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Re: notitle 54
[No.179] 2023/06/08 (Thu) 18:00
Re: notitle 54
「絶対に嫌だ。ふざけんなクソが」
「代表、口が悪過ぎます」
「うるせぇ西田!土曜日は休みにしろって言っただろうが!俺は絶対に仕事なんてしねぇからな!」
「そんな二週間前になって急に休みにしろと言われても無理だと申し上げたはずです。それでも休みたい理由は存じ上げておりますからね、無理矢理に何とかして午後のお約束の時間までにはと調整をしたではないですか。約束は午後からなんですから、その前の午前中だけでも仕事をしてくださいと、それだけですが」
土曜日は絶対に仕事をしない。したくない。
やっと、やっとクシマと話が出来る日なのだから。
俺が女遊びをしていると誤解をしているのもそうだけど、俺が道明寺 司だということを半年もの間なぜ話さずに黙っていたのかと、俺の要求に応えて女に慣れる練習なんてものに辛抱強く付き合ってくれていたのに、俺は家族に会わせることもせず、俺自身の話もしなかったが為に彼女からの信用も信頼もなくなってしまっただろうことに不安ばかりが募り、あきらたちから話を聞いてからの時間は、それはひどく憂鬱なものに感じられた。
それなのに。
「分かりますよ。やっとクシマさんから連絡が来て、やっと土曜日に会えるんですからねぇ。えぇ、やっと!」
うざい。分かってんなら仕事を入れるなと言いたい。
じろりと睨んでも、隣に座る西田は何が楽しいのか口角が上がるのを抑えきれていない。
「しかしですよ、代表。かなりスケジュールを詰めて日本に戻るんですから、日本にいる時は日本のメープルホテルも視察していただかないと。それに従業員一同、代表を一目見ようと楽しみにしてますから」
「んなもん知るか!視察はともかく、俺がいるかいないかで仕事への意欲が変わるのおかしいだろ!」
「代表が顔を見せるだけで社員たちの士気が上がるなら安いもんです。
それでも土曜日の仕事は午前中だけにしてるではないですか。何が不満なんですか。いつも通りに仕事をするだけですよ。ちょっとメープルホテル東京に寄って、ちょっと視察して、総支配人とちょっと話すだけですから。時間までには終わります」
うざい。めんどくさい。ぶん殴りたい。
なんでクシマに会う前なんだ。
彼女と会う前に慌ただしく仕事なんかせずに少しでも気持ちを落ち着かせる為に、自宅でゆっくりと時間を過ごしたかった。
だって彼女は怒っている。
あきらたちが「あの時の彼女はすごかった。俺たちに向かってあんなに怒り狂って物を言う女は初めて見た」とか何とか言っていた。
あきらたちと話したあと、滋と残って話しをしていたとも聞いたから、滋に連絡をした。彼女とどんな話をしたのか知りたくて聞いてみても何も教えてはくれなかったし、むしろ言われたのは「とりあえず、あんたたち馬鹿じゃない?」だけだった。
馬鹿なのはあきらと総二郎だけだが、その話を聞いてから少しだけこわくなってしまって、彼女にメールを送るのを控えてしまっていた。
彼女はものすごく怒っていて、既に信頼関係が破綻しているだろうこと、そしてその前からメールの返事がなかなか来なくなっていたことが全てを物語っているのではないかと。
それでもまさか今さら彼女を諦めるつもりはない。
最終手段として類にアプリ内の彼女の個人情報を入手させるか、あきらに調べさせたほうが早いか、それなら住んでるところは知っているから待ち伏せるかまで考えていた。だから、そうする前に彼女から連絡が来たことは僥倖以外の何ものでもない。
実際、クシマの口から自身のことを話してくれるまでは、彼女について何も調べるつもりはなかった。
そんな裏で非合法な手段を使って知るのではなく、彼女から聞くことに意味があり、それが信用で信頼だと思ったのだ。
だから俺は未だに彼女の名前も知らない。
勤務先は偶然にも知ってしまったけど、あれは本当に偶然で、それはきっと彼女も分かってくれているはず。
そして彼女からのメールが来た時、それはもう嬉しくて、怒っていたらメールなんかくれないだろうし、もしかしたら二度と会ってくれないのではないかと思っていたのだ。
躊躇いなくメールを開き、内容を確認。返信が遅くなって悪かったと、さらに二週間後に会ってくれるという内容に狂喜乱舞し、一も二もなく諾の返信をしてから、はた、と冷静になった。
彼女は、怒っている。
そんな彼女の話が、良い話なわけがない。
なぜ今まで半年も練習に付き合ったのに何も教えてくれなかったのかとか、だからもう信用も信頼もなくなったとか、もう、友人をやめる、とか、言われるのだろうか。
いや、彼女なら話せば分かってくれるはず。
嫌なシーンを想像してしまったが、そんなことはないと思い直す。
クシマは両親や仮面を付けた媚を売るだけの女とは違う。
彼女は俺の正体を知っても、それですり寄ってくるわけでも脅迫してくるでもなく、ただ怒っている。
そう、彼女は何も教えない俺に信用も信頼もされていないと思ったと、それに怒っているようだったとあきらたちは言っていた。
クシマは初めて会った時から、理不尽なことにははっきりと拒絶する意思を持っていた。
性格が素直なこともあるのだろうけど、嫌なことは嫌だと、良いことは良いと言う女だった。
そして人を見た目で判断しない。
ボサボサ頭で瓶底メガネのクソダサい格好をしていた俺に、加えて横柄な態度まで取ったのに、彼女は見た目じゃなく、俺の話だけで協力をしてくれていた。
「イケメン」なるものにも何か遺恨があるようだったけど、そんなものは俺にしたらどうでもいいとまでは言わないが、瑣末なことである。「ミドウ ジョウ」が「道明寺 司」であることも、この整っていると言われる顔があることも隠していたけれど、クシマが見た目や名前じゃない俺を知っているということは俺にとって唯一の希望だ。
あきらたちの言う通りに素性を隠していたのは、例えたった一度会うだけにしても名前や見た目に釣られるような女は嫌だったから。
今まで出会った人間は俺の見た目と財と家名だけを見ている人間ばかりで、もう誰一人この世に何もない素の俺を見てくれる人なんていないと思っていた。
誰も俺の話など聞かない。
俺が「Yes」と言えば全てが「Yes」の世界で、俺が何かを発すれば全て受け入れられるし、欲しいものはすぐに与えられ、それが当たり前だと教えられて生きてきた。
でもその中で誰も俺の気持ちを聞くことはなかったから「No」と言うことを許されないのだと、欲しくなくても与えられるモノに拒否権はないと思い込んでいたのだ。
あの、幼い頃の俺に、嫌だと言ったのに、あの信用していた使用人がしたように、俺の「No」は受け入れられないと、思い知らされたように。
もう、そういう世界で一人生きていくしかないと、達観し、諦め、絶望感すらあった。そんな環境の中で「俺自身」を見てくれる人がいるとは、もう到底思えなかった。
でもクシマだけは違ったのだ。
最初は『嘘は付かない』と約束をしたことも、その場しのぎの口だけだと、そんなことを言いながらも彼女だって嘘を吐くと思っていた。
上辺だけの、心の中では俺という人間をいかに懐柔し、そしていずれ足を引っ張り、財や名を奪おうかと算段をしている人間ばかりの中で、「嘘を付かない」なんて一番信用ならない言葉だ。
それでも彼女を信用しても良いかもしれないと思ったのは、あの言葉。
『あなたの体はあなたのものなの。それが家族でも友達でも初めて会った人でも、人の体は許可もなく勝手に触ったりしないものでしょ?』
彼女は嫌なことには「No」と言って良いのだと、そして話したくないことは話さなくていいと、初めて俺に「選択肢」を提示した人間だった。
彼女だけは俺の「No」を受け取り、「No」とは言えない「Yes」ではなく、本心の「Yes」を「Yes」として受け入れてくれたのだ。
俺の嫌だと思うことは絶対にしなかったし、俺に触れる時は必ず許可を求めてきた。彼女が一緒にいる時は、常に俺が「Yes」か「No」を選べる状況にしてくれていた。
だからこそ正体を知られることがこわかった。
友人たちや家族すらも、誰も知らない俺を知ってくれた彼女を、失うのが、こわかった。
そんな俺がもちろん女遊びなんか冗談でもするわけないし、一つも疚しいことなんかない。
今の俺が出来ることは、クシマが好きで、一緒にまた過ごす時間が欲しいと伝えることで、その為には彼女に会えた時に全てを話すつもりだ。
「代表、わがままが許される歳ではありませんよ。もう代表になって何年ですか?もう立派な大人なんですから大人しく仕事をしてください。それに、その日は花沢様が責任者を務められてるアプリ主催のパーティーが「アチェロ」で開催されます。こういうイベントに使用するのは初めてですから、ついでにその様子も少しご覧になってください」
また一人グルグルと考え事をしていて黙り込んだ俺に、それを無言の抵抗と圧力を感じたのか、
それも勘違い甚だしいが、まるで子どもを諭すかのような口振りにまた苛立つ。
今のは確かに仕事の話に私情が入ってはいたが、大抵はいつもこうやって俺の「No」はワガママという理由で拒否される。
「あー、類が何か言ってやつか。んなもん見たって面白くも何ともねぇだろ。男と女が騒いでるのを見ても面白くない。どうでもいいから行かねぇ」
「坊ちゃんがお世話になったアプリですから、花沢様にはきちんとお礼をしませんと。スケジュールに入ってますからね、行きますよ代表」
そもそもに世話になったって何だよ。類に世話になったつもりはないし、行くのはもう決まってんじゃねぇか。
あきらと総二郎が勝手に始めて、勝手に決めて、勝手に引き合わされただけで、クシマと最初に会った時以外アプリは起動していないし、会った女もクシマが最初で最後だ。
しかしそれでクシマと出会えたのだから、アプリの責任者という点においては多少、類に感謝してもいいのかもしれない。
それにしても俺が嫌々始めたあのアプリを通して初めて会った女が、まさか結婚願望のない女だったのも、そこから友人になったのも、そして好きになって、これから先も一緒にいたいと思うようになることも、その全てが重なれば、それはもう偶然ではなく必然で運命だったのかもしれない。
運命の女。
そう言える女が俺の人生の中で現れるとは考えたことも思ったこともなかった。そう考えればやはり類に多少は、ほんの僅かくらいは……、
いや、違う。類じゃねぇ。
あのアプリを発案し、プレゼンを勝ち抜き、開発運営まで持ち込んだのは類の部下だ。
その部下が秘密裏に姉に結婚相手を探させようと、アプリを使わせる理由にモニターを依頼したんだったよな?それなら、本当に感謝すべきは類の部下で、クシマの弟だ。
また一人グルグルと考え事をしていたら、西田が胸糞悪い話を口にした。
「それと今、会長と椿お嬢様が帰国されてまして、話があるから必ず本邸に一度寄るようにと言付かっております。本日は日本に到着したらそのまま本邸に向かいますので」
は?
ババアと姉ちゃんが?何の話だ?
またお見合いか何かの話か、いかに後継者としての俺の役割が大事かとかの説教だろうか。
クシマには会いたいが、家族には会いたくない。
仕事に家族。
クシマに会う前の苦行が多過ぎるが、これを乗り越えれば彼女に会えると思えば、多少は頑張ろうかという気にもなる。
海外出張からの帰り、高度五万フィート上空を飛ぶ旅客機の中でクシマと何を話すかばかり考えていた俺は、帰国後ババアと姉ちゃんから聞かされた話に驚きしかなく、そしてまたクシマとどう話すべきなのか悩むことになる。
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