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花より男子の二 次 小 説。つかつくメインのオールCPです。

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Re: notitle 44

Re: notitle 44





白と黒の部屋に、あたしと花沢さんの会話だけが音だった。

そして心臓と血液の流れるようなドクドクとした音は、動揺しているあたしの中だけで聞こえるものだと分かっていても、この状況に逃げ出したくて震えそうになる足にグッと力を入れて踏ん張った。

例え部長がいたとしても、この人たちの目的が分からない以上、弱みは見せない。動揺も見せたらいけない。
あたしは、ミドウさんの本当の名前も、何も知らない。

大丈夫。
がんばれ、あたし!


「ミドウさん、のことですか?」

「うん」

「モニターの件なら終わりだと、先程も」

「彼はモニター対象じゃない。君が会った他の男たちとは違って、結婚目的ではなく彼とは会っていただろ?」

「それは、そうですけど……。でも対象でないなら尚更、あの人のことを今ここで花沢さんに聞かれる意味が分からないんですが」

話しながら周りをちらりと一瞥すると、胡散臭い男とチャラい男は椅子に座ったまま花沢さんとあたしの話を黙って見ていて、部長はあたしと花沢さんを交互に見て首を傾げた。
これみよがしに一つため息を吐いて話を続ける。

「そのことで、こうやって他の方を交えてまで呼び出される理由も分かりません。私は部長と食事をしに来ただけなんですけど」

「うん。だから食事の前に彼について一つだけ聞かせてほしい。それが聞けたら俺たちは帰るから、そのあとは二人で食事を楽しんでもらって構わない」

嫌だ。
何も聞かれたくない。

不安と怯えで、もうずっと心臓が痛いほどにドクドクと脈打ったまま。
でも話を聞かないことには、この人たちは帰らなさそうだし、聞いたからと言って必ず答えるとも言わなければいい。聞かれるだけなら、それで早く終わらせて美味しいご飯を食べたい。

また一つ大きなため息を吐いて、仕方ないと言った風を装って。
あと少し、がんばれあたし。


「……何が聞きたいんですか?」

「ありがとう。じゃあ一つだけ。なぜ彼と会わずにを避けるようなことを?」

本当に説明も何もなく、もう全てを知っていると言っているかのように。
まさに単刀直入とは、このことだ。

ふぅ、と細く静かに息を吐く。
動揺なんか見せるな。
あたしの考えたことが、彼らが女性を誑かして遊んでいることが本当だったらと想定して話さなければならない。

そして本人がいないところで、こんな風に不躾に聞いてくる人たちを信用しない。
あんたたちの、思い通りになんかさせてやらない。


「彼がモニター対象じゃないと言うなら、それこそ花沢さんには関係ないことです。それに、聞かれたことにも必ず答えるとは言ってませんよ、私は」

「……君は、強情だね」

「個人間で起こったことを当人がいない場で他人に話す理由がないだけです。いくら弟の上司とはいえ、数回会っただけの方にそれを強情などと言われるのは心外ですし、不愉快ですね。
それに彼と会わなくなったことに関しても、どうして花沢さんが知っているんです?あなたとミドウさんはお知り合いなんですか?
もし知人だと言うのなら、どうして私が初めに報告した時に教えてくださらなかったんでしょう?
そして、なぜ会わなくなった理由を本人ではなく、他人を交えてまで関係のないあなたが私に聞いてくるのかも理解出来ません!」


「……ねぇ、何の話をしてるの?ミドウさんって誰?」

部長が話に割り込んで聞いてきたけど、その問いに本当に部長は何も知らずにあたしを連れてきたのかと内心驚きを隠せない。
どういう繋がりがあるのか知らないけど、部長はこの人たちを、それだけ信頼しているということなのだろうか。

この人たち、部長にどう言い含めて私を呼び出させたのかしら。
名家の御曹司たちとあたしの繋がりなど、何もないのに。


「部長には関係ありません。申し訳ないですが、これは私のプライベートに関わる話なので」

「じゃあ、類くんに聞く。さっきから会話に出てくるミドウさんて誰よ?
今日は、みんなと牧野さんが知り合いで、久しぶりに会うのにサプライズで驚かせたいって言うから面白そうだと思って協力したけどさ。どう見てもあんたたちと牧野さん、知り合いじゃなさそうなんだけど、どういうこと?
それに、このままだと私と牧野さんの信頼関係に問題が生じかねない。どうして牧野さんを呼び出させたのか私に本当の理由を聞かせてくれる?」

「それは……、」

花沢さんはあたしから目を逸らすことなく、でも部長の問いかけに答えることも出来ずに黙ってしまった。
それはそうだろう。あたしがミドウさんの正体を知らないと思っているから、迂闊に彼の名前を出せないはず。

この人たちもあたしがここまで頑なな態度を取るとは思っていなかったのか。
でも、この三人だけで突然あたしのところに来ても、絶対に話なんか聞かなかったと思う。

この場は、部長がいるから成り立っている。
話を聞く限り、部長は完全に巻き込まれた形になるだろう。

部長が一番戸惑ってるだろうけど、あたしも今のこの状況が理解出来なくて困っているし、お腹も空いてる!
大体なぜ彼の友人たちが、あたしを呼び出す必要が?
まだ遊べると思っていた女が急に避け始めたから?それなら何でミドウさんがいないの?
どうして関係ない部長にまで嘘を吐いて巻き込むの?

もう、知っているのに知らないふりをするのも何がなんだかややこしくて、お腹が空いていつもより頭が回らないし、これ以上余計なことを考えさせないで欲しい。

もう、この時間を終わらせたい。


「それと、さっきから黙っていらっしゃいますけど、なぜここに美作商事の副社長と茶道表千家の次期家元が?お目に掛かるのは初めてではないですけど、花沢さんのお話に関係しているから同席されているんでしょうか?」

そう言いながら二人を見れば、何とも驚いたような顔を見せてきた。
彼らだって、世間的に見れば社会的地位の高いところにいるような人間だ。どこでも誰にでも顔と名前を知られていたって不思議でも何でもないだろうに。
それに彼らも一度、あたしの前に姿を見せているのに何を今さら。


「……牧野さん、もしかして、「ミドウ ジョウ」の本当の名前を、正体を知ってるの?」

「さぁ、どうでしょうね。それを聞いてどうするんです?彼の正体が何であろうと、初めから何が目的なのか分からず怪しかった。今も不信感を持っているし、信用も信頼もしていないから会うのを止めた。これで良いですか?」

「分かった。何も言わずに不躾に聞いて申し訳ない。確かに俺たちは「ミドウ ジョウ」の知り合いだ。牧野さんからのモニター報告で彼の名前を聞いた時はびっくりしたけど、いくら俺が婚活アプリの責任者とはいえ、マッチングして直接会っている間はそれこそ個人間のことだ。だからそこで俺が彼と知り合いだと教えても意味はないと思ったから敢えて言わなかった」

花沢さんがそう説明すると、やっと胡散臭い男も口を開いた。

「そうなんだよ。俺たちは彼の友人で、君のことで相談に乗っていただけ。彼からここ数ヶ月、君は何かと理由をつけて全く会ってくれなくなったと聞いた。気に障るようなことをしてしまったのか、それとも何か他に理由があってなのか分からなくて悩んでる。彼は今日どうしても外せない出張に行っていて、今この場には来ることが出来なかったけど、俺たちはそれを早く解決してやりたくて、彼に代わって君に話を聞きに来たんだ」

は?
はぁぁぁぁ?

何言ってんの、この人たち。
避けられてる理由も、どうしたらいいのかも分からずに?悩んでる?
はぁん?!
悩んでるのはこっちで、あんた達のせいなんですけど?!


「……理由も分からず悩んでるって?今、この状況だけ見てもフザケてるのは、あんたたちでしょうが……」

「え?」

「そんなに悩んでるんだったら友人なんかに来させないで自分で聞きに来なさいよ……!なによ、出張って?!」

「牧野さん……?」

「もう、いい加減にしてくれます?!あのね!この際、言わせてもらいますけど!
こっちからしてみたら、どこぞの金持ちの坊っちゃんたちが道楽で婚活アプリを使って結婚願望のある女性を誑かして遊んでるようにしか見えないの!わかる?!
初めこそミドウさんを信用しようと、女嫌いも本当だと思って協力しようと思ってたわよ!でもね!半年経ってもお姉さんに会わせようとしないし、会わせるならそれなりに本名だって知ってなきゃおかしいのに、教えようともしない!いくらなんでもおかしいと思うでしょう!
そりゃそうよね、あんな大財閥の御曹司で、いずれは親の決めた人と結婚するなら、その前に女遊びしようって、そんな風にしか見えないの!あんたたちだって様子見て楽しんでたんでしょ?!顔だけは良いから何も言わなくても女の人が近寄って来るでしょうし、お金はあるから結婚詐欺で貢がせようってわけでもなさそうだけど!それなら、今度は結婚願望のない女をその気にさせようって?!
ふざけないでよ!何も言わない教えない、そういう約束だって、そっちからしたら都合良かったでしょうね?!そんなに人の気持ちを弄んで楽しい?!楽しかった?!それならもう二度と!あたしに!一切!金輪際!関わらないでっ!」


もう、この時はブチ切れたという表現が正しかったと思う。
あんなに動揺しないように、弱みも見せないように冷静に話そうと思ってたのに。

四人ともあたしの剣幕に驚いて、ただあたしの言うことを聞くことしか出来ず、口も挟ませないほどに捲し立てた。
こんなことを言ったら本当に一切を断ち切ったも同然で、これがミドウさんに伝われば二度とメールも出来なくなる。

でも、あまりにも酷い。
こうなっているのは、あたしのせいみたいな言い方をされたことが悲しい。
そして悲しいと同時に、怒り。

やはりミドウさんは間違いなく道明寺 司で、半年経ってもその事実を教えてもらえなかった悲しみ。そして、それだけあたしも彼に信用も信頼もされていなかったというこという怒り。

いや、ほとんど八つ当たりだ。
あたしだって彼に何一つ教えてなどいないのに、彼から直接話を聞こうとしなかったないのに、それでも彼からではなく他人を通して会わない理由を聞かれたことに。

なぜ会えないのかと、彼に聞きに来て欲しかったのか、あたしは……!


「この子、スゲーな……」

ポツリとそんなことを呟いたのは、チャラい男だった。
何がスゲーのか知らないけど、フン!と男たちから顔を背けて、全てを言い切って興奮して乱れた息を整えようと深呼吸を数回して、最後は深呼吸と一緒に深い深いため息を吐く。
そして部長を見れば、まだポカンと口を開けてあたしを見ていて、でもそんな顔でも美人は美人で羨ましいと、どこか冷静に見てる自分がいた。


「部長、私はお腹が空いています」

「え、あ、うん?」

「部長は何も知らずに私をここに連れてきたんですよね?こんなことに巻き込んで申し訳ありません。私のプライベートなことではありますが、部長には何があったのか、きちんとお話します。
なので、今はこの三人にはお帰りいただいて、まずは部長と二人で食事がしたいんですけど」

「……うん。うん!部下の話を聞くのも上司の努めよね!オッケー、そういうことなんで、あきらくんたち今日は帰ってね!牧野さんに一つ聞いて答えてもらったから、もう良いよね?
あ、類くん奢ってくれるの?!ありがとう~!はい、さようなら!」

グイグイと両手を張って彼らを部屋から追い出そうとしてくれている部長。
強引で、いつも体当たりしてくるところは直して欲しいと思っていたけど、今回ばかりはそれがなんと心強いことか。
今この中で信用出来るのは、部長だけだ。


「えっ、いやいやいや!この状況で帰れるかよ!著しく誤解してるぞ、この子!」

「あきらくん、うるさい!」

「滋、せめてもう少しだけ話をさせてくれ!これじゃあ司が可哀想だろ!」

「司?!なんで急に司の名前が出るわけ?司が可哀想とか知らないわよ。そっちはそっちで何とかしなさい!本当に私の大事な部下に何してくれちゃってんのよ西門!」


彼らも、あれだけ言わないように気を付けて話をしてただろうに、結局彼の名前を言っちゃってるし!
いや、あたしもさっきミドウさんのことを「大財閥の御曹司」とか言っちゃった気もする。

ぎゃあぎゃあと騒ぐ男三人を追い出してくれた部長。
このあとも心穏やかとは言えなかったけど、部長のおかげで料理が美味しいと感じることが出来たのは、食事が終わるまで何も聞かずにいてくれたからだと思う。
そして食後のコーヒーを飲みながら、あたしの話を静かに聞いてくれた。


最初から、今までを全部。












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Re: notitle 43

Re: notitle 43






今日も一日、何事もなく恙無く。

あれから、何かと理由を付けてミドウさんと会うことを断り続けている。
仕事が忙しいとか、親戚の法事がとか、友達との約束がずらせなくてとかとかとか。
でも、それもそろそろ、限界かもしれない。

もう最後にあった日から、二ヶ月以上経っている。

他愛無く送られてくるメールも少しずつ、さりげなく返信を遅らせて、内容も当たり障りないものへと変え、返信する回数も減らしていった。こんなに会わないことはなかったから、最近では、なぜ会えない日が続くのかといったメールも来るようになった。
返信するのも困るなら、そのまますっぱりと見切りを付けて、こんなやり取り止めれば良いのに、どうしても、

……なんとも未練がましい。 


結局あの日、ミドウさんに本当のことを、どういうつもりで会っているのかを聞くことは出来なかったのは、もう終わりにしようと決めたから。
ミドウさんと過ごした半年間の楽しかったあの穏やかな時間を、最後にキスをした思い出を、きれいなままにしておきたかった。
あれだけ恋はしないと誓っていたのに、好きになるのは一瞬だった。だから、もしかしたらこの先もミドウさんよりも素敵で、この人ならと思える出会いがあるかもしれない。
その時に、後ろ向きじゃなく前向きに考えられる理由が欲しかった。

彼の言っていたことは本当かもしれない。でも、本当は嘘かもしれない。
嘘だった時に、また男に騙されたと彼を憎む気持ちを持ちたくなかった。


……いや、違う。
それは違うかもしれない。
思い出をきれいなままで残しておきたいとか、この先も前向きに考えたいとか、そんなことは本当はただの建前で、彼の口から真実を聞くのがこわくてこわくて、あたしは逃げただけ。

きれいなままで終わらせたはずなのに、あたしの気持ちは全然きれいなんかじゃなかった。
心の底に沈ませた気持ちも、信じようと思ったのに聞けなくて逃げた心も、何もかも、きれいじゃなかった。

キラキラした景色や、澄んだ空気や、穏やかな雰囲気だけが恋じゃない。
自分だけを見てほしい嫉妬心、誰にも渡したくないと思う独占欲、もっともっと彼を知りたいと思う気持ちも、全て含めて恋だと知っていたはずなのに、表面だけ取り繕って誤魔化そうとした

そんなこともあったねと、いつか思えるほど軽い気持ちなんかじゃ、なくなっていたのに。

彼との関係を一方的に終わらせる。
それを実行しようと彼と会うことを止めてメールも減らしても、どうしても一人になると彼のことばかりを考えてしまっていた。考えたってどうしようもないし、終わらせると決めたのに考えることを止められない。それならせめて、そのメールも受信拒否の設定にして、返信するのも止めれば良いのに出来ない理由は一つ。

だって、メールを止めれば、もう、本当に終わっちゃう。



秋が近付いてきた今の季節、日も落ちると幾分過ごしやすい気候になっていて、しかも金曜日の今日、週末にしては珍しく残業がなく定時に上がれたことに少しだけ気持ちは明るく、沈みがちだった思考を別方向へと向けることにした。

社屋のエントランスを出て駅に向かいつつ、今日のお夕飯のことと、来週分の作り置きは何にしようか、冷蔵庫の中身と予算と時間配分を考えながら、のんびり歩いていた。
作り置きもなくなってしまったし、せっかく早く帰れるなら今日のお夕飯は久しぶりにお惣菜でも買うか、たまには外食も良いかな~なんて思っていたら、いきなり後ろからドン!と体当たりをされた。
誰でも突然後ろから体当たりされたらびっくりすると思う。転んだりしなかったものの、当然あたしもびっくりしながら何事かと振り向く前に聞こえた声。

「牧野さーん!このあとヒマ?ヒマだよね?!ご飯食べに行こうよ~!」

「部長!びっくりするから、いきなりの体当たりはやめてくださいとあれほど!」

「ごめんごめん!どうしても今日は牧野さんとご飯に行きたかったのに、いつの間にか退勤してたから焦って追いかけてきたの!」

「はぁ……、まぁヒマだから良いですけど。体当たりは止めてくださいね」

「やったー!車、向こうに停めさせてるから行こ!」


彼女は、大河原 滋。
大河原財閥の一人娘で、今年の四月から総務部部長に就任した人。

就任当初は親の七光りと随分言われていたけど、そんな声はすぐに消えた。
自分よりも歳上の課長達にビシバシと指示を飛ばし、初めこそ厳しい面が際立ったこともあったが、元からの性格なのかサバサバと、そしてあっけらかんとしていて、とても頼もしく豪傑と言わんばかりの彼女に好感を持つ部下は多い。
そして、あたしと一つしか歳が変わらないと知って本当にびっくりした。

すごい。尊敬する。
あたしみたいに穿った見方も出来ず、捻くれてお局枠で主任になったと思っていたあたしには、一つ歳上の部長がとても格好良く見えた。そして部長は美人だ。身長も高く、容姿麗しい。まさに才色兼備とはこういう人のことを言うのだろう。

総務部には部長以外に女性の管理職はいない。あたしは管理職ではないけど、総務の中では管理職に一番近い立ち位置にいる為か、部長には何かと気にかけてもらっていて、彼女が部長に就任して半年経った今では時間が合えば一緒にご飯でもと昼休憩や退勤後に外に連れ出されることが、しばしばあった。


「今日はねー、フランスレストランの「プティ・ボヌール」予約してるんだ!」


彼女とご飯のお供をするようになって始めこそ驚いたものの、最近ではすっかり見慣れた運転手付きの車体の長い車に乗り込み、どこに行くのかと尋ねたら。

「プティ・ボヌール」ですって?!
全ての始まりであるだろう、あのレストラン!
よりによって、あのレストラン!

でもちょっと待って、部長は予約してるって言った?
いま誘われたばかりのはずなのに、予約してた?


「……部長?もし私に予定があったらどうするつもりだったんです?」

「一人で食べに行ったけど?」

ぐぅ、と声にならなかった音が喉で鳴った気がした。
この人も財閥の令嬢で、このレストランの予約など容易いことなのだろう。突然一人減ったところで困ることもないのだ、きっと。
しかし、二度と行くことはないだろうと思っていたレストラン。
行けるのなら他のメニューも食べてみたい!

レストランのオーナーが誰で、関係者に誰がいるかを考えなかったわけじゃない。
でも突然行けることになったレストランに、まさか偶然でも花沢さんがいるわけないだろう。

週末の開放感と、程よい空腹と、メニュー開拓したいその欲求に逆らえず、沈みがちな思考を変えさせてくれるような魅惑的な誘いに惑わされ、のこのこと部長のあとに付いて「プティ・ボヌール」へ足を踏み入れたことを、あたしは猛烈に後悔した。



「な、なんで……」

レストランに着いて案内されたのは、前回と同じ個室だった。
そこには既に先客がいて。
先に入った部長を、上司だと分かっていても思わず睨むように見てしまった。

「わぁ、牧野さんこわい!」

「部長、どういうことですか」

「いや、私も頼まれただけでね?」

「……帰ります」

「待って、牧野さん!」

そう言ってあたしを呼び止めたのは花沢さん。

「話があるんだ」

「何の話ですか?モニターの件は終わりにして欲しいと半年以上前にこちらからお願いしましたけど、それに関しては花沢さんも納得していただけたかと思ってましたが」

「モニターの件じゃない」

「それなら花沢さんとはそれ以上にお話することなんてないはずですが」


個室にいた先客は、男三人。
花沢さんと、胡散臭い男と、チャラい感じの男。

これはもう、彼についての話なんだろうと推測せざるを得ない。
なぜ部長が嘘を吐いてまであたしを連れてきたのか。頼まれただけと言っていたから詳しいことは知らないのかもしれないけど、あたしを騙すように連れて来たことに不信感は募る。

あたしがミドウさんの正体に気が付いてないと思っているはずなのに、彼の友人三人が一緒にいる所に連れてこられた意味は?
初対面の人にする態度じゃないのは分かっているけど、状況があまりにも受け入れがたくて、思わず眉根を寄せて大きくため息を吐くなど不信感を持った表情と態度を隠せなかった。


「君が、牧野さんが婚活アプリで会っていた「ミドウ ジョウ」のことで話があるんだ」











Re: notitle 42

Re: notitle 42





ピンポン、とオートロックのチャイムが鳴る。

がんばれ、あたし。
大丈夫。いつもと同じで、会う場所が違うだけ。

そして、それが今日で終わるだけ。
何でもないふりをして、何も知らないふりをして。

がんばれ、あたし!



そして、玄関のチャイムが鳴る。
がんばれ。がんばれ、あたし。
あたしは、何も知らない。今まで会って話していたミドウさんしか知らない。
ミドウさんの本当の姿を知っていると、思わせたらいけない。

大丈夫。

あたしは、雑草のつくし、だから。





ミドウさんと一緒にお好み焼きを作った。
予め材料だけは揃えておいて、タネは同じだけど、ホットプレートで焼くときに全部違う具材を乗せて小さいお好み焼きをたくさん作って味比べして。
ミドウさんは自分で作ったことがないらしく、お好み焼きもお姉さんが作ってくれた時に食べたきりだと言う。
それで好物ってどういうことなの?と思うけど。

シーフード、チーズ、お餅、豚肉、じゃがいも、ツナ、納豆、たらこ。

始めは上手く返せなくて生地をぐちゃぐちゃにしてたミドウさんも、だんだん上手にひっくり返せるようになって、崩さずに返せた時は嬉しさのあまりハイタッチまでした。

たくさん焼いて、二人でたくさん食べて。
食べきれなかった分はラップに包んで作りおきで冷凍することにして、粗熱が取れるまでお皿に載せて台所に置いてある。

ホットプレートとボウルと、菜箸とフライ返しと、お皿と、いろいろと片付けて洗って拭いて仕舞う。
台所で器用にクルクル動くんだなとか、先の先まで考えて使って片付けて作るなんてすごいとか、なんだかいつもしている当たり前のことを褒められて、なんだかこそばゆい。


ミドウさんは家事を一切したことがないと言った。仕事が忙しくて家の中まで手が回らないから、定期的にハウスキーパーさんが来るらしい。だから、自分のことを自分でしっかりやってるクシマは偉いなって。
ミドウさんが家事を出来ないのは、仕事が忙しくて頻繁に出張に行ってるから仕方ないことなのに。
ご飯もほとんど外食で、家に調理器具は一切なく、あるのはコーヒーメーカーくらいだとか。

お好み焼きじゃなくて、コーヒーを好物にしたら?なんてクスクス笑いながら言ったら、それならミントタブレットも好物にするか、なんてまた笑いながら話す姿に、胸が締め付けられる。


ダイニングテーブルを片付けて拭いて、二つのグラスに冷蔵庫で冷やしておいた麦茶を注いでコースターの上に置く。
お好み焼きで少し油っぽくなった口の中を麦茶ですっきりさせたかったから、コーヒーは後にした。
麦茶を注いだばかりなのにグラスの表面はすぐに結露して、溢れた雫はコースターに吸い込まれていく。


「クーラー入れてたけど、ホットプレート使ってたからやっぱり少し暑いね。お好み焼きの匂いも篭ってるし、ちょっと窓開けるね」

ダイニングテーブルから離れてリビングのベランダに繋がる掃き出し窓を開ければ、室内のクーラーで冷やされた空気の代わりに外の暑い風がレースカーテンを揺らす。
そして、窓を開けた途端にその暑い風と一緒に、劈くように重なった蝉の声と車の音、遠くに聞こえる電車の音と、近くの公園や道路で遊ぶ子どもたちの声が雪崩のように吹き込んできた。

ああ、あたしの日常はこれだ。

不意にそんなことが頭を過ぎった。
特別なことは何もいらなくて、朝起きてご飯を食べて、働いて、お風呂に入って、寝る。

おはようと、いただきますと、いってきますと、ただいまと、ごちそうさまと、おやすみなさい。
そんなことで良い。

あたしを育ててくれた家族のように、愛した人と、こんな風に何でもない日常が特別で良い。
贅沢な暮らしがしたいとか、仕事で出世してとか、そんなことじゃなくて、ただ今のこの暮らしを、大事にしたい。

そして一緒に大事にしてくれる人と、愛し合いたい。


窓を開けてもダイニングに戻らず、ぼんやり外を眺めていたあたしの隣に、いつの間にかミドウさんがいた。
そんなあたしに何を声を掛けるわけでもなく彼は隣に立っていて、そしてしばらくしてポツリと一言呟いた。


「いつか、こんな何でもないような日常の中で、暮らしたい」


涙が、あふれそうになって、ミドウさんを見ることが出来なかった。

どこまでが本当で、どこまでが嘘?
今の言葉も、嘘なの?

信じたい。
信じられない。

好き、なのに、ミドウさんを信じられない自分が嫌だ。
あたしの彼に対する信頼や信用を失くすようなことをしているかもしれないミドウさんが、あたしの更なる混乱を生む。

でも、さっきまでの穏やかな雰囲気と、いつも通りの言葉の掛け合いと、部屋の片隅に並べられた沢山のお土産と、後で渡そうと思ってキッチンカウンターに置いてあるミントタブレットと、沈黙すら心地良いこの空間が、ミドウさんが、好きで、好きで、すたすらに愛おしい。

ざあっと強い風が吹いて、レースカーテンがハタハタと音をたてて揺れて、あたしの髪の毛を巻き上げた。


「……クシマ、髪の毛が」

あたしの口元に引っ掛かった髪の毛を取ろうと、ミドウさんの指先が頬に触れて、その手の熱さに思わず顔を上げてミドウさんを見た。

思ったより近くにミドウさんの体があって、でも外で会う時はヒールのある靴を履いていることが多いから、視線はいつもよりほんの少し遠いなって思った次の瞬間、その視線は目の前にいて、そして唇に柔らかいものが当たっていた。
でもそのさり気なさと不自然さを感じさせなかった行為に、猜疑心よりも、あたしの中の欲望が上回ってそれを拒否しなかった。


だって、ミドウさんに触れたい、触れて欲しいと思うほどに、やっぱり好きで……、もっとミドウさんに触れて欲しくて、離れそうになった唇を離したくなくて、咄嗟にミドウさんの両頬に手を当てて今度はあたしからキスをした。

そうすればミドウさんもあたしを離すことなく、そのまま受け入れてくれて、ああやっぱり女嫌いなんて嘘なんじゃないかと、でもそれが嘘なら、あたしを嫌がらないでくれるなら、少しでもミドウさんを感じたかった。

だって、もう今日を最後にするから。

唇の、その唇の熱さを少しでも分けてもらって、その熱さを、日常に紛れ込んだ非日常を、忘れたくない。


好きな人の、熱を……、夏の暑さと風の熱さで誤魔化して、ミドウさんの首筋に滲んだ汗を指で掬ったら、ベランダに置いてある室外機の音が大きく鳴った。
クーラーが設定温度に合わせようと稼働を強めたのか、外からの暑い風と室内から送られる冷たい風が、あたしとミドウさんに当たる。
暑い風と冷たい風に当たって、でもそれが混ざって温くなるわけでもなく、なんだかそれがあたしのチグハグとした心の中を表しているようだった。

いつの間にか唇は離れていて、閉じていた目を開けてミドウさんの目を見たら、熱が籠ったような視線を向けられていて、その視線はまるで、あたしのことを好きだと言わんばかりの熱を、持っているように見えた。

どこまでが嘘で、どこまでが本当かなんて、そんなのは些細なことだと、今までの、あたしが見ていたミドウさんが全てで、もしそれが全部嘘だとしても、今の、この瞬間のミドウさんは、あたしにとって本物だった。


ミドウさん。

好きで、好きで、大好きなミドウさん。

だから、今だけは、このままのミドウさんでいてほしい。

今日この部屋を出るまで、あたしだけのミドウさんでいてほしい。


熱と暑さに視線を逸らせば、ミドウさんの首筋の汗が、さっき掬ったのにまた少し滲んでいた。
いつものコロンと彼が混ざった香りに誘われて、それを纏わせるように首に指先を滑らせる。そして背伸びをして彼の首筋に顔を埋めて、抱きついてみた。
その瞬間にミドウさんはビクっと体を震わせたけど、体を離されることはなく、そしてゆっくりとミドウさんの腕が、あたしの背中に回された。

いま、この瞬間だけは、ミドウさんを信じる。

抱きついた時に震えた体を抱きしめながら、そう思った。


優しく抱きしめてくれる腕を、信じた。



これが最後だから、
きれいなままで、終わりにさせて。













Re: notitle 41

Re: notitle 41






車に乗る前に見た、メガネを外したミドウさんの素顔。
その顔を見た瞬間に、なんで今まで自分は気が付かなかったのか、馬鹿にも程があると思った。



知っている名前だけでもと調べてみたら簡単だった。

道明寺 司と花沢類。

この二人でウェブ検索してみれば、まず出てきたのは「F4」という単語。
そこから辿れば辿るほどに、容易く出てくる情報。SNSが発達した今、余程のことでない限り、ある程度は情報として出てくる世界だ。

道明寺 司、花沢 類、美作あきら、西門総二郎。眉目秀麗で花のような男四人組で「F4」。
ここ半年の間に、やたら規格外なイケメンに遭遇するとは思ってたけど。なるほど、それとなくさり気なく見られていたのか。

この四人、幼い頃から素行は良くなかったらしい。学生時代は暴力行為が多かったようだけど、今はそれぞれ立場もあるみたいだし、目立たないように悪巧みしてるのか。それこそ、こんな大企業や名家の御曹司なんだから、金に物を言わせて握り潰した不祥事もありそうではある。

まさに金持ちの道楽と言えるだろうか。
だから素性も名前も仕事も言わない訳だ。


なによ、メールアドレスの桜餅って。
道明寺じゃすぐにバレるかもしれないから桜餅なわけ?

……ちょっと待って。

ミドウ、ジョウ?
そこから考えること数秒。

「ドウミョウジ」を並べ替えただけじゃない!
あたしも「マキノ ツクシ」を入れ替えただけだけど、今までニックネームにそこまで意識を持っていくことはなかった。

まぁでも初めに可能性として考えた金持ちの坊っちゃん説が当たるなんて、あたしの勘もなかなかじゃないなんて自分を少しでも慰めようとしたけど、そんなことで負の思考の連鎖を止めることは出来なかった。


この人たちは結婚願望のある女性をターゲットにして遊んでいて、今回たまたま結婚願望のないあたしに、いかにその気にさせるか反応を見て楽しんでいたとか?
きっとこういう人たちはもう親が結婚相手を決めていたりするんじゃないだろうか。政略結婚とか聞くし、そうなる前に遊んでおこう的な?

ん?
家族に結婚を強要されるっていうのはあながち間違いでもなくて、女嫌い云々はともかく、まだ遊んでいたくて結婚を阻止したかったってこと?

……結婚だけは絶対にしたくないけど、女遊びはしたい?
でもそれなら女嫌いの設定は面倒じゃないだろうか。
そんな設定にしなくても今まで女遊びをしてたなら、いくらあたしが結婚願望をもっていないからって、女嫌いなんてまわりくどいことをしなくても手練手管はありそうなものだけど。
それに結婚を阻止したいのに、ご両親ではなくお姉さんを出してくる理由もいまいち分からない。

う~~~ん?

それにしても花沢さんも一緒にいたのはびっくりした。
でも花沢さんがあの婚活アプリの責任者だ。そこからターゲットを探して遊んでたのなら公私混同甚だしいけど、金持ちの道楽に理由も意味も分かりたくないし、話を聞いたとしても理解出来ない気がする。

……まさか、進まで加担させられてるのだろうか。
いや、進はそんな悪いことが出来る子じゃない。身内の贔屓目とかじゃなく、あの子は弱気なことが多いけど、筋を通す芯のあるしっかりした子だし、隠し事も下手だからそれはないだろうと思う。

きっと進が花沢さんに「プティ・ボヌール」に行きたいと言ったことが発端なのかもしれない。
そしたらきっと、全てはあたしだ。
交換条件に行きたいなんて言わなければ済んだ話で、連れて行ってくれるという話を断れば良かったのだ。なのに滅多に入れないレストランに行けることに浮かれて、花沢さんに申し訳ないと思いつつも行ってしまった。
そこで花沢さんに目を付けられたのであれば、もう自業自得としか言いようがない。花沢さんもそんなことするような人には見えなかったけどな……。

あ、あたしは男の見る目のない女だった。

花沢さんはアプリの責任者だから「ミドウ ジョウ」のプロフィールだって、どうにでも出来るのだろう。
今まで何人の女性が騙されてきたのかなんて考えても今さらどうしようもないし、いま現在で言えば、あたしに結婚詐欺や金銭的な被害はないから何かをどこかに訴えることも出来ない。

お金持ちでイケメンな人たちのまわりには自ら声をかけなくても、きっと沢山の女の人が集まるはず。だからミドウさんの正体を知ってしまった今、こんなことをしているのは明らかな犯罪になるような結婚詐欺でも、お金が目的ってことでもなく、単純に人の気持ちを弄んで楽しんでいるようにしか見えないのだ。
半年もかけて随分凝った遊びをしてると思うけど、だからといって女性を騙すようなことをするなんて許せるものでもない。


いや、決めつけは良くないのは分かってる。
まだ本人から何も聞いてないし、何を聞かされたわけでもない。自分が悪いほう悪いほうへと考えてしまう癖があるのも分かってる。

でも「聞いても答えたくなければ答えなくていい」と自分から言ってしまっているから、それを持ち出されたらもう何も言えないし、それ以上は聞けない。

こわい。
ただ、ひたすらにこわいのだ。
好きになった人に騙されていたかもしれないということが、こわい。

これが、このあたしの想像が、本当に本当だったら。

なんでこんなことになっちゃったんだろう。
あの穏やかな空気も、気まずくない沈黙も、大きな温かい手も、香りも、お土産も、全部……、

全部、嘘、だったら?


風船のように大きく膨らんだ気持ちは、彼の元へ飛んで行かないようにと括り付けた紐を必死に引っ張っていたけど。
もういっそのこと、その手を離して空へと放してしまえば簡単なのに、半年かけて少しずつ膨らんだものを割れないように飛ばされないように大事に大切にしてきたものを、本人からきちんと話を聞かずに手放すことも出来なくて。
でも悪い方へと向かう思考を止めることも出来なくて、だんだんと萎んでしまいそうなこの膨らんだ気持ちも、最後はあの人のところへ飛んでいくことも出来ずに、へちゃりと形を失くして、また心の底に落ちていくのだろうか。

今まで見えないフリをして、心の奥の奥に押し込んで蓋をして、何重にも鍵をかけて、何かを誤魔化してきた。
それを深く深く、心の底の見えないところまで沈めてしまえるように、目に見えるものは全てそこに捨ててしまえれば良い。
そして、また鍵だけが増えていく。それはまるでパンドラの箱のように、あたしの中の汚いモノの成れの果てが詰まってる。

考えても考えても、どうしても楽観的な考えには至らなくて、それでも時間はみんな平等に流れていく。
ちょっと前までは楽しみだった二週間が、こんなに気の重いまま過ごす二週間になる日が来るとは思わなかった。


ミドウさんから食べたいとリクエストされたのはお好み焼きだった。
幼い頃にお姉さんに作ってもらって食べてから、好物になったって言ってた。あんな大財閥の御曹司の好物がお好み焼き。

もうどこからどこまでが本当で嘘なのか分からない。

こんな、半年かけて作ってきた信用も信頼も、根底から覆されるような、人間不信にもなりそうなことが起こるなんて。


そもそもに出会い方からして怪しかった。
その疑いの目を最後まで持っていないといけなかったのだ。
男を見る目がなくて、お人好しで、頼まれたら断れない。自分がそういう人間だと分かっていたはずなのに。

あれだけ恋なんてしない、結婚もしなくていいと思っていたのに、それが恋だと気付いたら坂道を転がるように落ちていって、止めることなんか出来なかった。

違う。
止めたく、なかった。
ミドウさんとならと、一瞬でも夢を見てしまったから。

馬鹿すぎて自分を嫌いになりそう。

誰かに話を聞いてほしい。
どうしたらいいのか、教えてほしい。

でも、こんなこと誰にも言えない。
巻き込めない。

あたしの将来を心配してくれた両親に、それを頼まれてどうにかしてやりたいと思ってくれただろう進に、そして話を聞いて応援してくれた優紀に。

言えるわけない。

これは、あたしの問題だ。


あたしが、一人の男に恋をして、終わりにしようとしている。
それだけの話なんだから。
















「春雷」

総つくです。
少し摺れちゃったつくしちゃんと、やや重めな総二郎のお話なので、純なつくしちゃんが好きな方は読むことをお勧めしません。



「春雷」







「『月が綺麗ですね』も、『死んでもいいわ』も、今のあたしには、綺麗、すぎる……」

「……なに、突然」

「どういう恋愛したら、こういう言葉が、出てくるのかなっ、て。……この言葉たちは、愛の最中か、終わりの、どっちかな……」

「……さぁな、どっちだろうなぁ」

「西門さんはさ、いろんな女の人とオツキアイしてるけど、複数現在進行系も含めて、全部、綺麗な愛?」

……それを、お互いに裸のままで、今さっきまでセックスしてた相手にかける言葉か?
自分だってあんなに悶えてイキまくってたくせに、息も整う前にそんなことを相手の男に問いかける女もどうかと思うけど。

荒い息遣いに、情事の後の独特な熱さを帯びた空気と、上気して色付いた肌と、全てが残ったままのピロートークに選ぶ話題のような、でも語られる言葉は冷めきっていて、今までが夢か現か、状況と言葉があまりにもチグハグだった。


「……そんなこと考えながらセックスするなんて余裕じゃん、つくしちゃん?」

「愛と快感は別でしょ」

「俺は、いつでも愛を持ってセックスしてるよ」

牧野にだけは。
それに、今は牧野しかいないなんて、本人には絶対言わないけど。

「はは。例え通りすがりの相手でも、ただの皮膚接触に愛が持てるなんて、大きな愛をお持ちなのね。さすが」

皮膚接触、ね。
確かに間違っちゃいねぇけど、その言葉に愛はないな。
ついでに嫌味も言うなんて、高校生の頃のこいつを知ってる身としては何とも複雑な気持ちになる。
昔と比べたところで何かが変わるわけでもないけれど、牧野がこうなってしまった経緯も知っているから、つい、うっかり昔を思い出してしまって心の中で舌打ちする。


「ほら、身体だけのカンケイ?愛が伴わないから気楽じゃない?わたしはもう、いらないものだからさ。そのあたりは西門さんなら気楽で良いわ」

そう言いながらするりと俺の腕からすり抜けた牧野は、バスローブを羽織ると振り返りもせずバスルームへ行ってしまった。


馬鹿だなぁ。
俺なら後腐れなく、どちらかが別れを告げたらすんなり終わる関係だと思ったんだろう。
なぜ俺が、三十代の半ばを過ぎても結婚しないのか考えもせず。

あの頃のお前も、あれからのお前も、今のお前も、俺は我関せずと、ずっと遠くで見てきたから知っている。
知っているから、いつだって持て余しているのだろう熱を散らしてやれる。

司も類も、愛に素直で真っ直ぐで正直で、盲目だった。
だから、そこを周りに突かれた。

だからこそ、牧野はその愛を信じたのだろう。
結果がどんなに残酷なものだったとしても。
そして、愛が信じられなくなるほどに愛したのだろう。

俺も人のことを言えた義理はないし、今までの行いが牧野の知る愛に値しないことも分かってる。

だからこそ、だ。

全てに疲れたお前は、それでも愛を忘れられないお前は、愛がないと知っていても近くにあった温もりに縋りたくなったお前は、後戻りなど出来ないとも知らずに。

馬鹿だなぁ、牧野。


流れるシャワーの音に俺が入ってきたことに気が付いていないのか、それとも気付いているけど無視されてるか。
牧野は立ったまま頭からシャワーを浴びていた。身体を、髪の毛を洗うわけでもなく、ただ、立っていた。

何を映すわけでもない、伽藍堂で、光も灯さず、虚無すら感じる瞳。
それでいい。
そのまま、何も。


そっと後ろから近付いて、するっと太ももの内側を撫でる。
ぴくっと一瞬反応するけど、いつものことだから抵抗されることはない。
そのまま、するすると太ももの内側を指先でなぞる。薄い茂みをかき分け、双丘をなぞり、襞を擽れば、牧野の口から甘い声が漏れる。

三回ルールなんて、クソくらえだ。
何回も、何百回も、何千回も、お前に注ぎ込んでやる。

そしていつか、知ればいい。




野原に咲く、雑草。
オオバコ、ホトケノザ、カラスノエンドウ、オオイヌノフグリ、ナズナ、スギナ、 そして、つくし。 

背中に春の陽射しを浴びながら、あっちこっちと野原のつくしを探して追いかけて、ふと自分の影ではない何かに手元が暗くなる。おや、と空を仰ぎ見れば、鈍色の雲が空を覆い始めていて、遠くに聴こえるは雷鳴。
でもそれは夏の夕立のような激しさはなく、静かに、遠くに鳴り響く。


「I LOVE YOU」を、「月が綺麗ですね」とか、「死んでもいいわ」と表した文豪たちがいる。

牧野の言うように、それがどんな愛の形で、いつの愛を言っているのか、本人以外は知る由はない。
文豪でもなければ、まだまだ偉大な茶人には程遠い俺は、それが本物とか偽物とか語れるほど人生を重ねてきたわけでもない。

でもそれは、人生半ばで掴みきれないそれは、ふわふわと形のないそれを言うならばそれは、静かに忍び寄り、まるで遠くに見えるけれど、存在ははっきりと示すもの。

これから嵐を予感させるようなその重く鈍色をした雲は、その見た目とは裏腹に過ぎるときに僅かな雨と、雷と、たまに雹。
そして轟々と音を立て、全てを巻き込み掻き混ぜ飛ばし運んでしまうような激しい風。

後に残るはまた暖かな陽射しと、地表から立ち上る湿った土の香りと、流れる風にほんの少し混ざった夏の薫り。

雨露の滴る草花の中から、つくしを探して、探して。

そして、愛を怖がるお前は、そこで根を張って動けなくなったお前は、野原で空を見上げるしかないお前は、あの黒い雷雲のように覆い尽くす、その想いを知ればいい。

軽い中身のない見せかけの愛しか見せていない俺の中に、これほどまでに重い愛があることは、俺しか知らない。

二度と愛なんていらないと言うお前を、俺はずっと愛してやる。


見せかけばかりの愛のない世界で生きてきた俺と、あふれる愛に包まれたあとの絶望に堕ちたお前と。

今まで上辺だけの愛を見せて、愛を信じていないと言った俺を信じている牧野。
愛を信じていない俺の、愛を信じていないと思わせているとも知らずに、戯れだけのつもりの男を、お前はこれからも信用していればいい。

そして、だから俺はお前を愛してないと、思っているだろう?
だから、俺の手を取ればいい。

そして、知ればいい。

俺の、愛の重さを。

そして、知ればいい。

俺の愛から逃げることなど出来ないことを。


「月が綺麗ですね」も「死んでもいいわ」も、慎ましくて、綺麗だ。
ましてや「愛してる」だなんて、なんと甘く美しい言葉だろうか。
それが始まりでも、最中でも、終わりでも。
それが、どんな形だとしても。

牧野。

俺は、あいつらみたいに真っ直ぐで綺麗じゃないし、愛してるなんて言葉のように甘くて美しいだろうことも言わない。
重くて、汚くて、ヘドロのように纏わりついて、雁字搦めにして抜け出せないように、甘くもなく美しさの微塵もない、お前の知る今までの愛が、綺麗なキラキラと光り零れる木漏れ日のようなものだと言うのなら、俺は、あの春の嵐だ。

木漏れ日を作る陽を覆うように、不安と、怯えと、少しの恐怖。

時偶その雷雲の隙間から見える光りに絆されて、そこで根を張ったまま、温い空気の中で、零れる光と、季節を運ぶ雨と風を受けていろ。

そして、雑草も、水と、光と、風がないと生きていけないと知ればいい。

愛なんていらないと言うのなら、愛なんてないふりをしてやる。


そして、知ればいい。



なぁ、牧野。









初総つくでした。
設定あるけど弾き飛ばして書きたいとこだけ。
立夏を過ぎる前に出したかったので。



Re: notitle 40

Re: notitle 40







テーブルに顔を突っ伏したまま、なかなか顔を上げない彼女の肩を揺すりながら話しかけた。

「おい、まさかまた風邪がぶり返して熱があるんじゃないのか?大丈夫か?すげぇ顔が赤いぞ」

すると彼女はガバッと顔を上げるから、肩に置いていた手も自然と離れた。
風邪じゃないから大丈夫と、なんとも弱々しい声で話す彼女の顔は、まだ赤い。彼女はグラスに入ってるアイスカフェオレをストローで忙しなく動かして氷をカラカラと鳴らしている。
そのアイスカフェオレを飲もうとストローに近付けた彼女の唇に、つい視線が向いてしまった。
好きだと知った途端に、煩悩に塗れる俺の頭の中。

それを誤魔化そうとしたのもあるけど、本当に大丈夫なのかと、今度は彼女の額にぴたりと手を充てれば、彼女の言う通り熱はなさそうだった。
じゃあ何であんなに顔を赤くしていたのだろうか。
少しの距離だと思っていたけど、あの暑い中を歩かせたのが良くなかったか。もう一度首を傾げながら彼女の額から手を離すと、まだ彼女の顔は赤いままで、そしてその黒い瞳を更に大きく見開いて俺を見ていた。

「なんだ?どうした?」

「いや、あの、なんでそんなに普通に、私に触れるのかな、って思って……」

「うん?だって練習してただろ?」

「そ、それは、そうだけど!ちょっと前まで、手に触るのだっておっかなびっくりだったのに」

「クシマは俺の嫌がることはしないって信頼してるから大丈夫だ。もちろん俺もクシマの嫌がることはしない。俺はもうクシマに触られるのは嫌じゃないし、それに練習させてくれるくらいだからクシマも俺に触らるのは嫌じゃないんだよな?だからクシマが触るなと言わない限りは俺も遠慮なく触ることにした」

「私から触っても大丈夫なの……?」

「さっき手を繋いだのはクシマからだったろ?」

「……うん」

「もう大丈夫だから、気にしないで好きなだけ触って良いぞ」


そう言いながらニコニコと話すミドウさんに、やっぱりモヤモヤしたような、寂しいような気持ちが出てくる。
そこまで触れ合えるということは、もうすぐこの関係も終わるってことなんだよね?
お姉さんに会って、結婚話がなくなって、そしてあたしと会うのを終わりに出来そうだから、そんなにご機嫌なの……?
それが寂しいと思ってるのは、あたしだけ?

でもミドウさんはさっきから、あたしが看病してくれるなら風邪を引いてもいいとか、レストランよりあたしの作ったご飯が食べたいとか、遠慮なくあたしに触ることにしたから俺に触って良いとか、何のつもりなんだろう。
期間限定の、今だけの関係なのを分かってて言ってるんだよね?何でそんなありえない未来の話ばかりするんだろう?

ミドウさんが女とは付き合いたくない、結婚なんて絶対にしたくないって言った。だから、それを阻止する為に協力して、お姉さんに会って、おしまい。
そう、言ってたよね……?


なんだか急に、何かがいつもと違うような気がして、あたしの中でじわじわと広がる得体の知れない不安感と、疑問と、あとは怒り?

この人、何がしたいの?

ミドウさんは本当にいい人だと思ってるし、信頼もしてる。
女の人は嫌いって言って、本当に触るのも触られるのも嫌そうに見えてたから。
なのに、この変わり様はなんだろう?
お見舞いに来てくれてから今日までの二週間の間に、何かがあった?

いや、お見舞いに来てくれた時にはもう、いつもよりミドウさんから触れてくる回数は多かった。
その前は、あたしがキャンセルしたから、会わなかった一か月の間に何かが、あった……?


……それとも全て、初めから?

そうだ。この人は初めから怪しかったではないか。
だから、信頼関係を築く為に友人からならと始めたのに、次第に柔らかくなっていく雰囲気に、その怪しいと思ったことを忘れていた。

散りばめられたものを集めて考えれば、何もかもが、本当は、初めから全部嘘だったのではないかと……、

高級ホテルのお土産、日本各地に世界各国を飛び回ってて、高級外車を持てるような人がお友達。

やっぱり、冗談かと思っていた金持ちの御曹司説が本当で、あの胡散臭い友達とグルになって、結婚願望のある女の人を揶揄って騙して落としたらおしまい。みたいなことをゲーム感覚で、やってるとか……?

本当は全然女の人も苦手じゃなくて、結婚を阻止するなんて話も嘘で、そんな嘘の話に騙されて、体調が悪くなればお見舞いなんて優しさを見せて迂闊に部屋に上げて、お人好しな馬鹿な女だなって?

だからなの?
だからあんなに家族に結婚を迫られて困ってるって言ってたのに、半年経ってもそれ以降何も言わないし、お姉さんに会ってくれとも言わなければ、名前も仕事も、知らないまま。

聞かれても言いたくないことは言わなくていいと、初めに言ったのはあたし。
初めから騙して揶揄うつもりで、いつか怪しまれて何かを聞かれてもはぐらかして教えるつもりもなかったなら、そんな好都合な条件ないよね。

さっきまで浮かれて、恋人同士に見えたら良いななんて思って、実際に交際しているように見られてて、そんなことで学生みたいに若い子気取りで顔を赤くしたりして。
どうやってミドウさんに好きになってもらえるかなんて優紀と話して、いつもより少し女らしさを出したりなんかして。

あたしこそ、期間限定だって分かってて、こんなこと考えて、浮かれて、
……馬鹿みたいな、


ほら、馬鹿を見た。

余計なお節介で、手のかかる兄のお世話をしていると思えばなんて、軽く考えて。また同じことの繰り返し。
ミドウさんと結婚したいとか、そういうことじゃなかった。ただ、あの穏やかな空気と、忌憚無いやり取りと、日常に入り込んだミドウさんの香りと、手と。

一緒にいるだけで、良かった。

それがあまりに居心地が良くて、また勘違いした。
もう恋も結婚もしないと、そう思っていたのに、何度も何度も何度も、何度も!

進にも、優紀にも言われたのに、あたしを心配してくれてる大事な人の言葉を聞かずに、婚活アプリで知り合った人の話を鵜呑みにして。

そうだよね、あたしなんて平凡を絵に描いたような何の特徴もない、美人でもなくスタイルが良いわけでもない、際立って得意なこともない、ただぼんやりと何もない日常を過ごしてるだけの、男を見る目のない女だった。

でも、彼がどんな意図を持っていたとしても、差し入れを持ってお見舞いに来てくれたことは嬉しかった。
助けられたし、お礼をしたいのも本当。

まだ、本人に本当の話を聞いたわけじゃない。
どういうつもりなのって、聞いてからでも遅くはないのかもしれない。

でも、こわい。
それが本当だと言われたら、あたしはあたしじゃいられなくなりそうで。
さっき感じた得体の知れない不安と、この恐怖は何に対して感じているのか、自分でも分からない。
今まで知らなくても何も感じなかったのに、好きだと気付いてから知らないことに恐怖する。

それならもう、何も聞かずに知らないふりして、何も気付いてないふりをしたまま、最後に彼の希望通りに手料理を振る舞って、彼と過ごすその日を思い出にして、もう、この恋を、おしまいにする?

知るのも、知らないのも、同じくらいにこわい。
今ならまだ、間に合う、よね?

そう思ったらなんだか、すぅと頭の中がクリアになったような、でもどこかぼんやりしていて、ニコニコとあたしを見ているミドウさんとあたしの間に一枚のクリア板があるような、そんな感覚。
それはぼやけて歪んで、知っているはずのミドウさんが、目の前にいるはずのミドウさんが、見えなくなっていくような。

何が、どこまでが本当で、嘘なのか、分からない。

笑って誤魔化して、他愛ない話をして、そんなあたしを俯瞰しているような、そんなどこか他人事のように考えながらも表面はきっといつも通り、にこりと笑いながらミドウさんと話が出来ているはず。
いつも通り、お土産とミントタブレットを交換して、貰ったお土産に喜んで、はしゃいで。

そして二週間後に、うちでミドウさんにご飯を作る約束をして、いつも通り喫茶店の前で別れた。


それは、あたしの中にある女の勘なのか、彼に対して失くしかけている信頼のせいなのか。

いつもと違うことばかりの今日は、あたしもいつもと違っていた。
だからこれは偶然ではなく、必然だったのかもしれない。

そんなこと今までしたことなかったのに、この日はなぜか、こっそりミドウさんの後を付けた。
こんなことするべきじゃない、今すぐやめろと、頭のどこかで警鐘が鳴り響いている。それでもまだ心のどこかで、彼を好きだから最後まで信頼していたいと思うあたしの気持ちが、足を進めてしまった。


ミドウさんは喫茶店から少し離れたところにあるコインパーキングに入った。
そこには先日見た、あの赤いスポーツカー。そして、その車の中から三人の男が出てきた。

胡散臭いと思ったミドウさんの友人と、
二回目に会った時に喫茶店にいたイケメンと、
花沢さん。

彼らと笑いながら少し会話をしたあとに、ミドウさんはメガネを外して、当たり前のように運転席に乗り込み、他の三人を乗せて、そして去っていった。

なんで、こんな時ばかり女の勘は当たるのかな。


どこからが本当で、どこまでが嘘かなんて、知らないほうが、分からないままが良かったのか。

いずれ、馬鹿な女だなって正面から言われた時の為に心構えが出来る分、知って良かったのかもしれない。
それをいつ言われるのか分からないけど、やっぱり二週間後にミドウさんに会ったらそれでおしまいにしようと、さっき考えていたことを思い出して、そして、視界が歪んで、纏わりついて暑いはずの空気の中で、頬を伝う涙だけが冷たい。


天国から地獄、だ。