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Re: notitle 56
[No.181] 2023/07/05 (Wed) 18:00
Re: notitle 56
ここはメープルホテル東京の最上階。
最上階から下三階分は吹き抜けになっていて、すぐ下の階はいくつかの宴会場とチャペルがあり、更にその下の階にはブライダルサロンとドレスショップ、あとは美容室に写真館がある。
そして各階を、この吹き抜け部分で行き来が出来るようエスカレーターで繋がっていたはず。
なぜ知っているのかと言えば、このメープルホテルには数ヶ月前に優紀とデザートビュッフェを食べに来たことがあるからで、その時に訪れたガーデンレストランではウェディングパーティーが出来るという話から始まった。
このメープルホテルの上層階にあるチャペルは一面ガラス張りになっていて、その大きな窓から見えるのは空のみ。正に空に浮かぶチャペルをイメージして作られたらしく、「スカイチャペル」と名付けられている。メープルホテルのHPでウェディングプランの一例を見ながら、こういう式がしたいとか、少人数向けのプランもあるとか、いつかここで式が挙げたいとか優紀が話しているのを聞いていた。
レストランを出て、とにかくここから離れようとエレベーターホールを目指したけれど、後ろを振り返って見れば道明寺 司が追いかけてきていた。しかも鬼のような形相で。
なんでそんな顔で追いかけてくるの?!あとで会う約束してるのに!
やっぱり態度を変えたあたしに怒ってて、本当は顔を見るのも不愉快だけど今すぐにでも文句の一つは言わないと気が済まないとかなのだろうか。それはそれで、きちんと受け止めなければいけないと分かってるけど、それでも、顔が!こわい!
彼の歩くスピードが早いことを知っている身としては、エレベーターなんて待ってたら絶対に追いつかれるだろうとエレベーターホールを素通りし、逃げるように早足で歩けば、目の前にエスカレーターが見えた。危ないと分かっていても、他に乗ってる人はいないからとエスカレーターを駆け下りる。
今は土曜日の昼間、ちょうど挙式中なのか、宴会場とチャペルのあるフロアには招待客らしき人は見当たらず、いるのは数人のスタッフのみで静かだった。そんな中を慌てて歩くあたしにスタッフさんたちは訝しげな視線を向けてくる。騒がしくして申し訳ないと思いつつも、それどころではなく、そのまま下へと思ったら下りのエスカレーターはフロアを周って反対側にあった。
急いで宴会場の前を通り過ぎ 、また下りのエスカレーターを駆け下りる。
その途中で視線を上に向ければ、やっぱり怒った顔のままの道明寺 司が宴会場の前を歩く姿が見えたけど、その彼の後ろにいるのは鈴木さん?!
あたしと目が合った鈴木さんは、手に持つ何かを振り上げた。
あれは、あたしのコートだ!
バッグは貴重品も入ってるからずっと手に持っていたけど、コートはレストランのクロークに預けていたのを忘れていた。
そしてエスカレーターはこの階で終わり。ここから下へ行くにはエレベーターに乗らないといけない。
こわい顔でミドウさんが追いかけてくる。でもコートを持って追いかけてきてくれてる鈴木さんを無視することも出来ないし、どうしようと一瞬立ち止まった、その時。
「つくし?」
懐かしい声に名前を呼ばれて振り返った先にいた人。
「なんで、」
どうして元カレがここに?!
突然の再会に驚きつつも、隣には綺麗な顔立ちの女性。そして彼らが出てきた所は、ブライダルサロン。
ああ、そういうことか。
もう記憶も朧気ではあるけれど、あの浮気現場を目撃してしまった時にベッドの上で彼と抱き合っていた女性、ではないだろうか。
やはり本命はあの時のこの女性で、この人からしたらあたしが浮気相手だったということか。でも、それを知ってもさほどショックではないのは、どうしてだろう。
その時、急に腕を掴まれて、遂に彼に追いつかれてしまったと思ったけど、あたしの腕を掴んだのはミドウさんじゃなくて鈴木さんだった。
「あ~~~、良かった!歩くの早いですねぇ!」
「あ、ごめんなさい!コート、ですよね」
道明寺 司より後ろにいたはずのに、なんで先に鈴木さんがあたしに追いついたのかと不思議に思って、コートを受け取りつつ話しながらも周りに目を巡らせてみると、上のフロアで彼とメガネをかけた真面目そうな男の人と、さっきすれ違ったスタッフさんが話しているのが見えた。きっとエスカレーターを降りる前にスタッフさんに声をかけられたのだろう。
それでも、彼はあたしから目を逸らさず睨んでいて。いつもは瓶底みたいなメガネをかけてたからよく分からなかったけど、なんと眼光の鋭い男なのか。
「お前、今度は歳下の男か?相変わらず人の世話ばっかしてんの?」
横から聞こえた声と言葉に、カッと頭に血が登る。
元カレに顔を向けると、ニヤついた顔であたしと鈴木さんを見ていた。
なんで、好きだったんだろう。
なんで、優しいと思ってたんだろう。
なんで、結婚したいと思ったんだろう。
元カレは、こんなことを言う人だったの?
「やめて。この人はそういうのじゃないから」
自分が浮気をしたのに悪びれることなく、関係のない鈴木さんまで巻き込むような発言に、声が怒りで震えそうになる。
「……あの、僕はレストラン戻りますね」
「あ、ごめんなさい。コートありがとうございました。私は先に帰らせていただきますので、牧野によろしく伝えてください」
何やら不穏な空気を感じ取っただろう鈴木さんは気まずそうにしつつも、あたしの言葉に頷くと足早に去って行った。
「あ、レストランってアチェロか?今日は婚活パーティーやってるよな、確か。そういえばお前もうすぐ三十路だっけ?婚活パーティーなんかに参加してまで相手探しに必死になってんのに、誰にも相手にされなくて帰るところとかだったらウケるわ」
「……あ、あんたはもう今は何の関係もないんだから、私が何をしようがどうでもいいでしょ?!」
お昼時なのだから食事に利用しただけかもしれないのに、婚活パーティーに来たのかと憶測のみで発言するのもどうかしてるし、なんでもう別れて一年以上経ってるのに偶然会っただけでこんな言われ方をしなければならないのかとか、そもそもにどうしてレストランで婚活パーティーが開催されていると知ってるのかとか聞きたいことも言いたいこともあるけれど。
婚活パーティーに来ても一人で帰るあたしと、もうすぐ自分は結婚するということを比べて優越感でも持ったのか、あたしが傷付くだろうことを他人がいる前で笑いながら言う人だったなんて。
どちらにしろもう、この人に恋愛感情はない。別れてもしばらくはあんなに未練たらしくウジウジと悩んでいたはずなのに、時間をおいて再び顔を合わせても付き合っていた頃のような感情は微塵も湧かなかった。
優しいと思っていた彼は所詮、上辺だけの虚像に過ぎなかったということだろうか。
いや、それともそうではなくて、他人の世話を焼くということは、その人の至らないところや出来ないことを探し出して代わりにやってるとも言える。優しさの押し売りをしていたのはあたしの方で、彼がそれを望んでいたかどうか確認したことはなかった。
あれこれ勝手に身の回りのことをしていたけれど、もしかして至らぬところを、粗を探されているようで嫌だったのかもしれない。あたしが良かれと思っていただけで、彼からしてくれとは言われたことはなかったと、今になって気がついた。
『小さな親切、大きなお世話』
あたしはいつも自分のことばかり。
誰かの世話をしていることで、自分も誰かの役に立つんだと、そこで承認欲求を満たして自己満足していたのかもしれない。
なんて酷い自己嫌悪。
思わず重いため息が出る。もうこれ以上は何も聞きたくなかったのに、元カレは尚も言葉を続けた。
「そんなに誰かの世話がしたいなら、また俺が家政婦として雇ってやろうか」
また?あれは浮気しているのを目撃されて、咄嗟に吐いた嘘で言い訳だと思っていたから、また雇ってやるという言葉に何を言っているのかと、すぐに理解出来なかった。
じゃあ、好きだと言ってくれたのは、休みが合えばいろんな所へ行って楽しいねって笑って言ったのも、幾度となく一緒に過ごした夜も、全て、嘘だったの?
あたしには全部、本当だったのに?
まさか元カレにとってあたしは本当に家政婦要員でしかなかったのだと、今さらになってまざまざと突きつけられるとは。結婚したいとまで思ったこの気持ちは、本物だと思っていたあたしの気持ちは、あなたの気持ちも本心だと信じていたのに。
もうこれ以上は無理だ。
別れてから一年半も経ってるし今さら恋情などないけれど、こんなことを言われてるのに笑い飛ばすことも怒って言い返すことも出来なくて、悲しいも悔しいも、自分の愚かさや人を見る目のなさも、今までの楽しくて優しかったいろんな思い出がモノクロになって、もう元カレに何の感情も持ちたくないのに、心の底に溜めたドロドロした醜いものが、自分の意志とは関係なくあふれてしまいそうで、こんな奴の前で泣きたくなんかないのに、涙が勝手に溢れそうになる。
泣いて感情を顕にするような無様な姿を見せる前に、とにかく早くこの場を離れたくて体の向きを変えた、その時。どん、と誰かにぶつかった。
ああ、そうだ。
あたしは逃げていた。
逃げないと決めたはずなのに。
ぶつかったその人はスリーピースのスーツ姿で、見たことのない怒った顔をしていて、それなのにあたしが知ってる香りを纏う人。
まるで、パブロフの犬。
しばらく会っていなかったのに、半年の間にすっかり馴染んでしまったこの香りを少し感じただけで、いつもの優しさと、温かさと、少し乱暴な口調で話すところも、今まで会って話して一緒に過ごした時間は確かにあって、その全てにどうしようもなく心が揺さぶられる。
心臓が、心が、ドクリと音を立てた。
ねぇ、ミドウさん。
あたしたちが一緒にいたのは二週間に一度で、それもほんの数時間だけ。
勤め先も名前も知らない、条件ありきの一時的な関係。
友人のままでいようと、芽ばえてしまった淡い恋心も彼の前では隠そうと決めた。
それなのに、その香りが、こわがることも怯えることも躊躇うことすらなく、あたしの肩を抱くミドウさんの手が、まるで全てから守ってくれているようだった。
それが例えあたしの勘違いだとしても、とても安心できてしまったから。
これだけは信じようと思った、あの夏の日の香りと体温が、抑えていたはずの今までその心の底に溜めてきたものをいとも簡単に溢れさせ、それが涙になって頬を濡らした。
更新が遅くなってしまい、申し訳ありません。
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