕事が忙しい時でも、それは変わらなかった。
私はあなたの家政婦でも母親でもないと言い切る彼女に、つくしとの違いを見てなぜかホッとした。
それからしばらくして彼女の妊娠が発覚し、結婚することに。

そして久しぶりに会ったつくしにコートを届けた男はレストランに戻ると言っていた。
そういえば、今日はアチェロで婚活パーティーが開催されている。メープルホテル内のレストランでは初めての試みであったが、パーティーの主催が代表の友人ということもあり、更にこれを期に利用者が増えれば良いとだろうと代表の一声で営業企画部でも反対意見が出ることはなく、あっさりと使用許可が出たことを覚えている。

俺と別れてから彼氏も出来ずに、遂に婚活パーティーか。
そんなに誰かに依存して世話をしたいなら、知り合いの俺が家政婦として雇ってやれば良いのではないか。妻は妊娠中で、腹が大きくなれば家事も出来なくなってくるだろう。出産後は尚更だ。
あんな別れ方をしたのだから、金銭契約でも結んで世話をさせてやるのがせめてもの償いではないか。

そんなことを考えた俺は幸せの中で浮かれていたのかもしれない。
ここで再会するまでつくしのことなんてすっかり忘れていた。
忘れていたはずなのに、なんだこれは。

つくしは泣いて怒っていて、しかも相手は女嫌いで有名な道明寺財閥の代表だ。
殴るなんて乱暴なことをして、こんなのが知り合いだなんて評価が下がっては困るから無視しようと思ったが、コイツをつまみ出せば代表に感謝されるかもしれない。
そう思ったのに、なんだこれは。

つくしが代表の知り合い?極度な女嫌いの代表が一般人のつくしと知り合いなわけがあるかと、でも代表は躊躇うことなく俺が掴んで赤くなってしまったつくしの腕を擦り、肩を抱き寄せ心配をしている。

なんだこれは。

あんな風に怒って泣いて呆けた顔なんて俺には一度も見せたことはなかったのに。


「山田さん」

名前を呼ばれて気が付くと代表とつくしは既にいなくなっていて、秘書課の西田課長がいた。

「山田さん、代表から言伝です。今回に限り、警察には通報しません。それと、近いうちに代表から結婚祝いとして異動辞令を出すそうです。奥様も妊娠中のようですので、国内での異動になるとは思いますが、東京には二度と戻れないとご承知おきください。そして今後一切彼女の前には姿を見せるな、とのことです」

なんだこれは。
知っていたはずのつくしが、俺にはいつも笑っていたつくしが、俺の中から消えた瞬間だった。







結局、あのあと新郎新婦が降りてきたと言うことは挙式が終わったということで、しばらくしたらゲストも宴会場へと来るだろうから場所を変えたほうが良いと西田にも言われたが、山本はあれきり黙ってしまって埒が明かず困っていると、クシマが何か言いたげな顔をしていた。
この男に言いたいことがあるなら今のうちにとクシマに言えば、彼女は俺に警察には連絡しないこと、相手の女性のバッグにマタニティマークのチャームが付いているから、大事にしてこれ以上ストレスになるようなことをしてはいけないと、そしてそんな状態の奥様がいるのに海外へ異動辞令なんて出してはいけないと言われた。
それを聞いた西田も同意と言わんばかりに頷くから、あとは西田に任せることにして、俺とクシマはその場を後にした。


「おい、良いのか?」

「なにが?」

「警視総監に言えばすぐだぞ」

「馬鹿じゃないの?!こんな腕がちょっと赤くなったくらい、普通は警察呼ばないから!」

「あの男だってクシマが望むならどこにでも飛ばしてやれるのに」

「私的なことで職権乱用しないで!」

「それにしたって何なんだあの男は?どうしてクシマにあんな物言いと態度をする?それなのに、なんで泣かされたのに庇うんだ?」

そう聞くとムスッとした顔をしてクシマは黙ってしまった。


とりあえず俺とクシマは場所を移すことにしたが、ここで会えたのだから喫茶店まで行く理由はない。
静かで周りに邪魔されることなく話せる所と言えばメープルホテルの宿泊棟にある執務室兼用のプライベートルームがあるから、そこへクシマを連れて行くことにした。
その途中で男のことを聞いたけれど、どうやらクシマはそこまであの男を懲らしめたいわけではないようだった。

宿泊棟の最上階ではないものの、それなりに高層階にあるこの部屋は見晴らしも良く、都内の景色が一望出来る。
部屋に入ってすぐ目の前の全面ガラス張りの窓から見えた景色に、クシマはわぁ!と声を上げて駆け寄ったが、俺が声をかけるまでしばらくぼんやりとした様子で外を眺めていた。

備え付けのコーヒーサーバーで淹れたカフェオレを出しながらクシマに座るように促すと、窓から離れて素直にソファに腰を下ろした。けれど、好きなはずのカフェオレを飲んでもクシマの落ち込んだような顔が笑顔になることはなく、そして全く口を開かない。
どうしたものかと考えて思いついたのは、甘いもの。
クシマは甘いものが大好きだ。


「あー、じゃあなんか甘いものでも食うか?」

するとクシマは横に立つ俺を見て、ソファに置いてあったクッションを抱きしめながら、ポツリと「食べる」と言った。

可愛い。
なんだよ、クッション抱えて上目遣いで頼みやがって。
彼女の言うことなら何でも叶えてやりたい。そして俺にはそれを行使出来る力もある!

「よし、じゃあ下のガーデンレストランでやってるスイーツブッフェのデザート全部持って来させるか?あとは中華レストランの杏仁豆腐はどうだ?ああ、それとさっきのパーティーでアチェロのティラミスは食ったか?まだならそれも持って来させるか」

「えっ!ちょっ、そんなに食べられないからやめて!あの、えっと、じゃあティラミスで!それだけで良いから!」

「なんだよ、遠慮すんな?甘いもの好きだろ?」

「あのね、確かに甘いものは好きだけど、食べられる分だけで良いの。食べ切れなくて残したら勿体無いし、それが食べたくて予約してレストランに来てる人にも、それで喜んでほしくて作ってくれた人にも申し訳ないから」

「……そうか?」

こんな時なんだから他人のことなんて気にせず食べたいものを頼めば良いのに。
でもこれ以上彼女の機嫌を損ねては話したいことも話せなくなりそうなので、ここはクシマの言うことを聞いておこう。

アチェロに連絡してティラミスを持ってくるよう頼んでいる間、クシマがチラチラとこちらを伺うような視線を向けてくる。

「……どうした?なんか他にも食いたいもんあったか?」

「ううん。違くて、そうじゃなくて……、あの」

「なんだよ?」

「あー、えっと。あの、あなたはミドウさん、なんだよね?」

そうだった。
俺は今、「ミドウ ジョウ」ではなく「道明寺 司」だ。

さっきの男の件もあったからか、特に何かを確認することもなしに彼女をここまで連れてきてしまったけど。
その事実を彼女が知っていたとしても、まずはどこから説明をしなければならないのか、あんなに彼女と話したいと思っていたのに何から話すべきなのか全く考えていなかったことに今さら気が付いた。














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Re: notitle 57

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早くクシマに会いたい。
そのことに嘘はない。

なのに何であいつは俺と会う前だというのに、婚活パーティーになんか出てるんだ!


クシマと会う約束をした土曜日は、いつもと同じように仕事へ行く支度をして、いつも通り西田が迎えに来た。
行き先はメープルホテル東京。総支配人とホテル内の各責任者たちと話をして、あとは俺がオーナーをしているイタリアンレストラン「リチェロ」での婚活パーティーの様子を見るだけ。
今日の仕事はそれだけだと聞いていたのに、パーティーに類も来ているから一緒に最後の挨拶だけでもと頼まれた。人前に立つことが得意でない類は嫌そうな顔をしているが、これも仕事だ。
挨拶くらいならしても良いだろうと婚活パーティーの幹事に促され会場となっているリチェロの個室へ行き、類の簡素で適当な挨拶のあとに続いて参加者たちに向かって話していると、部屋の隅で不自然な動きをしている人物が一人。
この場にいる誰もが俺たちを見ているというのに、そいつは顔を隠すようにバッグを持ち、ゆっくりと個室の出入り口へと向かっている。参加者たちに向かって話しながらも、さり気なく動向を見ていたが挨拶を早々に終えて、もう一度その人物を見遣ると、そいつは出口の近くで立ち止まり、こちらを向いて周りの様子を伺うようにバッグから顔を覗かせた。
その顔が見えた時、驚きよりも瞬間的にムカついた。

クシマ?!
あれは、クシマだよな?
なんで、しばらくは彼氏なんていらないと言っていたのに、なぜ婚活パーティーになんか来てるんだ!?

俺と会う前に婚活パーティーに出てどうするつもりだったのか。俺と話がしたいと言ったのは、ほんの数分で済むような、ただ俺に期間限定の関係を終わりにしたいと言う為だけのつもりで会いたいと連絡してきたのか。
こんな婚活パーティーなんかに来るくらいなら、そこまでして結婚したいなら、俺にすれば良いだろ!


「司、顔がこわい」

「うるせぇ」

「彼女にも何か事情があるんだろ」

事情も何も、婚活パーティーとは結婚相手を探し出会う為のもので、それ以外に何の理由があって参加していると言うのか。

「類、お前クシマが参加してるって知ってたのか」

「いや、知らなかった。でも、」

類がまだ何か言おうとしているが、いま話さなければいけないのは類ではなくクシマだ。
彼女とはいつもの時間にいつもの喫茶店で会う約束をしていたけど、もう俺が道明寺 司だとバレているようだし、以前みたいに瓶底メガネのボサボサ頭をした「ミドウ ジョウ」の姿で行くつもりはなく、そのまま道明寺 司として会うつもりだった。
だから場所は違えど、約束の時間が少し早まっただけ。

そう思ったのに、クシマが怯えたような顔をして俺から逃げるように会場を出たものだから、逃がすつもりのない俺は急いで後を追ってレストランを出てエレベーターホールの方へと向かったが、彼女はエスカレーターに乗っていた。一気に一階まで降りるにはエレベーターしかないが、待ってる間に追いつかれると思ったのか。

なんでそこまでして俺から逃げる?
もう俺とは話をしたくないと思われるほど彼女からの信頼を失ってしまったということだろうか。
形振り構わず走って、今すぐにでも彼女を捕まえたい。
しかし一応これでも俺はメープルホテルの代表だ。どこで客人に会うか分からないから流石にフロア内を走るような真似は出来ない。そんな今の立場を煩わしく感じつつも、それを利用しない手はない。
クシマだけは逃さないようにと目を離すことなくエスカレーターで一つ下の階へ降りながら、万が一を考えてフロントに電話で「今から言う服装の女が来たら引き留めろ。良いか、女が何と言おうと絶対にホテルから出すな」と伝えておいた。


宴会場フロアに招待客たちはおらずスタッフのみがいたが、そのうちの一人が俺を見つけると駆け寄って来た。そのスタッフは式場の責任者で、先程渡した資料がどうのこうのと話し始める。今はそれよりもクシマを追いかけたいのにと、話を聞きながらも視線だけは逃げるクシマを追いかけていたが、気が付けば西田が隣にいた。
これ幸いと続きは西田に託して再びクシマを追いかけようとしたら、彼女はすでにもう一つ下のフロアまで降りていて、そして見知らぬ男に腕を掴まれていた。

なんだあの男は。
もしかして婚活パーティーで仲良くなったとかじゃねぇよな?!

そんなの許さない。
俺以外は、許さない!

逃げられてる今、もしかしたらこれから終わりを告げられるのかもしれない。
でも俺は何も終わらせるつもりはないし、むしろこれからだろ!


「西田、あとの話はお前が聞いとけ」

西田が一つ頷くのを見て、急いでエスカレーターへと向かう。
さっきまでクシマの腕を掴んでたヤツはいなくなっていて、今度は彼女の前にカップルらしき男女がいた。そしてエスカレーターを降りてる途中で聞こえた、その男が放った言葉。

「そんなに誰かの世話がしたいなら、また俺が家政婦として雇ってやろうか」

なに?
なんだこの男は。クシマの知り合いか?
どういう状況なのか全く分からなかったが、この言葉を聞いたクシマの体がビクリと揺れ、そして俯いた。

いつもニコニコ笑って、おしゃべりで、たまに怒っても美味しいものを食べると途端にふにゃりとした顔をするクシマが好きだ。

俺はもう、逃げないと決めた。
自分の中にある女に対する恐怖も、怯えも、クシマを好きだと思う感情からも、逃げないと決めたのだ。
顔を見て逃げられるくらいだから、もしかしたら嫌われてしまったのかもしれない。
でも、今までのように諦めたくない。

クシマは俺の運命の女だ。

クシマは俺を諦めの世界から救ってくれた。
だから今度は俺が、彼女が怯えるものから、こわいものも、嫌だと思うことからも守ってやりたい。

恋ってすげぇ。
こんな気持ち一つで守りたいなんて気持ちまで湧いてくる。

クシマは俺に背を向けているからどんな表情をしているのか見えないけれど、彼女は泣いてる気がした。
涙は流してないかもしれない。でも、もし心の中で泣いてるのなら、それがこの男の言葉のせいなら、今の俺に出来ることは?


クシマに追いついて後ろに立ったのと、クシマが振り返ったのは同時だった。
ドン、と彼女の体がぶつかる。

相変わらず小さい。
そして今にも崩れて壊れてしまいそうに見えた彼女を、何かに堪えているかのように震える肩を、ぎゅうっと抱いた。
すると途端に小さく声を出して泣くものだから、どうしたら良いのか分からなくて、肩を抱いた手を放すべきかとも思ったけど、それだけは絶対にしたらいけない気がした。
その泣き顔も、声も、今この状況から彼女を守れるのは俺だけ。


「だ、代表?!」

突然現れた俺に、目の前にいる男は目を見開いて驚いたような顔をしている。
俺を代表と呼ぶということは、こいつは社内の人間だろうか。

「司様、彼はメープルホテル東京の営業企画部二課の山田ですね。来月のクリスマスに、ここのスカイチャペルで式を挙げる予定ですので、今は打ち合わせにでも来てたのでしょう」

式場の責任者との話が終わったのか、いつの間にか俺の後ろに控えていたらしい西田が小声であの男が誰なのかを告げるが、どこの誰だろうが今はどうでも良くて、それよりもクシマが落ち着いて話が出来る所へ連れて行ってやりたい。
彼女に場所を変えようと話そうとしたら、田中だか山本だかが声を掛けてきた。

「代表、お目にかかれて光栄です!」

そんなことを頬を紅潮させて俺に会えたことがさも嬉しいように話しているが、クシマをこんな風に泣かせたのはこの男がクシマに向かって放っただろうあの言葉のせいじゃないのか。もしそうでなかったとしても、目の前で泣いてる女をそのままに何を暢気に。

「おい、この男のせいで泣いてるのか?もしそうなら二度と会えないように南米にでも飛ばしてやるぞ。それともロシアにするか?南アフリカでもどこでも異動の名目で飛ばせるぞ」

クシマの耳元に顔を寄せて、小声でそう聞いてみると、泣きながらもびっくりした顔で俺を見上げてきた。

かわいい。
泣き顔も可愛いとか、ダメだろ。
こんな時なのに思わずそんなことを思ってしまって、咄嗟に緩みそうになった表情を引き締めるべく、ギュッとを眉根に力を入れていたら、クシマは急に怒った顔になって俺の肩あたりをポカポカと叩きながら「あたしが泣いてるのはあんたのせい!」なんて言い出した。

俺?!まだ何もしてないのに、なんで俺のせいなんだ?!
勝手に肩を抱いたからか?いや、前に触るなとクシマが言わない限りは俺も遠慮なく触ると言ったはずで、今クシマは嫌と言っていないし、肩を抱き寄せたままの俺の手を退かそうとする気配もないから無断で触ったことで泣いてるわけじゃなさそうだけど、じゃあ何が俺のせいなんだ?!

理由も分からず俺のせいと言われて戸惑いつつもポカポカと肩を叩かれながら、泣き顔だけじゃなく怒った顔も可愛いなんて思っていたら、男がクシマの腕を強引に掴んで引っ張った。

「おい、お前は代表に何をしてるんだ!」

突然のことに彼女はよろけて俺から離れてしまいそうになったから、咄嗟にもう片方の腕を掴む。そんなことにも気が付かないのか、男はクシマに向かって怒鳴り始めた。

「お前、この人が誰だか知ってるか?!道明寺財閥の代表だぞ!何したか分かってんのか?!」

「……っ!」

今こいつ、クシマに「お前」って言ったか?
それに勝手に体を触って乱暴に引っ張るなど、彼女がこわがって怯えているのが、見えないのか。

「おい、手を離せ」

「えっ?」

「彼女の腕を掴んでる手を離せと、言ってるんだ」

「いや、でもこいつは」

「……こいつ?」

「はい。こいつはいきなり代表を殴るような女ですよ?こんな乱暴な女が知り合いなのも恥ずかしいですけど、代表に暴力を振るうような不届き者は責任を持ってこのホテルから摘み出しますので!」

「山田さん、その方はこちらで預かりますので、あなたは後ろにいらっしゃるお連れ様とお帰りください」

やはりこの男とクシマは知り合いなのか。
だとしても、周りに人がいる状況で彼女に対してこの物言いと扱いは何なんだ?
西田も見兼ねて手を離すように言っているし、男の連れの女も何が起こっているのかと困惑気味だというのに、それを放ってクシマを気にしているのはどういうことなのか。

「いや、でも」

俺と男でクシマの腕を引っ張り合う。
クシマは男の手を払おうと腕をブンブンと振ってはいるが相当強い力で掴まれてるのか、なかなか解けないようだった。
何なんだ、この男は!

「おい田中!いい加減にしろ!彼女は俺の連れだ!」

「え」

俺の言葉に男が急にクシマの腕を離したものだから、引っ張っていた勢いそのままに彼女は俺にぶつかってしまった。

「わ、ごめん!」

「いや、大丈夫だ。悪いのはこの男だろ」

「でも、」

男に掴まれていたクシマの腕は、痣になるほどではないかもしれないだろうが、それなりに赤くなってしまっていた。

「ああ、ほら腕が赤くなってる。痛くないか?大丈夫か?」

「うん、見た目ほど痛くないから大丈夫」

「いや、それでも冷すなり何なりしたほうが良いだろ。それに、この男はどうする?こんな赤くなるほど強い力で掴まれたんだ。傷害で警察呼ぶか?長官と知り合いだから何とでも出来るぞ」

「は?傷害?長官?」

「とりあえず場所を移そう。まずは手当てしないと。西田、いつでも長官に連絡出来るようにしとけ」

「待って待って、長官って誰?!」

「んなもん警察庁の長官しかねぇだろ。ん?それともここは東京だから警視総監が良いのか?西田、どっちに連絡したら良いんだ?」

「長官でも構いませんが、ここは警視庁の管轄ですから警視総監を通したほうが対応は早いと思います。それか傷害で通報するなら、今は先に病院へ行って診断書を出してもらったほうがスムーズかと。まぁ防犯カメラにも映ってるでしょうから、後日防犯カメラのデータと第三者の証言としてそこは私が、そして診断書を持ってから警視総監に連絡するのが一番でしょうか」

クシマがポカンとした顔で俺を見上げてくる。
こんな時なのに泣いたり怒ったり呆けたりと、この数分でクシマのいろんな表情が見れたことが嬉しくて、それを隠しきれずに思わず笑みを浮かべる俺と、物珍しいものを見たと言いたげな西田と、そして青い顔をして俺らを見ている山本と女。
それを挙式を終えたらしい新郎新婦が何事かとチラチラと見ながら横を通り過ぎて行った。









更新が遅くなってしまい、楽しみにしてくださってる方には申し訳ない気持ちでいっぱいです。
次回はもう少し早く更新できると思います。
つくしちゃんの元カレの名前は山田です。


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Re: notitle 56

Re: notitle 56







ここはメープルホテル東京の最上階。

最上階から下三階分は吹き抜けになっていて、すぐ下の階はいくつかの宴会場とチャペルがあり、更にその下の階にはブライダルサロンとドレスショップ、あとは美容室に写真館がある。
そして各階を、この吹き抜け部分で行き来が出来るようエスカレーターで繋がっていたはず。

なぜ知っているのかと言えば、このメープルホテルには数ヶ月前に優紀とデザートビュッフェを食べに来たことがあるからで、その時に訪れたガーデンレストランではウェディングパーティーが出来るという話から始まった。
このメープルホテルの上層階にあるチャペルは一面ガラス張りになっていて、その大きな窓から見えるのは空のみ。正に空に浮かぶチャペルをイメージして作られたらしく、「スカイチャペル」と名付けられている。メープルホテルのHPでウェディングプランの一例を見ながら、こういう式がしたいとか、少人数向けのプランもあるとか、いつかここで式が挙げたいとか優紀が話しているのを聞いていた。


レストランを出て、とにかくここから離れようとエレベーターホールを目指したけれど、後ろを振り返って見れば道明寺 司が追いかけてきていた。しかも鬼のような形相で。

なんでそんな顔で追いかけてくるの?!あとで会う約束してるのに!
やっぱり態度を変えたあたしに怒ってて、本当は顔を見るのも不愉快だけど今すぐにでも文句の一つは言わないと気が済まないとかなのだろうか。それはそれで、きちんと受け止めなければいけないと分かってるけど、それでも、顔が!こわい!

彼の歩くスピードが早いことを知っている身としては、エレベーターなんて待ってたら絶対に追いつかれるだろうとエレベーターホールを素通りし、逃げるように早足で歩けば、目の前にエスカレーターが見えた。危ないと分かっていても、他に乗ってる人はいないからとエスカレーターを駆け下りる。
今は土曜日の昼間、ちょうど挙式中なのか、宴会場とチャペルのあるフロアには招待客らしき人は見当たらず、いるのは数人のスタッフのみで静かだった。そんな中を慌てて歩くあたしにスタッフさんたちは訝しげな視線を向けてくる。騒がしくして申し訳ないと思いつつも、それどころではなく、そのまま下へと思ったら下りのエスカレーターはフロアを周って反対側にあった。

急いで宴会場の前を通り過ぎ 、また下りのエスカレーターを駆け下りる。
その途中で視線を上に向ければ、やっぱり怒った顔のままの道明寺 司が宴会場の前を歩く姿が見えたけど、その彼の後ろにいるのは鈴木さん?!
あたしと目が合った鈴木さんは、手に持つ何かを振り上げた。

あれは、あたしのコートだ!
バッグは貴重品も入ってるからずっと手に持っていたけど、コートはレストランのクロークに預けていたのを忘れていた。

そしてエスカレーターはこの階で終わり。ここから下へ行くにはエレベーターに乗らないといけない。
こわい顔でミドウさんが追いかけてくる。でもコートを持って追いかけてきてくれてる鈴木さんを無視することも出来ないし、どうしようと一瞬立ち止まった、その時。


「つくし?」

懐かしい声に名前を呼ばれて振り返った先にいた人。


「なんで、」

どうして元カレがここに?!
突然の再会に驚きつつも、隣には綺麗な顔立ちの女性。そして彼らが出てきた所は、ブライダルサロン。

ああ、そういうことか。

もう記憶も朧気ではあるけれど、あの浮気現場を目撃してしまった時にベッドの上で彼と抱き合っていた女性、ではないだろうか。
やはり本命はあの時のこの女性で、この人からしたらあたしが浮気相手だったということか。でも、それを知ってもさほどショックではないのは、どうしてだろう。

その時、急に腕を掴まれて、遂に彼に追いつかれてしまったと思ったけど、あたしの腕を掴んだのはミドウさんじゃなくて鈴木さんだった。

「あ~~~、良かった!歩くの早いですねぇ!」

「あ、ごめんなさい!コート、ですよね」


道明寺 司より後ろにいたはずのに、なんで先に鈴木さんがあたしに追いついたのかと不思議に思って、コートを受け取りつつ話しながらも周りに目を巡らせてみると、上のフロアで彼とメガネをかけた真面目そうな男の人と、さっきすれ違ったスタッフさんが話しているのが見えた。きっとエスカレーターを降りる前にスタッフさんに声をかけられたのだろう。
それでも、彼はあたしから目を逸らさず睨んでいて。いつもは瓶底みたいなメガネをかけてたからよく分からなかったけど、なんと眼光の鋭い男なのか。


「お前、今度は歳下の男か?相変わらず人の世話ばっかしてんの?」


横から聞こえた声と言葉に、カッと頭に血が登る。
元カレに顔を向けると、ニヤついた顔であたしと鈴木さんを見ていた。

なんで、好きだったんだろう。
なんで、優しいと思ってたんだろう。
なんで、結婚したいと思ったんだろう。

元カレは、こんなことを言う人だったの?

「やめて。この人はそういうのじゃないから」

自分が浮気をしたのに悪びれることなく、関係のない鈴木さんまで巻き込むような発言に、声が怒りで震えそうになる。


「……あの、僕はレストラン戻りますね」

「あ、ごめんなさい。コートありがとうございました。私は先に帰らせていただきますので、牧野によろしく伝えてください」

何やら不穏な空気を感じ取っただろう鈴木さんは気まずそうにしつつも、あたしの言葉に頷くと足早に去って行った。


「あ、レストランってアチェロか?今日は婚活パーティーやってるよな、確か。そういえばお前もうすぐ三十路だっけ?婚活パーティーなんかに参加してまで相手探しに必死になってんのに、誰にも相手にされなくて帰るところとかだったらウケるわ」

「……あ、あんたはもう今は何の関係もないんだから、私が何をしようがどうでもいいでしょ?!」


お昼時なのだから食事に利用しただけかもしれないのに、婚活パーティーに来たのかと憶測のみで発言するのもどうかしてるし、なんでもう別れて一年以上経ってるのに偶然会っただけでこんな言われ方をしなければならないのかとか、そもそもにどうしてレストランで婚活パーティーが開催されていると知ってるのかとか聞きたいことも言いたいこともあるけれど。
婚活パーティーに来ても一人で帰るあたしと、もうすぐ自分は結婚するということを比べて優越感でも持ったのか、あたしが傷付くだろうことを他人がいる前で笑いながら言う人だったなんて。
どちらにしろもう、この人に恋愛感情はない。別れてもしばらくはあんなに未練たらしくウジウジと悩んでいたはずなのに、時間をおいて再び顔を合わせても付き合っていた頃のような感情は微塵も湧かなかった。

優しいと思っていた彼は所詮、上辺だけの虚像に過ぎなかったということだろうか。
いや、それともそうではなくて、他人の世話を焼くということは、その人の至らないところや出来ないことを探し出して代わりにやってるとも言える。優しさの押し売りをしていたのはあたしの方で、彼がそれを望んでいたかどうか確認したことはなかった。
あれこれ勝手に身の回りのことをしていたけれど、もしかして至らぬところを、粗を探されているようで嫌だったのかもしれない。あたしが良かれと思っていただけで、彼からしてくれとは言われたことはなかったと、今になって気がついた。

『小さな親切、大きなお世話』

あたしはいつも自分のことばかり。
誰かの世話をしていることで、自分も誰かの役に立つんだと、そこで承認欲求を満たして自己満足していたのかもしれない。

なんて酷い自己嫌悪。
思わず重いため息が出る。もうこれ以上は何も聞きたくなかったのに、元カレは尚も言葉を続けた。


「そんなに誰かの世話がしたいなら、また俺が家政婦として雇ってやろうか」


また?あれは浮気しているのを目撃されて、咄嗟に吐いた嘘で言い訳だと思っていたから、また雇ってやるという言葉に何を言っているのかと、すぐに理解出来なかった。

じゃあ、好きだと言ってくれたのは、休みが合えばいろんな所へ行って楽しいねって笑って言ったのも、幾度となく一緒に過ごした夜も、全て、嘘だったの?

あたしには全部、本当だったのに?

まさか元カレにとってあたしは本当に家政婦要員でしかなかったのだと、今さらになってまざまざと突きつけられるとは。結婚したいとまで思ったこの気持ちは、本物だと思っていたあたしの気持ちは、あなたの気持ちも本心だと信じていたのに。

もうこれ以上は無理だ。
別れてから一年半も経ってるし今さら恋情などないけれど、こんなことを言われてるのに笑い飛ばすことも怒って言い返すことも出来なくて、悲しいも悔しいも、自分の愚かさや人を見る目のなさも、今までの楽しくて優しかったいろんな思い出がモノクロになって、もう元カレに何の感情も持ちたくないのに、心の底に溜めたドロドロした醜いものが、自分の意志とは関係なくあふれてしまいそうで、こんな奴の前で泣きたくなんかないのに、涙が勝手に溢れそうになる。

泣いて感情を顕にするような無様な姿を見せる前に、とにかく早くこの場を離れたくて体の向きを変えた、その時。どん、と誰かにぶつかった。


ああ、そうだ。
あたしは逃げていた。

逃げないと決めたはずなのに。


ぶつかったその人はスリーピースのスーツ姿で、見たことのない怒った顔をしていて、それなのにあたしが知ってる香りを纏う人。

まるで、パブロフの犬。

しばらく会っていなかったのに、半年の間にすっかり馴染んでしまったこの香りを少し感じただけで、いつもの優しさと、温かさと、少し乱暴な口調で話すところも、今まで会って話して一緒に過ごした時間は確かにあって、その全てにどうしようもなく心が揺さぶられる。
心臓が、心が、ドクリと音を立てた。


ねぇ、ミドウさん。
あたしたちが一緒にいたのは二週間に一度で、それもほんの数時間だけ。

勤め先も名前も知らない、条件ありきの一時的な関係。
友人のままでいようと、芽ばえてしまった淡い恋心も彼の前では隠そうと決めた。
それなのに、その香りが、こわがることも怯えることも躊躇うことすらなく、あたしの肩を抱くミドウさんの手が、まるで全てから守ってくれているようだった。
それが例えあたしの勘違いだとしても、とても安心できてしまったから。


これだけは信じようと思った、あの夏の日の香りと体温が、抑えていたはずの今までその心の底に溜めてきたものをいとも簡単に溢れさせ、それが涙になって頬を濡らした。















更新が遅くなってしまい、申し訳ありません。


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Re: notitle 55

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そして迎えた土曜日。

11月に入って朝晩が冷え込むようになってきた今日この頃。
公園やご近所さんの庭のモミジは紅く、街路樹のイチョウの葉も日の当たるところから黄色くなり始めていた。それでも今日は、まさに小春日和と言っても良いような陽気で、絵に描いたような青空が朝から広がっていた。

メープルホテルに行く途中、一駅手前で電車を降りて大きな公園を通って行くことにしたあたし。
茶色くなった芝生が一面に広がる所では、親子が楽しそうにボール遊びをしたり、飼い犬とフリスビーをしている人がいたり。カップルはレジャーシートの上に座り体を寄せて、顔を見つめ微笑みあっていた。
暖かな陽気の中でのんびり歩けば多少は気持ちも落ち着くかと思ったけど、やはり憂鬱で仕方ない。


婚活パーティーのあとは、そのままミドウさんと会うつもりだからと、いつも通りのパンツスタイルで良いかと考えていたのに、進に釘を刺されてしまっていた。

メープルホテル東京の、高級イタリアンレストランで、しかも婚活パーティー。それなりの格好をして来るように言われ、でもミドウさんに会う前に着替えれば良いかとも思ったけど、そんな時間があるのかも分からないし、着替えの入った大きめの荷物を持って歩きたくもなかった。

仕方なく渋々と、それでも洋服を新調して。
選んだのは、白のシフォンブラウスにスモーキーブルーのロングタイトスカート。コートはグレーにして、靴は黒のブーティー。バッグも黒にした。アクセサリーは付けないわけにもいかないだろうから、パールのスイングタイプのピアスに、ネックレスもピアスとお揃いのものに。

夜ではなく昼間の婚活パーティーだし、今日は相手を探しに行くわけじゃないから、この格好で大丈夫だろう。
それでも人間、見た目は大事だ。
もちろん見た目が全てではないけど、初めて会う人は見た目でしか、その人を判断出来ない。そこから会話が出来て、初めてお互いに人となりを知ることになる。

少し前までは「イケメン」に思うところはあったけど、あの頃は心に燻るものがあったから。
いま思えば、見た目がイケメンだろうが何だろうが、誠実そうな顔をして優しい言葉で絆しておいて、陰では人を家政婦扱いをした上に浮気する人間は誰でも許せないだろう。
ミドウさんと会うようになってから、いつの間にかクローゼットの中のスウェットも洗面台の予備の歯ブラシも、もうすっかり忘れて思い出すこともなかったのに、いま元カレを思い出してしまうなんて縁起でもない。

それよりも今はミドウさんのこと。
誰しも男も女も見た目は大事だけど、それはその人を知る為の第一段階でしかない。
事実、ミドウさんは変装してあたしに会ってはいたけど、彼の身近な人の話を聞いた今は本当の彼がイケメンだったからといって女嫌いなことや、あの優しさが嘘だとは思わない。

思わない、けど。
彼の話を信じずに、彼の周りの人の話を聞いたから信じるってどうなの?そんなことであたしは彼を信じたり信じなかったりするの?
お金持ちの御曹司が結婚前に女遊びをしてるだなんて、もう完全に彼自身ではなく彼の肩書と持ち物で偏見を持ってしまった事実は消えないし、それは彼の友人を通してミドウさんにも伝わってるはず。あんなに嘘は吐かない、信頼関係を作る為の時間として彼と会っていたのに、あたしはその時間と築き上げた信頼関係を全て偏見で駄目にしてしまった。

このあとミドウさんと会って話をする。
こんな気持ちと、こんな状況で、彼にもう一度友達になって欲しいなんて話が出来るのか、そもそも話をしてくれるのかと不安がいつまでも付き纏う。


楽しそうな家族やカップルを横目に気分転換どころか、また鬱々と考えながら公園を抜け、目の前にそびえ立つメープルホテルの中へと足を踏み入れれば、ロビーでは進が待っていた。

「姉ちゃん!」

「進、お待たせ」

「全然。まだ開始まで余裕あるよ。幹事に紹介するから、こっち来て」


一応、今日のパーティーにはあたしのように今回だけサクラとして女性と男性一人ずつ花沢から社員さんが入るらしい。
立食形式で畏まったものではなく話をするだけで良いとはいえ、最後は一応マッチングの時間はあるらしく、記入用の紙は渡されるけど何も書かずに提出してもいいこと、そしてなるべく同じサクラの男性社員と話すようにすれば良いだろうと言われた。

そしてそのサクラをする社員二人も既に来ているからと関係者用の控室として借りたホテルの一室で自己紹介をしあうことに。
そのサクラの男性、「鈴木さん」は進と同期であり同じ婚活アプリの運営に関わっているらしい。
女性は「杉山さん」。この方も鈴木さんと同じく進の同期で、三人とも入社以来ずっと仲良くしているとか。


「初めまして!今回はせっかくだから自分が運営に関わるアプリのパーティーに様子見がてら参加してみろって、彼女もいないし良いだろうって牧野君に勧められて」

屈託のないような笑顔で鈴木さんがそう言うと、杉山さんは鈴木さんにチラリと視線を向けたあとに続けて今回参加した理由を教えてくれた。

「私も彼氏はいないですけど、好きな人はいるので今回は断るつもりだったんです。でも牧野くんが仕事だからって強引に。それに鈴木くんも行くから一緒に行けばって…」

話してる間もチラチラと鈴木さんを見る杉山さん。
おや?と思って進を見たけど、気付いているのかいないのか、あたしたち三人を見てニコニコしていた。

今さっき会ったばかりだし、あくまで憶測に過ぎないけど、杉山さんは鈴木さんに好意を持ってるんじゃないの、これ?

さっき進はあたしに同じサクラの男性社員と話してれば良いと言った。
もし杉山さんが鈴木さんのことを好きだと進が知ってたら、そんなこと言わないはずだと思うけど、それとも、もし分かってて言ってるなら、あたしを当て馬にしようってわけ?
……何であたしが初めて会った人たちに気を揉まないといけないのか。自分自身がそれどころじゃないのに、他人の色恋沙汰など以ての外である。
どちらにしろあたしは一人でいたほうが良さそうな気がするし、あたしも誰かを気遣って会話が出来るような気分でもない。ましてや今日は、お付き合いする相手を求めてるわけでもないから、やっぱり大人しく端っこでこっそりしてよう。


実際にパーティーが始まってみれば、そのイタリアンレストランの個室から見える景色は本当に素晴らしく、眼下にはオフィスビルが立ち並び、所々に見える公園の緑や、然程遠くない距離に東京のシンボルである電波塔も見える。これが夜なら煌めくような素敵な夜景が見えるだろうと想像に難くない。

個室と言えど小規模なパーティーをするなら十分な広さがあるその部屋には、あたしと似たような年齢の人たちが既に10人くらいいて、それこそ本当に男女の出会いの場というよりは人脈を広げにでもきたかのように、あちらこちらで名刺交換が行われていた。それが一通り済むと見計らったかのように幹事から始まりの挨拶があり、それからみんな和気藹々と話しながらの食事を楽しみ始めた。

あまり食欲はなかったはずなのに、流石は高級イタリアン。
出てくる料理はどれも美味しそうで、参加費は進が出してくれるから実質タダと思えばアレは食べてみたい、コレも美味しそうと、一通り食べたくなって、つい、色々と手に取り食べてしまった。
人と話さず、食事ばかりの女に近付いてくる男もいないだろうと思いきや、何人かの男性に声をかけられた。それでも適当に相槌を打っていたら、気のないことを察知したのか、すぐに離れていった。

少しお腹が落ち着いて、ぐるりと周りを見渡して目に入ったのは、鈴木さんと杉山さんが仲良く笑い合いながら話しているところだった。
うんうん。いい感じじゃない?やっぱりこういうのは他人が余計なことをせずに傍観するに限る。


ここで幹事がマッチング用の紙を配り始めたから腕時計を見ると、いつの間にかパーティーが始まって一時間以上経っていた。全員にその用紙が渡ったところで幹事から説明が入る。

今回のパーティーは必ずしもマッチングが目的ではないこと、アプリに登録したものの個人間で会うことを躊躇って先に進めなかった人も、今日の出会いを大切にして欲しいと、もちろん主催側としては婚活アプリだからマッチングしてくれれば嬉しいけれど、相手は男でも女でもどちらでも、今日の出会いが世界を広げるきっかけになればと、そのお手伝いが出来たなら我々にとっても、このパーティーは有意義なものです、と話し終わると、みんな一斉に記入を始めた。

もちろん、あたしは何も書かずに無記名のまま提出。あとはマッチしてカップル成立した人たちに笑顔と拍手を送り続けた。
マッチングして照れてる男女に、ちょっとだけ羨ましいなんて思ってしまった自分に気が付いて、慌てて喝を入れる。今はミドウさんと友達に戻れるかが重要で、その為にきちんと彼と話したくて会うのだから、こんな邪な考えは捨てなければ。あたしはもう、彼とは友達として一緒にいられれば、それでいいんだから。

さぁこれで帰ろうと出口に向かおうとした時、再び幹事が話しだした。

「皆さま、本日はパーティーにご参加いただきまして誠にありがとうございました!最後に当アプリ責任者の花沢と、このレストランを快くお貸しくださいましたオーナー様からご挨拶がありますので、少々お待ちください」



……えっ?
咄嗟に壁の隅っこ、背の高い観葉植物が置かれている所へ隠れるように身を寄せる。
アプリ責任者の花沢と言われれば一人だけ心当たりがあるというか、会うのも気まずい前回会った時に怒鳴りつけてしまったその人だろう。

そしてすぐに開かれた部屋の扉。
現れたのは、やはりあの花沢さん。と、一緒に入って来たのは道明寺 司?!


なんで!?
どうして彼が、まさかこのレストランのオーナーって彼のこと?
まさか会わないだろうと思ってたのに、そんなことある?!

突然現れた二人に参加者たちはざわつく。
二人とも美形なことに加えて、彼らの立場を知るものが多いからだろう。今回のパーティーはサクラとして参加したあたしたち三人はともかく、他の参加者たちはみんな大企業に勤めていて収入もハイクラスの人たちだと進は言っていた。だとすれば当然、経済誌に載るような二人を知っているのが常識で、むしろ知っていないとおかしいだろう。

そんなざわめきも二人は気にすることなく、幹事から促されて先に責任者である花沢さんから挨拶が。
ニコリともせず淡々と、今回のパーティーに参加してくれたお礼と、今後も当アプリをよろしくと、非常に簡素な挨拶のあとペコリとお辞儀をして顔を上げた花沢さんと目が合った。
あたしを見て一瞬ギョッとしたような顔をしたけど、瞬き一つあとには、いつもの無表情に戻っていた。

そして、道明寺 司。
彼はこのイタリアンレストランの「アチェロ」のオーナーで、花沢さんとは旧知の仲であること、その縁で今回初めてこういう催しに会場を提供したけれど、ここが出会いのきっかけになったのなら嬉しいとか、今後のデートやプロボーズをするなら当レストランを思い出していただければ、なんてにこやかに話しながら目線はちゃんと参加者たちみんなを見ていて、何あの愛想笑い初めて見たとか、あれが仕事モードのミドウさんで、あたしと会っていた時と服装や髪型はともかく全然雰囲気違うじゃんとか、さすが道明寺財閥の御曹司で代表を務めるだけのことはあるんだろうけど、あんな丁寧な話し方も出来るんだ、とか。
やっぱりあたしが知っているのは「道明寺 司」じゃなくて、「ミドウ ジョウ」なんだと、再認識させられる。


それでもこのままでは見つかってしまうかもと、いや、この場にいるのを見られたところで、あたしがどこで何をしていようとミドウさんは気にすることもないだろうけど、それでもなぜか見られたくなくて、ゆっくりと、静かに出口へと足を進めていたのに。

みんなが花沢さんと道明寺 司に注目している中、こそこそとした動きをしていたあたしが挙動不審な人物にしか見えないのは当然で、突然のことに動揺して、とにかくこの場から離れようとしていたあたしはそんなことに気が付くわけもなく。

参加者に向けて話していたいたはずの道明寺 司の声が聞こえなくなって、ハッと彼を見たら、いつの間にか挨拶は終わっていたようで、ミドウさんはあたしをジッと見ていた。
そして次の瞬間には眉を顰め、花沢さんに何か声をかけたあと怒ったような顔でこっちに向かって歩いてくるけど、その目はあたしから逸らされることはなかった。


なんで?
なんでこっちに来るの?
そのまま花沢さんとか幹事さんと話し続けてればいいのに!


心を落ち着かせたくて公園を歩いてきたりとか、不本意ながらもパーティーに参加していた間は、これからミドウさんの信頼を取り戻して友人に戻る為に何から話そうか色々と考えたり、食欲なんてないと思いながらも一度は来たかったレストランのお料理を少しは食べてみたいなんて思える程度には心に余裕がないわけではなかったけど、でも会うのはこのパーティーあと、いつもの喫茶店のはずで、会いに来るのはミドウさんなのか道明寺 司のどっちの姿かなんて考えもしてなくて、それこそミドウさんの姿で来るのかと、でももうあたしがミドウさんが道明寺 司だと知っていると彼は知っているはずなわけだから、
だから、だから、こんな婚活パーティーの中で、まさか彼が道明寺 司の姿のまま、わたしに近寄ってくるとは思ってもいなかった。


淀み無くあたしに向かって歩いてくる彼から目が離せなくて、でも彼から逃げるように部屋の出口に向かって足は勝手に動く。

追いつかれる、前に。


なんで逃げたのかとか、いや逃げたわけじゃなくて、咄嗟にどうしたらいいのか分からなかっただけで、決して彼と話し合うことから逃げたわけじゃなくて、だって会うのはいつもの喫茶店のはずで、こんな、まさか婚活パーティーで会うなんて思いもしなくて、ただただ驚いただけ。


幹事席では進がポカンとした表情であたしを見ている。

そして、そんな進と、怒ったような顔をした道明寺 司を残して、あたしは走り出した。










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Re: notitle 54

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「絶対に嫌だ。ふざけんなクソが」

「代表、口が悪過ぎます」

「うるせぇ西田!土曜日は休みにしろって言っただろうが!俺は絶対に仕事なんてしねぇからな!」

「そんな二週間前になって急に休みにしろと言われても無理だと申し上げたはずです。それでも休みたい理由は存じ上げておりますからね、無理矢理に何とかして午後のお約束の時間までにはと調整をしたではないですか。約束は午後からなんですから、その前の午前中だけでも仕事をしてくださいと、それだけですが」


土曜日は絶対に仕事をしない。したくない。
やっと、やっとクシマと話が出来る日なのだから。

俺が女遊びをしていると誤解をしているのもそうだけど、俺が道明寺 司だということを半年もの間なぜ話さずに黙っていたのかと、俺の要求に応えて女に慣れる練習なんてものに辛抱強く付き合ってくれていたのに、俺は家族に会わせることもせず、俺自身の話もしなかったが為に彼女からの信用も信頼もなくなってしまっただろうことに不安ばかりが募り、あきらたちから話を聞いてからの時間は、それはひどく憂鬱なものに感じられた。

それなのに。


「分かりますよ。やっとクシマさんから連絡が来て、やっと土曜日に会えるんですからねぇ。えぇ、やっと!」

うざい。分かってんなら仕事を入れるなと言いたい。
じろりと睨んでも、隣に座る西田は何が楽しいのか口角が上がるのを抑えきれていない。

「しかしですよ、代表。かなりスケジュールを詰めて日本に戻るんですから、日本にいる時は日本のメープルホテルも視察していただかないと。それに従業員一同、代表を一目見ようと楽しみにしてますから」

「んなもん知るか!視察はともかく、俺がいるかいないかで仕事への意欲が変わるのおかしいだろ!」

「代表が顔を見せるだけで社員たちの士気が上がるなら安いもんです。
それでも土曜日の仕事は午前中だけにしてるではないですか。何が不満なんですか。いつも通りに仕事をするだけですよ。ちょっとメープルホテル東京に寄って、ちょっと視察して、総支配人とちょっと話すだけですから。時間までには終わります」

うざい。めんどくさい。ぶん殴りたい。
なんでクシマに会う前なんだ。
彼女と会う前に慌ただしく仕事なんかせずに少しでも気持ちを落ち着かせる為に、自宅でゆっくりと時間を過ごしたかった。

だって彼女は怒っている。

あきらたちが「あの時の彼女はすごかった。俺たちに向かってあんなに怒り狂って物を言う女は初めて見た」とか何とか言っていた。
あきらたちと話したあと、滋と残って話しをしていたとも聞いたから、滋に連絡をした。彼女とどんな話をしたのか知りたくて聞いてみても何も教えてはくれなかったし、むしろ言われたのは「とりあえず、あんたたち馬鹿じゃない?」だけだった。

馬鹿なのはあきらと総二郎だけだが、その話を聞いてから少しだけこわくなってしまって、彼女にメールを送るのを控えてしまっていた。
彼女はものすごく怒っていて、既に信頼関係が破綻しているだろうこと、そしてその前からメールの返事がなかなか来なくなっていたことが全てを物語っているのではないかと。

それでもまさか今さら彼女を諦めるつもりはない。
最終手段として類にアプリ内の彼女の個人情報を入手させるか、あきらに調べさせたほうが早いか、それなら住んでるところは知っているから待ち伏せるかまで考えていた。だから、そうする前に彼女から連絡が来たことは僥倖以外の何ものでもない。

実際、クシマの口から自身のことを話してくれるまでは、彼女について何も調べるつもりはなかった。
そんな裏で非合法な手段を使って知るのではなく、彼女から聞くことに意味があり、それが信用で信頼だと思ったのだ。
だから俺は未だに彼女の名前も知らない。
勤務先は偶然にも知ってしまったけど、あれは本当に偶然で、それはきっと彼女も分かってくれているはず。

そして彼女からのメールが来た時、それはもう嬉しくて、怒っていたらメールなんかくれないだろうし、もしかしたら二度と会ってくれないのではないかと思っていたのだ。
躊躇いなくメールを開き、内容を確認。返信が遅くなって悪かったと、さらに二週間後に会ってくれるという内容に狂喜乱舞し、一も二もなく諾の返信をしてから、はた、と冷静になった。

彼女は、怒っている。
そんな彼女の話が、良い話なわけがない。
なぜ今まで半年も練習に付き合ったのに何も教えてくれなかったのかとか、だからもう信用も信頼もなくなったとか、もう、友人をやめる、とか、言われるのだろうか。

いや、彼女なら話せば分かってくれるはず。
嫌なシーンを想像してしまったが、そんなことはないと思い直す。

クシマは両親や仮面を付けた媚を売るだけの女とは違う。
彼女は俺の正体を知っても、それですり寄ってくるわけでも脅迫してくるでもなく、ただ怒っている。

そう、彼女は何も教えない俺に信用も信頼もされていないと思ったと、それに怒っているようだったとあきらたちは言っていた。


クシマは初めて会った時から、理不尽なことにははっきりと拒絶する意思を持っていた。
性格が素直なこともあるのだろうけど、嫌なことは嫌だと、良いことは良いと言う女だった。
そして人を見た目で判断しない。
ボサボサ頭で瓶底メガネのクソダサい格好をしていた俺に、加えて横柄な態度まで取ったのに、彼女は見た目じゃなく、俺の話だけで協力をしてくれていた。

「イケメン」なるものにも何か遺恨があるようだったけど、そんなものは俺にしたらどうでもいいとまでは言わないが、瑣末なことである。「ミドウ ジョウ」が「道明寺 司」であることも、この整っていると言われる顔があることも隠していたけれど、クシマが見た目や名前じゃない俺を知っているということは俺にとって唯一の希望だ。

あきらたちの言う通りに素性を隠していたのは、例えたった一度会うだけにしても名前や見た目に釣られるような女は嫌だったから。
今まで出会った人間は俺の見た目と財と家名だけを見ている人間ばかりで、もう誰一人この世に何もない素の俺を見てくれる人なんていないと思っていた。

誰も俺の話など聞かない。

俺が「Yes」と言えば全てが「Yes」の世界で、俺が何かを発すれば全て受け入れられるし、欲しいものはすぐに与えられ、それが当たり前だと教えられて生きてきた。

でもその中で誰も俺の気持ちを聞くことはなかったから「No」と言うことを許されないのだと、欲しくなくても与えられるモノに拒否権はないと思い込んでいたのだ。
あの、幼い頃の俺に、嫌だと言ったのに、あの信用していた使用人がしたように、俺の「No」は受け入れられないと、思い知らされたように。

もう、そういう世界で一人生きていくしかないと、達観し、諦め、絶望感すらあった。そんな環境の中で「俺自身」を見てくれる人がいるとは、もう到底思えなかった。

でもクシマだけは違ったのだ。
最初は『嘘は付かない』と約束をしたことも、その場しのぎの口だけだと、そんなことを言いながらも彼女だって嘘を吐くと思っていた。
上辺だけの、心の中では俺という人間をいかに懐柔し、そしていずれ足を引っ張り、財や名を奪おうかと算段をしている人間ばかりの中で、「嘘を付かない」なんて一番信用ならない言葉だ。

それでも彼女を信用しても良いかもしれないと思ったのは、あの言葉。


『あなたの体はあなたのものなの。それが家族でも友達でも初めて会った人でも、人の体は許可もなく勝手に触ったりしないものでしょ?』


彼女は嫌なことには「No」と言って良いのだと、そして話したくないことは話さなくていいと、初めて俺に「選択肢」を提示した人間だった。
彼女だけは俺の「No」を受け取り、「No」とは言えない「Yes」ではなく、本心の「Yes」を「Yes」として受け入れてくれたのだ。
俺の嫌だと思うことは絶対にしなかったし、俺に触れる時は必ず許可を求めてきた。彼女が一緒にいる時は、常に俺が「Yes」か「No」を選べる状況にしてくれていた。

だからこそ正体を知られることがこわかった。
友人たちや家族すらも、誰も知らない俺を知ってくれた彼女を、失うのが、こわかった。

そんな俺がもちろん女遊びなんか冗談でもするわけないし、一つも疚しいことなんかない。
今の俺が出来ることは、クシマが好きで、一緒にまた過ごす時間が欲しいと伝えることで、その為には彼女に会えた時に全てを話すつもりだ。


「代表、わがままが許される歳ではありませんよ。もう代表になって何年ですか?もう立派な大人なんですから大人しく仕事をしてください。それに、その日は花沢様が責任者を務められてるアプリ主催のパーティーが「アチェロ」で開催されます。こういうイベントに使用するのは初めてですから、ついでにその様子も少しご覧になってください」

また一人グルグルと考え事をしていて黙り込んだ俺に、それを無言の抵抗と圧力を感じたのか、
それも勘違い甚だしいが、まるで子どもを諭すかのような口振りにまた苛立つ。
今のは確かに仕事の話に私情が入ってはいたが、大抵はいつもこうやって俺の「No」はワガママという理由で拒否される。

「あー、類が何か言ってやつか。んなもん見たって面白くも何ともねぇだろ。男と女が騒いでるのを見ても面白くない。どうでもいいから行かねぇ」

「坊ちゃんがお世話になったアプリですから、花沢様にはきちんとお礼をしませんと。スケジュールに入ってますからね、行きますよ代表」

そもそもに世話になったって何だよ。類に世話になったつもりはないし、行くのはもう決まってんじゃねぇか。
あきらと総二郎が勝手に始めて、勝手に決めて、勝手に引き合わされただけで、クシマと最初に会った時以外アプリは起動していないし、会った女もクシマが最初で最後だ。
しかしそれでクシマと出会えたのだから、アプリの責任者という点においては多少、類に感謝してもいいのかもしれない。

それにしても俺が嫌々始めたあのアプリを通して初めて会った女が、まさか結婚願望のない女だったのも、そこから友人になったのも、そして好きになって、これから先も一緒にいたいと思うようになることも、その全てが重なれば、それはもう偶然ではなく必然で運命だったのかもしれない。

運命の女。

そう言える女が俺の人生の中で現れるとは考えたことも思ったこともなかった。そう考えればやはり類に多少は、ほんの僅かくらいは……、

いや、違う。類じゃねぇ。

あのアプリを発案し、プレゼンを勝ち抜き、開発運営まで持ち込んだのは類の部下だ。
その部下が秘密裏に姉に結婚相手を探させようと、アプリを使わせる理由にモニターを依頼したんだったよな?それなら、本当に感謝すべきは類の部下で、クシマの弟だ。

また一人グルグルと考え事をしていたら、西田が胸糞悪い話を口にした。

「それと今、会長と椿お嬢様が帰国されてまして、話があるから必ず本邸に一度寄るようにと言付かっております。本日は日本に到着したらそのまま本邸に向かいますので」

は?
ババアと姉ちゃんが?何の話だ?
またお見合いか何かの話か、いかに後継者としての俺の役割が大事かとかの説教だろうか。
クシマには会いたいが、家族には会いたくない。

仕事に家族。
クシマに会う前の苦行が多過ぎるが、これを乗り越えれば彼女に会えると思えば、多少は頑張ろうかという気にもなる。


海外出張からの帰り、高度五万フィート上空を飛ぶ旅客機の中でクシマと何を話すかばかり考えていた俺は、帰国後ババアと姉ちゃんから聞かされた話に驚きしかなく、そしてまたクシマとどう話すべきなのか悩むことになる。











Re: notitle 53

Re: notitle 53







「絶っっっ対に嫌!だからね!」

「姉ちゃん!頼む!俺を助けると思って!」

いくら弟の頼みとはいえ、嫌なものは嫌。

「い、や!」


やっと決心してミドウさんにメールをした。
彼も話があるから必ず約束の時間に喫茶店へ行く、と返事をもらった。まさかメールを送って数分後に来た返信にもびっくりしたけど。

こんなに長い期間、会わないなんてことはなかったし、彼の友人とのことがあるまでは彼から会いたいとメールが来ていた。
それがあの出来事の後しばらくしてミドウさんからメールが来なくなったのは、きっと彼は友人たちから、あたしとどんな話をしたのか聞いたのだろうと思っていた。やはり彼の信用と信頼を失ったのだと、そう。
だから返事が来た時、なんで信じなかったのかと、あらぬ誤解をして、あからさまに避けるような、そんな真似をする人間だと思わなかったとか、もう会うつもりもないとか、そういう内容のメールが返ってきたかもと思って、新着メールのポップアップ通知をタップするのに数時間かかってしまった。

まさかメールの返事がすぐに来たことも、そして彼が会ってくれるということも予想外で、また会ってもいいと言ってくれるまで頑張ろうと思っていただけに、自分から会いたいと言い出したことではあるけれど、本当にミドウさんに会えるという事実に、罪悪感と、嬉しさと、不安と、緊張と、とにかくいろんな感情がまぜこぜになっていた。

それなのに。


「その日、姉ちゃんの用事って午後からだろ?その時間までには絶対に終わるから!お願い!」

ミドウさんに会う約束の日の二日前、仕事から帰ってきてみれば、またしても進。
いつものように合鍵を使って部屋に上がり込み、のんびりとリビングで寛いでいた。玄関横の窓から漏れる明かりに進だと分かってはいたけど、こういうタイミングで進が訪ねて来ることに、何となく嫌な予感がしていた。


「だからって今度は「婚活パーティー」って何よ?!もう、本当に今はそういうの行かないことにしてるの!絶っ対に嫌っ!」

「頼むよ、姉ちゃ~ん!急なキャンセルが数人出て、男女比がちょっと合わなくなりそうなんだ。必ずカップルになれとは言わないし、参加費も俺が払う!今回だけサクラで良いから出てくれませんか!」


よりによって何でミドウさんに会う前?!
彼と会うのはもう約三ヶ月振りになる。数日前から緊張し始め、今はもうご飯すらまともに喉を通らなくなってきて、そんな様子のあたしに部長にも心配されるほどなのに、そんな、婚活パーティーなんて行けるわけない!

帰ってきて部屋に入るなり、リビングのソファで寛いでいた進はパッと立ち上がったと思えば、あたしの前まで来るとスッと正座をして、真面目な顔で話し始めた。
既視感。
約一年前の、あの時と似ている状況だ。

「第一、あんたんとこのはアプリでしょ?パーティーって何なのよ?」

「実はアプリを開始してから半年毎に、有料会員のみで参加条件を限定して婚活パーティーも開催してたんだ。今回も集まる人たちの条件はあるんだけど必ずマッチングしなくても良くて、とりあえずいろんな人と会って話してみよう、っていう気軽なパーティーなんだよ」

「でも進の仕事はシステム関連じゃないの?何でパーティーのほうまで関わってるわけ?」

「アプリを立ち上げた時のメンバーの一人が今はパーティー企画に関わってるんだ。今回のキャンセルが本当に急だったから、日程と条件の合う人が見つからなくてさ。それで誰か知り合いに参加できる人いないかって泣きつかれちゃって……。
一年前に比べてアプリの利用者も、パーティーの参加者も増えてきてたんだ。いくら急なキャンセルとはいえ、こんな直前に中止になんて出来ないし、かと言って男女比おかしいのも不自然だろ?姉ちゃんならほぼ条件に合うし、アプリもやってたからと思ったんだけど……」

「大変なのは分かるけど、ごめん進。今回は本当に無理!」

「……普段は滅多に予約の取れない有名イタリアンレストランの個室が取れたんだ」

「……だからね、進」

「タダで高級イタリアンレストランの料理食べ放題、しかもカップリングなし、無理に誰かと話さなくてもOK」

とてもじゃないけど、ただでさえ食べ物が喉に通らないような、こんな気持ちの状態でイタリアンレストランの料理が楽しめるとも思えないし、カップリングなしとは言っても、誰とも話さないわけにはいかないだろう。
前回こうやって同じように進に土下座までされてアプリを始めてどうなった?
行くべきではない。
しかも、ミドウさんに会う前になんて尚更。


「たのむよ姉ちゃん。一生のお願い!他の参加者さんたちを落胆させたくないんだ。助けてください!」


……こういうところ、本当に進のずるいところだと思う。あたしの頼まれたら断れない、お人好しな性格を見抜いてる。

身内の進ならともかく、立ち上げメンバーだの他の参加者さんだの赤の他人のことなんて、それこそどうでもいい話だ。
でもこんなギリギリの日程で、もう頼めるのは身内ぐらいのものだろう。ましてや当日になって人数が合わないなんてことになったら、期待して参加している人たちを始め、アプリの信用問題にもなりかねないだろうことは分かる。

進が提案し、コンペを勝ち抜いて採用されて始まったアプリ。
最近のオススメ婚活アプリランキングにも上位に入っているのは知っている。ここまで出来たのは、進が、責任者の花沢さんや、他の社員さんたちが努力してきたからだろう。
人と人の出会いを手助けしたい、その一心で。

言ってしまえば、ミドウさんに出会えたのも婚活アプリがあったからで、動機は何であれ、進がアプリのモニターを頼んできたから。


「あんたね、一年前もそうやって殊勝な態度で頭を下げて一生のお願いなんて言ったのよ……」

正座をしている進の前で、仁王立ちになって腕を組んで睨みつけるように見下ろし、これみよがしにハァーっと大きなため息を吐いた。
なんでも土下座して頭を下げれば良いってもんじゃないでしょうに。


「……何時から」

「十一時から約二時間の予定です!」

「ちょっとギリギリだから、途中で抜けるかもしれないよ」

「大丈夫、そこは俺が何とかするから!」

「本当に誰とも話さないからね」

「幹事に伝えておきます!はい!」

「もう本当に今回限りよ。これが最後だからね!」

「分かってる。ありがとう姉ちゃん……!」


自分でも馬鹿だなとは思うけれど。
誰かと話すような気持ちの余裕もないし、カップリングしなくても良いなら、それはそれで気が楽でもある。
ただそこにいれば良いだけみたいだし。

「それで?どこのレストランでやるの?」

「聞いて驚け!なんと!「メープルホテル東京」の、あのイタリアンレストラン「アチェロ」でやるんだよ!」


……は?
メープルホテル?
嘘でしょ?!

「やっぱりダメ!行かない!ごめん進、行かない!」

「えっ?それ酷くない姉ちゃん?!今さっき行くって言ったばっかりなのに!」

「メープルホテルなら行かない!絶対に行かない!」

「なんで?!姉ちゃん「アチェロ」行きたがってたじゃないか!そこでタダで食べられるんだよ?!しかも婚活パーティーなのに誰とも話さなくても良いって言ってるんだよ?!正気?!」

至って正気だ、進の馬鹿!
なんでミドウさんに会う前に、ミドウさんが代表を務めるホテルで、よりによって婚活パーティーになんて行けるわけないでしょ!そんなの、絶対に、無理!


「とにかく、無理!今回は本当にごめん!」

「……じゃあ理由を言ってよ。一回は良いって言ったのに、なんで急に駄目なんて言うの?断るなら理由くらい聞かせてもらっても良いよね?」

理由?!
そんなの、言えるわけないでしょーが!

進にはミドウさんとのことは話していない。
花沢さんと進にモニター報告をした時、結婚目的ではないようだと言ったからか彼に関しては何も聞かれなかったし、聞かれないことをわざわざ話したりもしなかった。だからミドウさんが道明寺 司だということも、今こんな状況になっていることも、当然話していない。話せるわけもないけど。
もちろんそんなことを知る由もない進は、ジトッとした、非難するような目つきであたしを見てくる。

「一度行くって言ったことを理由もなく反故にするのって、どうなの?」

「……うっ」

「なんでメープルホテルが嫌なのか知らないけど、詳細を確認しなかった落ち度は姉ちゃんにあるよね?しかも理由もなく断るなんて、社会人としてちょっと……」

行きたくない。
まさか彼にそこで会うとは思わないけど、それでも、何となく行ったらいけない気がする。
確かに詳細を聞く前に承諾してしまったのは迂闊だったけど、だからといって断る理由も言えない。


「……なんで「メープルホテル」の「アチェロ」なの?!」

「それがさ、今回のパーティーは男女共に勤務先が大手企業で収入がハイクラスであることっていうのが参加条件なんだ。だから当然、開催場所もそれなりの所でってことになったんだけど、専務がメープルホテルの社長さんと友達だからって頼んでくれたみたいでさ。すんなりOKしてくれたって」

メープルホテルの社長さんって、それミドウさんのことだよね?!
花沢さんとお友達でメープルホテルの社長さんなんて、考えるまでもなく一人しかいないじゃない……!

何で詳細を確認しなかったのか。一度は承諾してしまったし、断るにしても理由も絶対に言えない。
自分の迂闊さと馬鹿さ加減に呆れるしかなく、後悔先に立たずをこれほどまでに体感したのは初めてで。

でもまさかミドウさんだって、約束の前にメープルホテルに来るわけないと考え直した。
土曜日に会えるってことは、その日は彼も仕事はお休みだってことだよね、と自分を納得させる。

大丈夫。
隅っこで、ちんまりしながら少しだけ食事だけを楽しんで、そして時間になったら待ち合わせの喫茶店に行けば良い。


まさかそんな、偶然でもメープルホテルで会うかもしれないなんて、あるわけない、よね?












Re: notitle 52

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見守る。

信頼があれば、出来ること。
自分を信じてくれる人がいると、思えること。



「彼はもう何も知らない、こわがるだけの子どもじゃないんです。大人で、責任を持って自分のことは自分で決めて実行出来るんです。親として、職場の上司としても心配するのは分かります。でも、その人が何歳であっても、自分のことは自分で決める権利があるんです。だからと言って、何でもかんでも一人で決めて良いわけでもないですけど……。だから、その為に話すんです。お互いにどうしたいのかを、お互いが納得して前に進む為に。
彼の声を、話を聞いてください。こうして会長とお姉さんが心配しているように、彼も会長とお姉さんのことで何かを考えている。その為に女性に慣れようと頑張っているんじゃないですか?
どうして今、女性に慣れようと頑張っているのか、聞きましたか?それを聞いて話さない限り、彼の気持ちなんて分かるはずがないんです。そして、どうして結婚してほしいと思っているのか、私に話していただいたように押しつけではなく、強制するでもなく、伝えるべきです。
お願いです。例え彼が話してくれるまで時間がかかったとしても、無理強いせずに、辛抱強く彼の話を気持ちを聞いてあげてください。
きっと、大丈夫です。彼は、名前も知らない私の話を聞いてくれる、優しい人ですから」

「司が、優しい人……」


会長もお姉さんも、何だか呆気に取られたような、ぼんやりとした顔で呟いたあと、しばらく黙ってしまった。
相変わらず料理には誰も手を付けることなく、配膳された時にはあった湯気も今はない。

言いたいことは言い切ったと思ったあたしは少し気が抜けたのか、会長たちの前だというのに、暖気にも目の前の豪華なお膳から目が離せないでいた。


「つくしちゃん、司が優しいって、どこらへんが」

つくしちゃん?!
お姉さんに名前で呼ばれたことに驚いて、お膳から顔をあげて見てみれば、また二人してあたしの顔をジッと見つめてくる。二人とも綺麗な顔立ちをしているから、真顔だととても迫力がある。
しかも少し身を乗り出して聞いてくるから、ちょっとこわい。


「え、優しいところいっぱいありますけど……」

「どこ?どこらへんが優しいの?!」

「そうですね、出張に行く度にいろんな所の写真を私に見せながら、どんな所だったか話してくれたりとか、私が甘いもの好きだからって出張のお土産にスイーツいっぱいくれたりとか、タバコも私の前では絶対吸わないし、いつも静かにニコニコしながら私の話を聞いてくれます。
さり気なくエスコートしてくれたりもしますし、あ、あとは私、夏前に風邪を引いてしまったんですけど、その時は薬とか飲み物とか持ってお見舞いも来てくれました!」

「司がニコニコ……タバコを吸わない、それに司が写真を撮って司がお土産を選んで渡してる……?しかも、お見舞いですって……?!そういえば、さっきお好み焼きも一緒に作ったって言ってたわね?!」

「そうです。一緒に作りました!初めは危なっかしい手付きでしたけど、最後は上手にひっくり返して作ってくれました!」

会長とお姉さんは、「司が!そんなことを!ニコニコと!」と何やらざわついている。
やっぱりお好み焼きはダメだったか……と不安になっていたら、今度は会長から質問が。


「司は初めからあなたにはそんなにフランクに接していたのかしら?」

「いいえ、初対面の時は全く会話をしないし意地悪なこともされました。かなり態度も悪かったです。だから、どういうつもりで婚活アプリなんてしてるのか聞いたりしました」

懐かしい。
あれからもうすぐ一年になる。世話の焼ける兄のお願いに付き合うくらいの、軽い気持ちで始めた関係。
果てしなく面倒なことになるかもとは思ったけど、まさか今こうして道明寺財閥の会長と一見さんお断りの料亭で話をすることになろうとは思いもしなかった。


「少し話したと思ったら口は悪いし、礼儀もなければ、もちろん礼節もないし、ずっと腕組みしたままで。本当にびっくりするくらい態度が悪くて、思わず「あなた何様のつもり?」って言っちゃいました」

「あの司に?それは、なかなか言えることじゃないわね」

お姉さんはクスクスと笑ってくれたけど、それも彼が道明寺 司の本当の姿だったら、あたしは同じように言えただろうか。
……言っちゃうかもしれない。彼が何者であろうと、初対面の人間にして良い態度と悪い態度がある。


「そのあとは嫌な顔をしてる彼の目の前で、ひたすらパンケーキ食べてました。私が食べてる間もため息は吐くし、甘いものを見てるだけで胸焼けがするとか、美味しく食べてる人の前で言います?!本当にどんな教育されてきたんだか……、」

そこまで言ってからハッとした。

しまった……!
目の前にいるのは彼の母親とお姉さんだった……!

「すっ、すみません!あの、違うんです!いや、違くはないんですけど、違うというか、あの、えーっと、あの時はそう思ったって話で、今は違うって知ってますので!えと、彼は素敵な人ですから!」

慌てて言い直したけど、時すでに遅しと思いきや、それを聞いた会長とお姉さんはまたクスクスと笑い始めた。
不機嫌な司の前で何かを食べ続けられる女の子は見たことないとか、あの子に何様だなんて言える子がいたのね、とか何とか話してるけど、初対面からあんなに無愛想で無遠慮で不快感を顕にする人に気を遣いたくなかっただけ。

そんなことを思い出して、また少し緊張が解けた瞬間に鳴り出した、あたしのお腹。


「ひっ…!重ね重ねすみません…!」

「あら、ごめんなさいね。お話に夢中になって、すっかり冷めてしまったわ。すぐに新しい物を出させますから、少々お待ちになって」

「いえ!こちらで十分です。せっかく作っていただいたものですし、もったいないですから。冷めててもこんなに美味しそうなお料理は初めてです。流石「楓」、やはり何もかもが素晴らしくて…こうしてご一緒させていただいただけでも嬉しいです。ありがとうございます!」

そう言うと、にこりと微笑みながら今度は温かいままで食べましょうねと言われたけど、またなんてありえないのに。
確かにこれが配膳されてすぐなら、もしかしたらもっと美味しかったかもしれないけれど、それでも今まで出会った和食の中で一番、ここまで上品で繊細なものは見たことも食べたこともない。

このあとは食事をしながら、家のことや家族のこと、仕事の話を少し聞かれたくらいで、他は彼とどう過ごしていたのか、何を話したのか、そんなことをずっと話していた。



まさか彼本人がいない時に、彼のご家族と話をすることになるとは思っていなかったけど、あたしは彼の友人でい続けたいと思った。
家柄も何もかも違うけれど、こうして彼のご家族に口止めをされたり、会わないように言われるわけでもなく、かと言ってそこまで品定めされているような感じでもない。「鉄の女」と言われる会長の、親としての顔を見せてくれたと言うことは、友人としてなら付き合っても良いと言うことだろうか。

別れ際に、これからも司をよろしくお願いしますと言われたけれど、今のところ唯一、家族以外で彼が触れられる女はあたしだけだから、それはあくまで社交辞令で、いつか彼が他の女性にも触れることに慣れてしまえば、きっとそれで終わる。それまでの間はよろしくと、そういうことなのだろう。

それで良い。
彼ともそういう約束をしている。

『家族に会って、女性に慣れる練習をしていると言えば、焦って結婚を迫ってくることはないはず』

約束守ったよ、ミドウさん。
きっと、会長もお姉さんも、分かってくれるはず。


だからあたしは、まず彼に会って謝って、何度だって謝って、そして許してもらえるなら友人に戻りたい。
その為なら、この気持ちを一生隠してでも、例え彼が、あたしじゃない誰かと結婚したとしても、笑ってお祝いするよ。

友人として、最後まで約束を守るから、だから、またあの喫茶店で、お土産とミントタブレットと、コーヒーと……、


あなたが、もういいと言うまでは、友人でいさせて欲しい。






To. ミドウ ジョウ
 From. クシマ ツキノ

 Title. こんばんは

 ずっとお返事出来なくてごめんなさい。
 お話ししたいことがあります。
 二週間後の土曜日、
 いつもの時間にいつもの喫茶店で待ってます。
 都合が悪ければ連絡ください。       』










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Re: notitle 51

Re: notitle 51







「メープルホテル& DJリゾートグループ」代表取締役社長。

これが、道明寺 司の肩書き。


日本に限らず、世界各国で「メープルホテル」を経営し、そのリゾート開発については環境を第一に、開発に伴う環境破壊問題にも真摯に取り組んでおり、「環境共生型リゾート」を主軸とした開発を行っている。
自然をそのまま出来る限り残し、地元に根付いた文化的特徴を大切に尊重しつつ、滞在を通してその土地に合った様々な体験プランを提案、地域の雇用問題など、そこに至るまでの過程も実績も他の企業に追随を許さないほどである。

そして「鉄の女」の異名をもつ道明寺財閥会長の息子であり、その仕事ぶりから若くして「冷徹」の呼び声高く、経済界の寵児とまで言われている。

そんな彼が今まで、二週間に一度は会ってくれていた。それがどれだけ大変なことか。

そして、仕事中にしか吸わないと言っていたタバコと、ミントタブレット。

あたしの前では見せない姿。


「辛い時に辛いと、誰にも言えないことの重大さに、私は親として今頃になって気付いたのです。仕事を言い訳にして、そこまで司を追い詰めていたことに気が付かなかった。だから親として、あの子の為に、」

「じゃあ!なぜ彼が嫌がる結婚を無理やり、強引にすすめようとするんですか……!?」

「家庭を持てば、変わると思ったのです!誰かと結婚して家族になる。そして子どもが生まれて、それを支えに、生きていってほしいと」

「そんなの、彼が決めることで、誰かが強制するものではないはずです。結婚だって一人では出来ない。子どもだって、一人では出来ません。その時には必ず誰かがいて、その相手と本人の同意があって成り立つものです。そして、それを彼本人が望んでいるかが一番大事なことなんじゃないんですか?
それよりも、彼の女性に対する意識を、その根本になっているだろう不安や恐れ、不信感、そういうものを彼自身がどうにかしたいと思っているのかとか、もしどうにかしたいと思っているならその為にはどうしたらいいのかを、話したり聞いたりすることもしないで、そんな、嫌なことは嫌だと、辛い時に辛いと言えない環境にしておいて、何をそんな、あなた方は、どこまで彼を無視するんですか……!」

「無視などしていません!だから何度もお見合いをさせてみたり、色んな場所へ行けば出会いがあるかもと、視察や出張の多いリゾート開発とホテル経営を任せてみたり、この婚活アプリだって、」

「それを!彼が望んだかどうかです!「あなたが」彼に何をどう思って何かをしてあげたいかではなく、「彼が」どうしたいかを、きちんと聞いて話をしましたか?!」

「司が、何を望んでいるか……?」

ごめんなさい、ミドウさん。

信じなくて、ごめんなさい。


「彼はまだ、結婚したいと思うところまで至っていません。でも、それでもずっと、どうにかしたいと頑張っているんです……!
それなのに、いくら周りが良かれと思ってやっても、彼本人が望んでなければそんなの、ただの心配と優しさの、押し付けでしかないじゃないですか……!」


なぜ会長はあたしにこんな彼の人生の根幹となるような話をするのか、そんなに彼が、彼の未来が心配だと言うのなら、あたしではなく彼に話すべきことなのに。

いや、だからって会長たちを責めるのは違う。
あたしだってミドウさんに同じことをした。彼に話を聞こうとしなかったくせに、何を偉そうに。


「申し訳ありません……。興奮して、失礼な物言いをしました」

「いいえ、牧野さんの言う通りだわ……」

ぽつりとお姉さんが呟く。
ちらりと隣に座る会長を見たあと、お姉さん自身の過去の話をしてくれた。


「私に政略結婚の話が出た当時、交際していた人が居たにも関わらず、両親に取引先の社長との結婚を強いられたの」

確かにさっき会長はお姉さんに政略結婚をさせたと言っていた。
これだけ大きい家では本人の意志に関係なく、子どもすらも会社の駒として使われてしまうのか。
彼は過去の出来事から女嫌いになった。だから今も結婚をしていないのだろうけど、そうでなければ彼もお姉さんと同じように政略結婚でもしていたのかもしれない。


「結婚してすぐは、親も結婚して夫になった人も、みんなが敵に思えて誰も信用なんて出来なかった。落ち込む私に夫なりの励ましや優しさを感じることもあったけど、家と財産と、会社の繋がりがそこまで欲しいのかと、嫌な見方しか出来なくて心が怒りに満ちていたこともあった。
でも……、ずっと辛く当たっていたのに、夫は辛抱強く私に話し掛けて、色んなところに連れて行って、ずっと優しくしてくれたわ。そして私の嫌がることは、一切しなかった。無視して、優しくもしないでずっと怒って不機嫌でいた私に、彼は怒ることも無視をすることもなく、いつも笑顔で接してくれていて……。
それからしばらくして、ある時気が付いたの。この人も、私と意に沿わない結婚だったかもしれないって。同じように恋人がいたかもしれない。でも結婚したからには夫婦になろうと努力をしてくれている。それなのに私はいつまでも子どもみたいに無視したりして、その人のことを知ろうともしなかった。それって、その人に対して、とても失礼なことよね。それからは、なるべく彼と一緒に過ごして、たくさん話すようにしたわ。
今では、この人は私を幸せにしてくれる、夫と結婚して良かったって、心から思ってる。そういうことよね?」


みんな、それぞれ過去はある。
良いことも、悪いことも、全てはその人の今を形成するものだ。その時、人は一人で生きてきたわけではなかったと気付く。
でも、その生きてきた中で、好きなことは好きと、特に嫌なことは嫌だと言えたかどうかは精神面に大きな影響を与えるのではないだろうか。
自分の意に沿わないことを無理矢理されそうになった時、その相手とどういう関係なのかが、この問題に大きく関わってくるからだ。

例えばそれは上司と部下かもしれない。
他にも先輩と後輩、親と子、男と女、それが友達同士でも、道端ですれ違っただけの人でも、その時々でそれぞれの関係性がそこには存在する。

もしその時に、すぐに嫌だと言えない状況や関係性だったら?

そこに相手に対して尊重などなく、強引に一方が強者になって事を起こそうとした場合、もう同意など皆無に等しい。


「No means no.」から「Yes means yes.」へ。
今では性犯罪規定として施行されているこの言葉の始まりはスウェーデンだと言う。
性行為は自発的なものでなければならず、「Yes」だけが同意したということであり、それ以外は「No」(不同意)と解釈する、ということだ。

これは、性行為だけに限った話ではないと思っている。
何に対しても、誰に対しても「Yes」だけが同意だ。

それを聞かずに何かを強いることは、その人の生まれながらに持つ権利や尊厳を無視するのと同等とも言える。


ここにあたしが連れてこられた時のように、「Yes」とも「No」とも言えない状況で、強引に「No」ではないなら「Yes」だろうと、この人たちはこういう話の進め方を彼にもしていたのではないか。
それでも今回に限って言えば、あたしは「Yes」だと自分で決めてここに座った。でもそれは、たまたまあたしがこういう開き直れる性格だから出来ることだった。

お姉さんも「No」とは言えない状況で結婚しているけど、お姉さんは自分で旦那様と愛を育もうとする為の手段を取り、そして相手を知ることが出来た。

でもそれは誰もが必ずしも、あたしのように開き直れたり、お姉さんのように自分で判断して決断し実行が出来る人ばかりではないし、身の危険が差し迫るような状況かどうかでも変わってくる。

もしかしたら彼は、ミドウさんは、ずっとそうやって彼の意思を尊重されずに、有無を言わさずに無視されてきたのではないだろうか。それはきっとお姉さんもそうで、自分の意志などないところで育ってきたのではないだろうか。
でも彼も周りの人も、もしかしたらそれを当たり前のことだとして無視だとは思っていなかったのかもしれない。

その人を想っているから、心配しているからと何をしてもいいわけではないけれど、今回の結婚云々に限って言えば会長もお姉さんも、彼の友人たちだって、ひたすらに彼と彼の未来を心配していることを、彼も無意識に、そこだけは本能的に理解していたのかもしれない。

でなければ、いくら女性が嫌いで結婚したくないとしても、家族を納得させる為だけに見ず知らずの素性も分からないあたしに協力を頼んでまで、過去のトラウマを克服しようと頑張っていたのだから。

そして話を聞いただけだけど、お姉さんが旦那様に信用と信頼を持っているように思えるのは、やはりお互いに歩み寄り、きちんと話をして、納得しているからだろう。
今の会話で会長がどう思ったのかは分からないけど、少なくともお姉さんはもう彼に結婚を勧めることはないと思いたい。


「部外者の私がこんなことを言うのは傲慢で烏滸がましいと分かっています。
でも、私の知っている彼は女性に慣れようと必死に努力をしていました。彼が私に触れることが出来るようになったみたいに、名前の知らない人とだって信頼関係を築くことが出来れば、女性に触れられるんです。
だから、「結婚」という手段を強引に勧めるのではなく、もう少し彼を見守ってあげることは出来ませんか……?」 













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Re: notitle 50

Re: notitle 50







手を繋ぐ。
それは、性別に関わらず幼稚園児にだって簡単に出来るだろう接触。
初めはそれすらも出来なかったミドウさん。



「そ、れは、牧野さんから?それとも、司から……?」

「前回お会いした時は彼からでしたけど……」

こうして会いに来るからには、ある程度は、あたしのことを調べているだろうと思っていたけど、流石に会っている間のことを調べるなり何かしなかったのだろうか。
あの喫茶店では、会うたびに手に触れる練習をしていたのに。

会長とお姉さんは顔を見合わせて頷き、そして何かを見定めるかのような、どこか心の奥まで見られるような、鋭い視線を向けられた。


「あなたは司のことを、どう思っていますか?ただの、友人だけ、ですか?」


どう、思ってるか、なんて。
なんて答えれば、この人たちにとって正解なのだろうか。

違う。
今はこの人たちのことではなく、ミドウさんが、どうしてほしいと言っていたか、が重要だ。


「彼は友人の一人、です」

「それなら、ただの友人だと言うのなら、なぜここ数ヶ月、司と会おうとしなかったのかしら?」


どいつもこいつも本当に。
なんで、本人じゃない誰かが聞きに来るのか。

違う。
私から遠ざけておいて、なんて身勝手なことを。

こう思ってしまうということは、やはり彼の中に何かを残したくて、女嫌いな彼にキスして抱きついて、そして一方的に遠ざけて避けて、どこかに少しでもそれが残っているなら、あたしに話をしに来てくれるんじゃないかと、期待して。

でも、それだけミドウさんはあたしに会いたいと思ってくれていたと言うことだろうか。
こうして友人や家族が彼を見て心配しているということは、そういうことだったのだろうか。

それなのに、あたしは、その希望すらも自ら潰してしまった。
きっともうミドウさんは、あたしに会いたくないと思っているかもしれない。


「それは、……ちょっと勘違いと言うか、誤解をしてしまいまして、それで彼を避けていました」

「誤解って?」

「あの……、彼が、友人たちと婚活アプリを悪用して女遊びをしているのかと……」

「あぁ、そういうこと」と、呟いたあと二人して額に手を当てて項垂れている。


「実は先日、彼のご友人たちが私と話をしたいと訪ねてきました。たまたま大河原部長も居合わせていたのですが、そこで少しだけ彼について、お話を聞きました。そのお話を聞いた時、女嫌いも嘘なんじゃないかと、結婚までの暇つぶしだったのではないかとか、そんなことを考え思っていたことを、後悔しました」


せっかくの会席料理。
きれいな飾り切りに盛付け、上品で美味しそうな香り。食べてもらう為に作られた、それなのに、誰も手を付けない。

あたしは膝の上で両手を、ぎゅっと握りしめた。そして、会長とお姉さんにしっかりと顔を向けて話す。
後悔まみれだけど、偽りのない今のあたしを、見てもらえるように。


「私は彼に直接、話を聞くこともなく憶測だけで判断し、一方的に、避けてしまったんです。
それは、……それが彼の、私に対する信用を損なうようなことなのではないかと、そこで初めて気が付いたんです。彼の友人や大河原部長から話を聞くまで知らなかったとはいえ、勝手に勘違いをして避けて、会わなくなって、こんなに時間が経ってしまった今、もう彼は私を信用も信頼も、していないかもしれない。
それでも私は、彼に会って、勘違いで誤解をして遠ざけたことを謝りたい。一度失った信頼関係を取り戻すのは難しい、かもしれません。でも、それでも私は……、自分で勝手に勘違いしたくせに、何様だとも、思います。それが私のエゴで、酷い自己満足だとも思うんですけど……、
どうしても彼に、触れることを許してくれる程に私を信頼してくれていただろう彼に、例えそれが男でも女であっても、誰に何を言われても、人を信じるということを諦めてほしくないと、そう思ってしまうんです……。うまく言えなくて、申し訳ないんですけど……」

うまく伝えられなくて、それでも今までのミドウさんとのやり取りを、ミドウさんの行動を、思いを、覚悟を、あたしが無駄にするようなことだけはしない。したくない。


「……あの子は女性だけでなく、人を、誰も信じていない。そうなってしまった原因はこちらにあります。それでも、あの子には、結婚をして欲しくて……」

「あの、なんでそこまで彼に結婚させたいんですか……?」

「そうね、もちろん家と会社を継いでほしいというのはあります。でも……、人は一人では生きていけない。親として、我が子に、頼る人なく生きていってほしくないのです。
あの子の背負うものは、とても大きいもので、親である私も家庭を省みることなく、会社を大きくするべく身を粉にして働いてきました。娘にも、望まぬ政略結婚をさせました。その結果が、」

一気に話し始めた会長は、その時ぐっと言葉を詰まらせて言い淀んだ。

なんだ、この会長の顔は。
これが冷徹で無慈悲な「鉄の女」?訪ねてきた時とは全く違う、人間味のあるような、そう、子どものことが心配で堪らないと憂うような、親の顔。

私が今日ここに来たのは口止めをされるか、ここに来てからも自分を品定めされるのかと、そう覚悟を決めて、そしてミドウさんの結婚をいかに先に伸ばせるかの、そういう話をしようと思っていたのに。
許してもらえるなら、彼とまた友人になって、そして彼の望みを叶えるべく協力したいと、そう思っていたのに。

そして、次に聞かされた話の内容に、更に私の後悔が増すことになる。


「……私は、何よりも、家族よりも仕事を優先して、子どもたちの世話を使用人たちに任せていました。そして司にも懐いてる使用人が一人いましたが、ある日、司が、……その使用人に強制わいせつに近いことをされました。ここにいる椿がすぐに気が付いて、それ以上になることはありませんでしたが、想像以上に司の心には傷が、残っていました……」

「その日は、私も学校からの帰りがいつもより遅かったの。急いでは帰ってきたのだけれど、いつもなら玄関まで迎えに来る司が来なくて、不思議に思って司の部屋に行ったわ。その時、何かが落ちて壊れる音がして……、司のイタズラか、またストレスで暴れて物を壊しでもしてるのかと、」

「待ってください!それは、その話は、私が聞いても良い話ですか?本人が私に話していいと、許可を持って話していますか?!」

何を話し始めたのかと黙って聞いていたけど、これは、かなり彼の精神的な部分の話ではないのだろうか。
なぜ女性に触れることが出来ないのか、どうしてそこまで触れられることを嫌がるのか、彼は話そうとしなかった。
話さなくても、聞かなくても、それでも彼は、ミドウさんは、あんなに顔を真っ青にして、少し触れるだけでも震えて、それでも、それでもあんなに頑張って……!


「いいえ、司に話して良いとは言われていません。でも……、」

「ダメです。お願いです。もう、それ以上は話さないでください……!先程も言いましたけど、本人から話したいと言うまで聞かずにいたことです。それを、いくらあなたが家族で親とはいえ勝手に他人に話すなど、彼がこのことを聞いたら何て思うか、分かりませんか……!?」

「話すのは、家族以外に話すのは、あなたが初めてよ……!」

「話すことが初めてとか、そんなの関係ありません!誰に話すか話さないかは、当事者である彼だけが決められることです!」

「あなたは……、あなたは、司を、何者でもなく、一人の人間として尊重してくれているのね……」

「そんなの、当たり前です!どこの誰だって、その人が何者であろうと、その権利は何人も侵してはならないことです!それが例え親であっても、家族であっても、です!彼の心も、身体も、それは彼だけのものなんですから……!」


なぜ彼はあたしを選んだ?
なぜ彼はあたしを信用した?
なぜ彼はあたしを信頼した?
なぜ彼はあたしを友人にした?
なぜ彼は、あたしが触れることを許した……?!

なぜ彼は、ここまで誰も信用も信頼も出来ない環境に置かれていたのか。

なぜ彼は、ああ、


『いつか、こんな何でもないような日常の中で、暮らしたい』


それが、こんなにも難しく、生き辛い世界で。

この言葉と、震えた身体は、
あの時、これだけは信じると決めたのに、あたしは、

あたしは、なんて酷いことを……!


堪えきれなくて涙が零れる。

何が信用だ。
何が信頼だ。

自分で彼について何も聞くこともせずに、彼と一緒に、あの穏やかな時間を終わらせたくなくて、まだしばらくはそれを共有したいと自分の感情を優先して、そして聞いてもきっと応えてくれないだろうと決めつけて、勘違いをして。

彼を、一番傷付けたのは、あたしだ。

一緒に過ごしていたあの時間と空間の中でだけは、何者でもなかったはずの彼の言葉だけを、それだけは、信じなくてはいけなかったのに。


「牧野さん、あなたは、司のことを……、」

お姉さんが言おうとしていることは分かる。ここまでくれば、あたしの気持ちなどバレて当然だ。
でも、それは今日の話とは関係ない。

『結婚なんてしたくない。それを阻止するために協力して欲しい』

その彼との約束を守る為に、あたしは行動しなければならない。
こぼれた涙をハンカチで拭って、会長とお姉さんを見据える。

がんばれ、あたし。
信用も、信頼もなくなった今、あたしに出来る精一杯を。


「私の気持ちは、今は関係ありません。取り乱したりして申し訳ありませんでした。
彼の事情は彼自身から聞きます。今は、なぜ彼の意思を無視してまで結婚を強いるかです。そこは、お聞きしてもよろしいでしょうか」

「そうね、まずはそこを話さなければならなかったわ」

会長は大きく息を吐き、そして話し始めた。


「今はまだ、私も姉である椿もいますが、この先ずっといるわけではありません。椿は嫁いでいますし、私も年齢だけで言えばこの子達より先に死ぬでしょう。その時、あの子は一人になってしまう。
司の友人たちだって、いつかは結婚して家庭を持てば自然と距離は出来る。仕事が関われば友情すらも捨てなければならない時がくるかもしれない。
それでも司の背負うものが軽くなることはなく、更に重いものになるだけでしょう。その時に精神的に支えになる人がいない、ということが問題だと思っています」















Re: notitle 49

Re: notitle 49







その料亭「楓」は門構えから凄かった。
語彙力を失うほどに、圧倒的。

この料亭はHPがあり、外観も内装も料理の一例もギャラリーで見ることは出来る。でも写真と実際に見るのとではこんなにも違う。
夜の暗さと、それを照らす明かりが更に陰影を深く見せ、その荘厳とした佇まいに圧倒される。

会長とお姉さんのあとに続いて、その門を潜って石畳の道を進んだその先にあったのは木造二階建て寄棟造りの建物。これは、築何百年と続く建物をそのまま使っているのだろうか。

なんだ、これは。
あたし、この格好で大丈夫なのか。
自分でここが良いとは言ったけど、オフィスカジュアルだよ、あたし。一応ジャケットは着てるけど、良いのこれ?

いや、ここで狼狽るほうがみっともない。
一緒にいるのは道明寺財閥の会長たちだ。大丈夫だから、ここまで来た。

逃げないって決めたんだから、怯えるな!



通された部屋は行く手にも分かれたうちの離れだろう一室、そのお座敷の内装は欄間から障子に畳縁、床の間も、部屋の至る所に細やかで繊細な装飾が施され、柱も深く月日を重ねてきたのだろう木の色。

重い。

何もかもが、佇まいも雰囲気も、細工の一つ一つまで、この部屋から見えるライトアップされた和風庭園の姿さえも全てが計算し尽くされ、どこから見ても、きっと美しいと思わせる。

これは、一見さんお断りだ。

こんな世間知らずの小娘が、酸いも甘いも噛み分けられるほど人生を歩めてもいないような人間がおいそれと来て良い所ではない。

そう、マナーはもちろんのことだけれど、伝統的な受け継がれてきただろう料金システムそのものが紹介という行為により、その人物との繋がりが重視され、そこにある信頼関係があるからこその、そういう全てを含めての「一見さんお断り」。
いま現代においても、この東京で「一見さんお断り」というシステムを取り入れているのは、この店がそれだけの歴史があると、そういうことだ。

お座敷に入って一歩目で足を止めてしまったあたしを、会長とお姉さんが不思議そうに見ている。

「どうしたの?」

「……いえ、筆舌に尽くしがたい風景だと、」

「ここね、このお庭が一番良く見えるお部屋なのよ」

さも当たり前かのように答えてくれるお姉さん。
この中で、あたしだけが異質、のような。

しっかりしろ、今ここでネガティブ思考はダメだ。こんなところ二度と来ることはない。きっかけは何であっても、これは幸運だ。

会長とお姉さんが並んで座り、あたしは促されるままその向かいに座ったけど、それはまるで食事選考のよう。
その間にも次々と膳が運ばれ、全て揃ったところで「呼ぶまで入らないように」と人払いがされた。

密室。

これは、あたしは何かを試されているのだろうか。


「牧野さん」

「はっ、はい!」

「そんなに緊張なさらないで。あなたと司がどのような付き合い方をしていたのか聞きたいだけなのよ」

緊張しないでと言われても、会長相手に緊張しないなんて無理だし、どのような付き合い方をと聞かれても、あたしはミドウさんの友人でしかない。でもそれは彼のことを知らなかったから許されただろう話で、本当は友人にすら、なれるような人ではないのかもしれない。


「どう、と言われましても、ただの友人ですが……」

「司に女性の友人がいると言うこと自体が驚きでしかないのだけれど」

ふぅ、と会長は一つため息を吐いた。
確かにあの極度の女嫌いを考えると驚きといえばそうなのかもしれない。長い付き合いらしい部長ですら、指一本触れることは許されていないと言っていた。

「牧野さんと司は、会った時に何をしてるの?」

な、何を……?
何って言われると、こないだキスとかしちゃったけど、今それは関係なくて、その前!その前に何をしていたのかを答えなくては。


「えと、普段は喫茶店でコーヒーを飲みながらお話をするくらいで、先日は私の部屋でお好み焼きを一緒に作って食べましたけど……」

会長とお姉さんは本当に目を見開いて驚いた顔をしたあと、二人で顔を見合わせて、そしてあたしの顔を見た。

え、なに?
二人とも驚きつつ、そして、とても真剣な顔をしていて少々こわい。
やっぱり大財閥の御曹司にお好み焼き作らせて食べたのは駄目だったかな……?


「牧野さん、あなたは本当に「ミドウ ジョウ」が「道明寺 司」だと知らなかったの?」

「そうですね。本人から聞いたのは、財閥系企業に勤めていることと年齢くらいでしたので」

「彼と会って話をしていて、何か気が付かなかったのかしら?」


それなら、初めから金持ちの箱入り息子かと、疑っていた。

『家族に無理矢理結婚させられる。
一見さんお断りのお店にも簡単に入れる。
今まで一度も人に頭を下げたことがない』

そう言っていた。
思い返してみれば、それからも高級ホテルのものや現地限定のお土産だったり、赤いスポーツカー、休む間もないほど過密スケジュールな仕事。

そうだ、彼は色々チグハグだった。
女性慣れしてないようのに、自然とエスコートしてくれていた。
服装もそう。カジュアルな洋服かと思えばブーツは海外の有名老舗メーカーのものだったり。


「それは、まぁ……、色々と疑問に思うところは多分にありました。でも、彼と約束をしていましたから」

「約束?」

「はい。聞かれても言いたくないことは言わなくていい。そして、嘘は付かない。そういう約束をして、まずは信頼関係を作っていこうと」

「でも、あなたたちは婚活アプリを通して知り合ったのでしょう?お互いに結婚の意志があることが前提の状態で、なぜ半年経っても名前を聞いたりしなかったのかしら?」

「いくら結婚の意志があったとしても、信用も信頼もない、人となりも分からない男に簡単に本名を明かすほど馬鹿な女じゃないつもりです。それに、初めてお会いした時から今まで雑誌等で拝見する姿とは見た目が全く違っていたので、その状態で道明寺 司だと彼に言われても私は信じなかったと思います」


……ちょっと待って。
てっきり今回話をしたいと言ってきたのは、彼に近付くなと、出会った経緯が婚活アプリだということを口外しないようにと警告されるのかと思ってたんだけど、違う?
婚活アプリをしていることを会長もお姉さんも知っていて、そこで知り合ったあたしと会うことを黙認していたということ?


「あの、すみません。こちらからも少しお尋ねしてもよろしいでしょうか」

「なにかしら?」

「今の質問からすると、会長やお姉さんは、彼が婚活アプリを使うことを容認していたと、そういうことですか?
偏見でしたら申し訳ないですけれど、こういう大きな家柄の方は海外の社交界で出会ったり、良家の御令嬢とお見合いなどが常だと思っていましたが、なぜ大財閥の後継者の方が婚活アプリを……?」

すると二人は盛大なため息を吐いて、彼の今までのお見合い事情を話してくれた。
それはもう、そこまでするのかと、無言で立ち去るのは良い方で、自分はゲイだと言ってみたり、下手すれば法に触れかねないこともしたとか。


「でも婚活アプリなんて、どこの誰だか分からないし、素性だって確かなものじゃないのに、いくら姿形を変えて偽名にしたとはいえ大財閥の御曹司を引き合せるなんて、かなり危険ではないですか?」

「そうね」

「少し、事情があって」

なんとも歯切れの悪い二人。
やむにやまれぬ事情があるのだろうが、それにしても大財閥の御曹司が婚活アプリを使うことを、その親である会長が黙認しているとは思わなかった。
そしてお見合いの話と合わせれば、それは。


「それは、彼の過度なまでの女嫌いが関係していますか?」

「なぜそうなったか、本人から話はありましたか?」

「いえ、話したくなさそうだったので無理に聞くことはしませんでした。ただ、彼はそれを克服しようと頑張っていることは確かです」

「克服と言っても、お話をするだけなら仕事でも出来ます。それでは、何も解決しないのです」

「あ~、……あの、手を繋ぐくらいなら、もう出来ますけど、それ以上はまだ時間がかかるかと」


出た。二度目のびっくり顔。
なに?ミドウさんはお姉さんたちに何も話してなかったの?!